1時間目





ツイてない日だとは、思っていた。
例えば朝の占い。なんであんたにそこまで言われなきゃならないの、とテレビを蹴り飛ばしてやりたいくらい酷いことを言われた。当然最下位。
そして朝のHRでやった、席替え。なんでよりによって、センター(一番前のど真ん中、ね)なんか引いてしまったのだろう。授業開始の挨拶の際、どの先生とも必ず目が合う。そして何かと絡まれる。
来る前に転んだせいでお弁当はぐちゃぐちゃだし、膝も擦りむいている。じくじくと痛むのを我慢してまで、保健室を避けていたのに。
「はい、65ページ開いてー」
(…今は国語の時間なのに)
頭上から降ってくる声に、大きな大きなため息を一つ。
なんだって、“コイツ”が教壇に立っているのだろう。





「ねぇ聞いた?白馬先生休みだって!」
突然飛び込んできた友の声に、は眠たげな目を見開いた。
「…休み?なんでまた…」
「それがさー、急な発熱で動けないらしいのよ!けど、代わりに来る先生聞いたらもびっくりするよ」
自習を期待していたが、残念そうに肩を落とす。だがそんなの肩をつかむと、、がにっと笑って言った。
「…なんと!保健の黒羽先生が来るのよ!」

ずごしゃっ!!

