それ、と意識してからのの行動は、それはもう目覚ましいものがあった。 「調理実習?」 「そう、明日やで?、いっつも予習忘れとるやろ」 「あー…」 そういえばそうだったっけ、と微かな記憶を辿る。何分で何をこうしてああしてなんて、書いたって絶対その通りにいくわけないのに。無駄な労力なんだよなぁ、とため息をつきながら、家庭科の教科書を引っ張りだして見てみる。明日作るものは… 「!」 …今まで、カレーとか鮭の包み焼きとか、妙に家庭的だったくせに。 「何でいきなりこんなのが来るかなあ…んっふっふ…」 「……?」 「ど、どないしたん?」 不敵、としか言いようのない笑みを浮かべたに、蘭と和葉が不審そうに声をかける。 「よしきた予習ばっちこーい!!」 …ばさっ、と床に落ちた教科書のページには、「マドレーヌ」と大きく印刷されていた。 「で?」 「だからね、絶対今日は成功させて。私の人生かかってるから」 至って真剣な眼差しで言われ、和葉はジト目でを睨みつけた。 「失敗するんは、いっつもの予習不足のせいやん」 「か、和葉ちゃん…」 蘭のフォローにも、いまいち力が入らない。和葉の言うことも最もなのだから、仕方ないのだが。 「…鮭を水に濡らしたまま油に放り込んだことなら謝る」 視線を明後日に向けたの謝罪に、和葉は苦笑しながらため息を付いた。元々、そんなに怒っちゃいないのだ。 「もうええわ。ほんで、その張り切りっぷりはなんなん?」 「うん、私、快斗が好きだから、快斗に作ってあげたいの!」 「は」 あっけらかん、として言ったに、和葉が呆けた声を上げる。蘭も、横で目を丸くしていた。 「…、今、なんて言ったの?」 蘭が確認するかのように聞くと、は再び繰り返した。 「…えへ、驚かないでね。実は私、快斗のこと好きで」 ((それは知ってるけど)) 同時に心の中でツッコミを入れつつ、それを表には出さずに蘭と和葉は視線を合わせるに留めた。 「だから、ここはオンナノコらしく調理実習で作ったお菓子をあげようかなーとか、ね」 えへへー、と頬をかきながら言ったの目に付かないところで、蘭と和葉は素早く囁きを交わした。 (ちょっとちょっと、どーゆーこと!?いつの間にあんな恋する乙女になってるん!?) (知らないよ〜!あんなに鈍だったのに、なんかいきなり目覚めちゃってるんだもん!私だって聞きたいよ!) (そういえばこの前の放課後、なんや二人して残ってたとか…) (…じゃあ、そのとき…?) (でも、きっかけは…) 「なーにごちゃごちゃやってるの!!早く始めるよー!」 「「…はーい。」」 全く、本当にこのという人間はわからない。…わからない、けれど。 「思い込んだら一直線」 「猪突猛進の直情型。…ま、ある意味わかりやすいっていえばわかりやすい」 顔を見合わせて、苦笑にも似た笑顔を同時に浮かべる。 「「らしい、か。」」 …そう言って、の待つ調理場へと向かった。 「生地はもう少ししっかり混ぜないと…」 「あ、たまご全部入れた?」 「入れた入れた!混ぜ方はこれで大丈夫?」 「すごーい!なんかものすごく生クリームがあわ立ってる!!」 「…生クリームって、こんなにあわ立ったっけ…?」 「うちの記憶では…ここまでは…」 「なんでもいいじゃん!ふわふわして美味しそうなんだから!」 「あ、焼きあがった!じゃあ、これに生クリーム添えて…」 「待って、冷まさないと溶けちゃうから」 「えー、まだー?」 「…何か、いい匂いしてんな」 「ああ、女子の調理実習だろ?」 「ふーん…」 ボロ雑巾と成り果てた布のカタマリを放り投げ、快斗は大あくびをした。新一が面倒くさそうにそれを拾い上げ、快斗に向かって投げる。 「ちゃんとやれよ」 「無理。オレ、布を持つとかぶれる体質だから」 「アホか」 立派に巾着を作り上げた平次に言われ、半眼で睨む。…女子は調理実習、男子は裁縫。どこか間違っていると思うのだが、面倒なのでいちいち文句を言うことはしない。 「けど、先週が鮭の包み焼きでその前がカレーだろ?