「あつー…」
呟き、は小さくため息をついた。
季節は初夏。
クーラーは早いにしても、そろそろ扇風機が欲しくなる頃だ。
(夜はなー…結構涼しかったのに)
今夜はひどく、寝苦しい。
少し外の空気でも吸ってみようかと体を起こしたところで、不意に御簾の向こうから「神子殿」と声がかかった。
「…?はい、ちょっと待ってください」
その声には、聞き覚えがある。こんな時間に一体どうしたのだろうと考えながら、てきぱきと身支度をした。いくらなんでも今の格好のままひょいと出向くわけにはいかないことくらい、もうわかっている。
「友雅さん?」
御簾を上げると、そこには予想と違わぬ相手…友雅の姿があった。
「こんな夜更けにすまないね、神子殿。既に夢路についていたかな?」
「いえ…なんか、眠れなくて。ごろごろしてました」
が正直にそういうと、友雅は微笑んで言った。
「それなら、桂川まで足を伸ばしてみないかい?今の季節なら、良いものが見られるだろう」
「桂川…?」
いくらなんでも、こんな時間に?
が戸惑いの声を出すと、面白そうに笑う。
「君は正直者だね。大丈夫、ほんの数刻だよ」
「…わかりました!ちょっと待ってくださいね」
急いでぽっくりを履きながら、心のどこかに違和感を覚える。一体、なんでまた友雅は急にこのようなことを言い出したのだろう。意味がないとは考えられないが、ではどのような意味があるのかと言うと皆目見当がつかない。それならいっそ考えるのをやめようとあっさり思考を放棄すると、足取り軽く友雅の元へ向かった。





垂   火







「…あれ?」
桂川まであと少し、となったところで。
は、“それ”に気付いて足を止めた。
「…気付いたかい?」
「はい。あの、友雅、さん、あれって…」
胸が高鳴る。
現代っ子の自分にとって、“それ”をまともに見るのは、初めてのことで。
「……ほたる、だよ。」
「! やっぱり」
駆け出そうとしたの手を、友雅が強く引く。
「きゃ、」
「…いけない子だね。今が何時か忘れてしまったのかい?私の側から離れてはいけないよ」
「は、はい……」
侍従の香りが、鼻をくすぐる。友雅の温もりを間近に感じ、は真っ赤になった。
「…あ、あの、でも友雅さ、ん…これじゃ、歩けな…」
抱きすくめられたまま消え入りそうな声で返すと、「ああ、そうだね」となんでもないように友雅が返す。
「それなら、こうしようか」
ひょい、と。
あっさりを抱き上げると、友雅はそのまま歩き出した。
「きゃあっ!?ちょ、友雅さん!重いですよ!下ろしてください!!」
パニックになってがそういうと、友雅は面白そうに笑った。
「重い?そうかな、私にとって君は羽根のように軽いけれどね」
「そんなはずありませんー!!」
しかし、下手に暴れると余計に友雅に負担をかけてしまうかもしれない。
物申したいことは山ほどあったが、ぐっと飲み込んでそのまま大人しくしていることにした。…そんなを見て、友雅は愛おしそうに目を細める。
「…さて、と。着いたよ、姫君」
すとん、と下ろされて、ようやく生きた心地がする。ふー、と息を吐いてから、改めて目の前の光景を見て目を奪われた。
「わ…あ……!」

…それは、初めて見る、ほたるの火。
あたたかく、それでいて儚く、やわらかな灯り。
見上げた先では光が連なって、まるで天ノ河のように見える。

「すごい…綺麗…!」
「…星が、瞬いているようだろう?」
「星…わあ、ほんとに星みたい!」
夢中になっているの横顔を優しく見つめながら、友雅が続ける。
「…飛ぶ様はまるで、流星のようだね。星垂る、とはいったものだな」
「……?ほたる、って、どう書くんですか?」
不思議そうに返したに、友雅が答える。
「幾通りかあるけれどね。私は、「星」に「垂」と書いた「星垂る」が好きだね」
「星……」
呟いたの髪にそっと触れ、梳きながら返す。
「そう。そうしてあれらの火を、「星垂火」と呼ぶのだよ」
は再びほたるに目をやってから、空を見上げた。…地にも、空にも、あたたかな光が満ちている。
「星垂火、って、すごく素敵ですね。…ほたると星を、そういう風に繋げて考えたことなかったです」
そうして、友雅を見上げて微笑む。
「ね、友雅さん。今こうして見上げている星、私も見ていたかもしれないですね」
「……星、かい?」
「ほたるは無理でも、星は…ほたるみたいにあたたかな光の星は、もしかしたら、ここに来る前にも同じものを見ていたかもしれないですね。そして今は、その星をこうして一緒に見てる。そう考えると、なんだかすごく不思議で、素敵な気がします」
そう言うと、にこりと笑って再びほたるへと視線を戻した。
(…参った、ね。)
恐らくは、何の気なしに言っただけなのだろう。
けれどもその言の葉は、じんわりと胸の内へと沁みていき、ぽうっとあたたかな光が灯ったようになる。
……まるで、星垂火の、ように。
「……神子殿」
「はい!」

これからも、君の隣で。
…共に、星を見上げてゆきたいと。
星垂火を、眺めていたいと。

そんな言葉は、今はまだ、そっと胸の内へとしまいこんで。
「そろそろ戻ろうか?明日に響いてはいけないしね」
今はまだ、ただ。
君の微笑を、見守っていよう。
……星垂火のようなあたたかさを、胸に抱いて。






「え?友雅さん、誕生日だったの?」
「はい、確か、そのように記憶しておりますが…」
祝う慣習がありませんからね、と続けた藤姫の声が、遠くで聞こえる。
…あれから、数日後。
藤姫から、こっそり屋敷を抜け出した日(結局ばれてこっぴどく叱られた)が友雅の誕生日だったと聞き、は頬が火照るのを感じた。
あの日の友雅の行動の合点が、ようやくいった気がしたのだ。
(一緒に、いたいって思ってくれたのかな)
生まれた、日に。
(だと、したら……)


胸に灯る、あたたかな想い。
…それは、あの日に見た、星垂火のような灯り。



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