「なっ…なっ…なっ…!?なんで!!なんで保健の先生が国語を教えるの!?」
椅子に座りかけていたが、盛大にひっくり返ってからにつかみかかる。がくがく揺さぶられながら、が苦しそうに喘ぎながら言葉を紡いだ。
「けほっ、だから、そこが黒羽先生の、すごいところなのよ!教員免許、持ってるんだってっ!」
「…はぁ?」
ようやくゆさぶる手を止め、胡散臭そうな声を出す。続いて問いを口にしようとすると、頭の上に平たい衝撃が走った。
「っ!」
「チャイム鳴ってんぞー。」
衝撃に肩をすくめたの頭上から、くだんの彼の声が降ってきた。考えるまでもない、衝撃はやや厚めの国語の教科書での攻撃である。
「……はい」
離れたいと思っても、自分の席はセンターだ。逃れようもない。
が席に着くのを見届けてから、快斗は教壇に立った。
「あー…聞いてると思うが、白馬先生が急病で休みのため、オ…私が授業をすることになった。勝手が違うかもしれね…しれないけど、しっかりついてくること!」
一通り口上を述べ終わったのを見計らって、クラス委員の少女がくすくす笑いながら進言した。
「黒羽先生、いつも通りでいいですよ?その方が私たちもやりやすいですし」
ね?と問いながら周りを見渡すと、皆が一斉に笑いだした。
「そうだよ黒羽、“私”なんてガラじゃねーくせに!」
「私、笑い抑えすぎて苦しいっ…!」
「あはははは!」
次々に飛んでくる言葉に、快斗がくしゃくしゃっと頭をかいて問う。
「おいオメーら、オレのことなんだと思ってんだ?」
素で聞き返した快斗に、クラス中が声を揃えて言う。
「「偉大な大先生でーす!!」」
それを聞いて、快斗はばさっと音を立てて白衣を着直した。
「よし言ったな!あとから“やっぱなかったことに”っつってもおせーぞ?」
「「はーい!」」
(…バカみたい)
そんな中、は一人冷静なまま傍観していた。頬杖をつき、ぼんやりと教科書へ視線を落とす。
…この男が、苦手だった。
生徒からの人気はピカイチだし、話術も巧みで話していて楽しい(らしい)。今日みたいに人を驚かせるのも得意だ。顔もそこそこ整っている。「少年のまま大人になった」という形容が、よく使われる。子供っぽいところが可愛いと、女子にも人気だ。
苦手だと思う要素も、嫌う理由もない。
「こら!オレの話聞いてたか?」
ふいに降ってきた声に、慌てて意識を引き戻す。視線を上げると、こちらを見下ろしている黒羽とばっちり目が合ってしまった。
(ええと…)
右から左に流していた言葉を、必死になってかき集める。なんとか形をなした単語を、ゆっくりと紡ぎ出す。
「…現国の教科書を開いて、黙読せよ?」
「ご名答。なんだ、聞き流してるようでちゃんと聞いてるんだな。オレもみたいな能力があったら、研究会とかで寝られるんだけどなー」
「寝たらだめでしょ先生ー!」
どっ、と沸いた教室に、は再び視線を落とした。
…こういうところが、嫌なのだ。
(被害妄想じゃ、ないと思うんだけど)
気のせいだろうか、黒羽が妙に自分に対して態度がきついのは。
いや、きつい、とも少し違う気がする。もっと的確な言葉が…
「好きな子ほどいじめたい。」
「っ!」
ぼそり、と耳元で囁かれた台詞に、はビクンと肩を震わせた。…隣の席に座っている、の声だ。
「…ってーやつじゃないの?黒羽先生、なーんかによくちょっかい出すよね」
「ありえないからさ…勘弁してよ」
快斗は今、教室をぐるぐる歩き回りながら他の生徒と談笑している。気付かれる心配はない。
「けどそれの本質って、“いじめたい”わけじゃなくて“構って欲しい”とか“関わっていたい”とかそういう気持ちのあらわれでしょ?ほら、ちょうど今やってる教科書の…」
が言いかけたところで、黒羽がぱんぱん、と手を叩いた。
「はーい終了ー!んじゃ誰かに読んでもらおうか…と言いたい所だが、ここはあえてオレが読んでみよう!」
「先生が読むの!?」
「んだよそれー!」
「いちいちヤジ飛ばしてんじゃねーぞ!大人しく聞いとけ、オレの美声を」
くい、っと眼鏡のふちを押し上げる。すぅと軽く息を吸い込む音がして、やがて教室の中に凛とした声が響き始めた。
「『裕子が啓太をたしなめる。「そうやって、すぐに映子ちゃんに手出すの、やめなよね!」「けっ、誰があんなブサイクな女」そういうと、啓太はふんっと言うだけ言って立ち去ってしまった。普段はそんなことないのに、なんで啓太は映子に対してだけあんなに口が悪く、あんなに喧嘩っ早いのだろう…』はい、そこで質問」
急に声音が変わり、クラスがはっと現実に戻る。全員、快斗の読み上げる文章に引き込まれていたのだ。
「田中くん、同じ男の子としてどうだ?」
「は?」
急に話を振られ、言葉に詰まる。
「じゃあ江藤。オメーはどうだ?」
「どう、って…そりゃ、あれですよね…」
言いにくそうにしている江藤に代わって、、がぴっと手を上げた。
「せんせー、はーい!」
「…よし、言ってみろ」
張り切って声を出したに、快斗がにっと笑みを浮かべる。
「“好きな子ほどいじめたい”ってやつだと思います!」
「大正解!…ったく、男子はわかってても言えないんだからな…」
ぽん、と教科書の鉄槌を下してから、快斗が教壇へと戻ってくる。、は、それを満足そうに見ながらにウィンクした。
(…ね?)
(ね、じゃないよ!)
「オメーらもやったことあるだろ?好きな女のこのスカートめくったり。なぁ江藤!」
「してねーよ!!」
慌てて返した台詞に、クラス中が笑いに包まれる。も吹き出しながら、そういえば、と思いを馳せた。
(…黒羽先生が私にやってくるのも、そんな感じだよね…。)
そこで慌てて首を振る。ない、ない、ありえない!、に感化されてるだけだ!!
「男ってのはバカな生き物だからなー。そんな小学生みたいな感情が、いまだに抜け切らないやつもいる…」
そう言いながら、白衣についたチョークの粉をぱたぱたと落とす。それを聞いて、先ほど黒羽の餌食になった江藤が反撃を仕掛けた。
「そんなこと言って、それってせんせーのことなんじゃねーの?」
…一瞬、きょとん、とした表情を作ってから、快斗は何の躊躇いもなく答えた。