今日は何だ、おでんか何かか?」 「ンなわけねーだろ。どうすればおでんでここまでいい香りがすんだよ」 投げやりな快斗にそう返し、新一は再び真剣にミシンと睨みっこを始めた。…正直、あまりイケてる格好とはいえない。 「…菓子、か」 ここまできて、急に女子らしくなったな…。 新しい布に裁断の鋏を入れながら、そんなことを考える。のことがよぎるが、軽く頭を振ってその考えを打ち消す。…期待はすればするだけ落胆は大きい。 (しかし…この前からの様子、ちっと変だよなー…) あの、雷の夜から。 なんというか…こう、そう、一言で言えば変だ。いきなりタックルしてきたり(※的には抱きついているつもり)、弁当を作ってきたといって謎の物体を渡したり(※料理が下手なだけ)、嫌がらせかと思うようなことが多い。…やっぱり、抱きしめたのがまずかったのだろうか。 「あ、もうすぐ授業終わりだな。…快斗、オメーまた完成させなかったな。いい加減にしないとヤバいぞ?」 「家庭科で留年なんてないから大丈夫だよ」 ふあぁとあくびをして、布のカタマリを提出ボックスへ投げ入れた。昨日に引き続き、今夜も仕事だ。早く帰って寝て、夜に備えることにしよう。 「快斗!」 「……、え?」 廊下に出た途端、名前を呼ばれて足を止める。そこにはが、手に皿を持って待ち構えていた。 「待ってたの」 「え、……オレ、を……?」 …無論、皿だけ持って立っているわけではない。そこにはもちろん、今日の授業で作ったお菓子が乗っているわけで… (マ、ジ?) ドクン、ドクンと心臓が大きく脈打つ。がこちらへ向かって歩いてくるのがまるでスローモーションに見えて、皿を受け取った自分は雲の上にいるみたいで…。 だから。 「待って、黒羽くん!!食べちゃダメー!!!!」 「……へ?」 ふわふわした夢心地の中、蘭の声が届いた時には、既に“それ”は快斗の口の中だった。 「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!??」 口の中に広がった、摩訶不思議な味。甘いはずだと脳が予期していたのに、それを盛大に裏切る味覚。 (これは……!!) まさか、まさかとは思うけれど、まさか…! 「え…?蘭、一体どういう……」 「アホォォオオオ!!!」 ずどんっ、と後ろから放たれた拳が、見事にを吹っ飛ばした。混乱した頭で吹っ飛びながら、ただただ疑問が駆け抜けていく。…快斗には何が起きた?…ついでに、自分にも何が起きた? 「よっ…と。和葉、手加減したれやー」 宙を舞ったを軽々とキャッチして、平次が和葉(勿論吹っ飛ばした張本人だ)に声を掛ける。 「せやけどなァっ、、よりによって…!!」 動けずにいる快斗の持っている皿の上から、新一が生クリームを軽く指につけて舐めた。…途端、顔を顰める。 「……オメー、これ、塩入れただろ」 「…は?塩……?」 無事廊下に降ろされ、が頭の上にでっかいクエスチョンマークを浮かべる。蘭と和葉は、深く深くため息をついた。 「…あのね、。さっき、生クリームがものすごくあわ立ってたでしょ」 「え?う、うん……」 「あれなァ、砂糖やのーて塩やったんや。」 「は」 …つまり、自分は。 快斗に、塩入り生クリームを乗せたマドレーヌをプレゼントしてしまったことになる。 「う…うわぁぁぁぁぁぁあああああんっ!!」 (いやいや泣きたいのはこっちだよ!!) 泣きながら走り去ったを涙目で見送りながら、快斗が心の中で叫ぶ。この状態になって尚、が作ったものを吐き出すことを拒否する自分の体がいっそ笑えた。 「…なんてゆーか」 「先は長い、ね……。」 「ほら快斗、立てるか?水飲みに行くぞ」 「もなァ、ちょーっと方向性間違うとるからなァ」 …そんな思い思いのセリフも、口の中がワンダーランド状態の快斗の耳には届くべくもなかった。 ---------------------------------------------------------------- BACK |