「ふー…」
紙コップに入った、一杯の珈琲。
あたたかなそれを流し込み、ゆっくりと息を吐く。
ミルクあり、砂糖なしを選んだその珈琲は、心地好い苦みを持っての喉を潤していった。…同時に、疲弊しきった心も。
(今日もお疲れ様、自分…)
そっと自分を労うと、再び珈琲を口に運ぶ。
人気のない、放課後の教室にいるのは自分だけだ。自販機で買える100円の珈琲でも、こうして自分を労いながら味わうと格別のものに感じる。
(今日も松田先生探して…服部先生のパン争奪戦に付き合わされて…高木先生のフォローして…ダブル工藤先生の難問クリアして…白馬先生の宿題集めて…)
どう考えても自分は、一般高校生より苦労している気がしてならない。最もそれは委員長という肩書きのためだけではなく、この学校の教師陣全般のせいだという気もする。
(……それから…)
それから。





琥珀色に溶け込む、






?」

不意に、聞きなれた声が自分の名を呼んで。
ちょうどあなたのことを考えてました、なんてことはおくびにも出さず、はゆっくり声のした方…教室の入り口へと視線をやった。
「黒羽先生」
「何してんだ、オメー」
「一服です。先生こそこんなところで何してるんですか。保健室は?」
「保健室は施錠してきてるよ。オレは見回り」
「見回り…?」
壁にかかった時計を見やれば、時刻は18時を回っていた。最終下校時間を過ぎている。
「うわっ、いつの間に!?ごめんなさい!…っと、わ、きゃあ!?」
ガタン、と立ち上がった途端、急な衝撃に机にかけていた鞄が落下する。慌てて拾いながら今度はバランスを崩したを見て、快斗は吹き出した。
「落ち着けよ。別に追い出そうってんじゃない、それ一杯飲み終わるくらい待っててやる」
「…はぁ……」
ガタガタと椅子に座り直しながら、が紙コップに再び手を伸ばす。琥珀色のそれは、まだあたたかい。
「あの…立って待たれても、気が散ると言うか、急くというか」
「じゃー座る。」
そこでようやくドアに預けていた背を離し、白衣のポケットに手を突っ込んだまま歩いてくると、すとんと無造作にの隣の席へと座った。…白衣の裾が、ひらりと翻る。
(………それから。)
中断された思考の先に何があるのかは、自身よくわかっていない。ただ、彼の…黒羽先生の表情が、声が、仕草が。…妙に鮮やかに、記憶に残って離れなくて。
「お疲れサマ、だな」
ぽん、と何気なく肩を叩かれて、どきんと心臓が跳ねた。
…黒羽が触れたところだけ、熱い。いや、熱く感じる。自分の体なのに、自分の一部ではないような。
(…私、どうしちゃったんだろう。)
琥珀色のそれは、手の中で徐々に熱を失っていく。口に運ぶ、ただそれだけの行動ですら、横に黒羽がいるだけで自由にできなくなってしまう。
「…飲まねーのか?オレ、もらってもいいか?」
そう言うと、黒羽がひょいとの手の中の紙コップを取り上げた。
「あ、」
正直今は、珈琲どころではない。別に構わないが、もう冷めているとか、砂糖は入ってないとか、…それに、何より。
だが、が何かを答える前に黒羽はそれを飲み干してしまった。ぺろり、と舌を出して、「ゴチソーサマ」とに向かって笑いかける。
「……あの、」
「ほら、帰るんだろ」
言いたいこと。
聞きたいこと。
たくさんあるはずなのに、その中の1つとして形にはなってくれなかった。仕方なく、黙ってコクリと頷く。
立ち上がった黒羽が、ついでのように「そういえば」と言う。
「今日、オレ誕生日だったんだよ」
「えっ……!お、おめでとうございます!私知らなくて、何もお祝い…!」
何でそれを、今言うのだ。昨日も一昨日も、顔を合わせているのに。
泣きそうな表情になったに、快斗が苦笑する。
「ンな顔するなよ。が知らないのは当たり前だろ?気にすんなって」
「でも……」
「もらったから」
「え?」
なおも言い募ろうとしたの言葉を遮り、快斗が空のコップをに見せる。
「ほら」
「…100円、ですよ?」
しかも飲みかけだ。そんなのが誕生日プレゼントだなんて言われても、納得できるわけがない。
「じゃなくてさ」
「……?」
紙コップの淵に指先で触れると、そのまま自身の唇に触れる。そうして、ウィンク1つ。
「………な?」
「っ……………!!!」
かっ、と。
頬を通り越して、一気に頭に血が上る。
それは、先刻まさに自分が気にしたことであり。
「だから言っただろ、“ゴチソーサマ”って」
にっと笑うと、「気をつけて帰れよ」なんて言いながらさっさと出ていってしまって。あとには、混乱と動揺の渦中に放り込まれただけが残された。
「なっ…なっ…!」
なんなんだ、一体!
どくん、どくんと。
やかましい心臓の拍動に、気付かない振りはできなくて。
「………ばか。」
…中断された思考の先に何があるのか、気付かされてしまった。きっと彼は、何もかもわかった上でやっている。…悔しい、恥ずかしい。
「…ばか…………好き。大好き…」
まだ告げられぬ言の葉を、そっと囁くように呟く。
そう、知ってしまった。
泣きたくなるような、切なくて甘い熱情を。




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HAPPY BIRTHDAT 2008...