大切な君だから





「じゃあ大佐、この書類、11時までによろしくお願いしますね」
「ああ、わかった」
そう答え、書類を受け取ろうとする。
「あ、大佐…」
ばさっ。
ロイが受け取り損ねた書類は、執務室の床に散らばった。
「いや、すまない。ちょっと手元が狂ったな」
「拾います」
急いで書類を拾い集めるホークアイが、二重に三重にとぶれる。
「…っ!」
ぐ、と目を細め、視界を固定する。
だめだ。まだ、だめだ。
「大佐」
「あぁ、ありがとう。じゃあ後で持っていくよ」
「はい」
そう言って、ロイは急いでドアを閉めた。
ぐらっ。
「…っ!」
だんっ、と机に手をつき、体を支える。
その衝撃で抱えていたファイルが落下し、先ほど集めたばかりの書類が再び床に散らばった。
「マズい…な…」
焦点が定まらず、全体的にもやがかかっているように見える。まばたきを繰り返し、軽く頭を振る。
だが、それは逆効果だった。
頭の中で巨大な鐘が鳴っているかのようにぐわんぐわんと衝撃が反響し、ロイはたまらず座り込んだ。
「失礼しまー…って、大佐!?」
突然ドアが開き、中に入ってきたのはハボックだった。
(ノックをしろ)
口には出さず、心の中でロイは毒付いた。
床に座り込んでいるロイを見て、ハボックが慌てて駆け寄る。
「体調悪いんスか?何やって…とりあえず、仮眠室のベッドまで行きましょう!」
言って、ロイの腕を掴んで立たせようとする。
「…離せ」
「は?」
「…離せ、と言ったんだ」
そう言い、腕を振り払おうと力を込めた。
…が、バランスを崩し、再び床に倒れこむ。
「大佐!ちょ、いい加減に…」
「気づかれたくないんだ!!」
さらに何かを言い募ろうとするハボックを制し、ロイは声を荒げた。
「これ以上中尉に負担をかけるわけにはいかないんだ!だから、頼む…」
ロイはそこまで言うと、焦点の定まらない瞳でハボックを捉えた。
「ホークアイ中尉には…黙っていてくれないか」
「中尉に、ですか?」
小さく疑問符を浮かべるハボックを見て、ロイは無理矢理に言葉を紡ぎ出す。
「私は…、ただでさえ普段は負担ばかりかけている。…無論、お前達にもだ。本当はお前にだって見つかりたくなかった!特に…中尉は、中間に立って、疲労や負担も…」
そこまで言い、ロイは激しく咳き込んだ。
ハボックもさすがに耐え切れず、強引にロイを担ぎ上げて運ぼうと腕を伸ばす。
「離せ!!」
どんっ、と音を立てて三度倒れこむ。
「いいか、絶対に、中尉には…」
「それはできませんね」
『!!』
突然聞こえた声は、二人のうちのどちらのものでもなかった。
「中尉!」
「ハボック少尉、お疲れ様。あとは任せて?」
「で、でも…」
「大丈夫よ」
重ねて言ったホークアイの言葉に、ハボックは敬礼して部屋を出て行った。
それを確かめ、ホークアイはうずくまっているロイを見る。
「…大佐」
「………」
「先程の様子が普通じゃなかったので。戻ってきて正解でした…一体、何を」
「………」
「大佐!子供じゃないんですから、もう」
まるでふて腐れたように黙り込んだロイを見て、ホークアイは腕をひっつかんで無理矢理立ち上がらせた。
「ホーク…アイ、中尉…」
虚ろな瞳で視界に捉えるも、見慣れたはずの彼女の姿はぼやけてはっきりとは見えない。ここに至ってようやく、ロイは自分が相当まずい状態であったことに気づいた。
「あのですね、大佐」
とりあえず、ロイを床からソファの上に移動させ。
すとん、と腰を落とし、目線を合わせて問い掛ける。
「部下に心配をかけたくない、という気持ちもわかりますが…」
「そうじゃないんだ」
「え?」
「部下だとか…そうじゃ、ないんだ…」
大切な人に、心配はかけたくないのに。
ただでさえ常日頃、面倒ばかりかけてしまっている気がするというのに。
熱に浮かされた頭では、それをうまく言葉にすることができなくて…
いい加減に遠のいてきた意識を必死に繋ぎとめようとするも、それは無駄な努力で。
(ああ…また、面倒をかけてしまうな…)
ぐらり、と体が傾く。
決してやわらかくはないソファに倒れこむ前に、何か違うものに抱きとめられた。
なん…だ…?
…だが、それがホークアイだと認識するまで、ロイの意識は残っていなかった。
「大佐…?」
結局、彼が何を言いたかったのかはわからない。
それでも…
「おやすみなさい、大佐」
そう呟き、ソファにロイを横たえる。
医務室へ行こうと部屋を出ようとして、思い立って室内へと戻った。
手近にあったタオルを水で濡らし、額の上へ置く。
気休め程度にはなるだろう。
「すぐに医務室へ行って人を呼んできますから。…そのまま、動かないで下さいね」
そう言い、今度こそ部屋を出た。
ぱたん、と音を立ててドアが閉まった後。
「…あぁ」
額にタオルを置かれたことで、微かに意識を取り戻していたロイは。
熱がある者独特の掠れた声で、小さく返事を返した。
これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないからな…と、心中で呟きながら。










「中尉、先日は世話をかけたな」
「いいえ。元気になられたようで、なによりです」
ロイの症状は思っていたほど酷いものではなく、2日ほど休暇をとって戻ってきた。
「では、早速ですが大佐」
「ん?」
「お休みされていた間の書類の処理、よろしくお願いしますね」
「…え」
執務室の前で止まり、ホークアイは扉を大きく開けた。
「…………!!!」
「大きな事件が2つ3つと重なりまして。左半分が今日中、真ん中は明日まで、右半分は今週中です」
机の面積を欠片も残さず積み上げられた書類を見て、ロイは絶句した。
「では、よろしくお願いしますね」
「ちょ、待っ、中尉……!?」
さっさと出て行ってしまったホークアイを見て、ロイは小さくため息をついた。
「お礼…言い損ねたな」
だが、ホークアイにとってはこの書類を片付けることの方が何よりのお礼になるだろう。
「…やれやれ。始めるか」
座りなれた椅子に座り、ペンを手に取り。
ロイは、目の前の書類の山と格闘を始めた。




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2004.4.15


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