「そーだよ。」

「……は、」
呆気にとられた江藤に代わり、女子がきゃぁきゃあと黄色い声を上げる。
「先生可愛い!頑張って!」
「だめだよせんせー、女の人には優しくしないと!」
「嫌われちゃうよー!」
苦笑しながら眼鏡を外し、白衣のポケットへと突っ込む。
「…そーなんだよなぁ。難しいな、ほんと」
そして、ふいに視線を落とすと、とぱちりと視線が合った。
「…難しいな。」
真下にいる、にしか見えない位置で。ふうわりと、優しげな、どこか切なげな笑顔を浮かべられて。
「しっ…、知りませんよ、ご自分で何とかしてください…」
慌てて目線をずらし、適当な口調で返す。それを見て、クラスメイトがまた声を上げて笑った。
は手厳しいなー」
「せんせー、次の休み時間に色々教えてあげるよ!」
「マジで?よし、じゃー次の時間は保健室で特別授業だな、オレ生徒やるからよろしく!」
「やだもー!!」
すぐにいつものテンションに戻っていった快斗に、はほっと胸をなでおろした。…さきほどの表情が意味するものは、なんだったのだろう。
(…知りたい、ような)
決して、知りたくはないような。
「…あのさ、」
「え?」
横手からかけられた、の声に、ぼんやりしたまま振り返って応じる。
「私の位置からもちょっとだけ見えちゃったんだけど。さっきの、黒羽先生のカオ」
「……っ!」
あの、優しく、切ない表情を。
「やっ…!」
とっさに口をついて出た言葉に、ははっとして口を手で覆った。…自分は今、なんと言おうとした?なにを考えていた…?
「『やだ、あれは私だけに?』…なーんだ、もう自覚してんのか。余計なお世話だったかな」
「ちがっ!」
まさに今考えていた言葉を言い当てられ、が抗議しようとした瞬間。
「こら!、うるさい。今の続きを読んでみろ」
(なんで私だけ…!)
横でにししと笑っている、に、恨みがましい視線を向ける。仕方なく立ち上がって、今どこを読んでいるのか尋ねた。
「12行目だよ。聞いとけー」
「ありがとうございます。えーと…『好きだからだよ』」
目で追って、何気なく読み出した瞬間、は硬直してしまった。
「あっはははは!の愛の告白が聞けたな!」
「なっ…」
、今のうそだって!本当は18行目からだよ!」
他のクラスメイトと同じように、笑いながら後ろの子に言われ、は真っ赤になって座り込んでしまった。
(もういやだ…)
先ほどまでの考えこそ、全てが嘘だ。





ツイてない日だとは、思っていた。
例えば朝の占い。なんであんたにそこまで言われなきゃならないの、とテレビを蹴り飛ばしてやりたいくらい酷いことを言われた。当然最下位。
そして朝のHRでやった、席替え。なんでよりによって、センター(一番前のど真ん中、ね)なんか引いてしまったのだろう。授業開始の挨拶の際、どの先生とも必ず目が合う。そして何かと絡まれる。
来る前に転んだせいでお弁当はぐちゃぐちゃだし、膝も擦りむいている。じくじくと痛むのを我慢してまで、保健室を避けていたのに。
「悪かったよ、!もうしないから」
「知りません!!」





絶対、そんな可愛い感情じゃない。絶対、そんなはずはない。
『生徒からの人気はピカイチだし、話術も巧みで話していて楽しい(らしい)。今日みたいに人を驚かせるのも得意だ。顔もそこそこ整っている。「少年のまま大人になった」という形容が、よく使われる。子供っぽいところが可愛いいと、女子にも人気だ。』
子供っぽいところが。
素直じゃないところが。

それは、つまり。

「…もう、よくわかんない。」
今は、まだ。

とりあえず、目下の目標としては。
転ばない、風邪を引かない、発熱しない、突き指しない。

保健室に、近付かない。




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