すたすたと歩き去ってしまった快斗を慌てて追ったが、角を曲がったところに既にその姿はなかった。 曲がり角の横に見えるのは、「保健室」の文字。 (今の時間って授業中だし…いきなり入っていったら養護員の先生驚くだろうなぁ…) そうは言っても、快斗がここに入っていったのは間違いない。仕方なく、おそるおそる扉を開けた。 「失礼しまーす…」 「あ?」 を出迎えたのは、優しい養護員の声ではなく、不機嫌な快斗の声だった。…上半身裸で、こちらに背を向けて。 「うっ、うわぁぁぁぁぁあっ!?」 がたんっ、と退いてしりもちをついたに、振り返った快斗が憮然とした表情のまま言う。 「…なんだよ」 「なんだよ、って…怪我したと思ったから、心配で…」 快斗が不機嫌なのは明らかだった。だが、その原因が分からない。 それでは謝りようもないので、なんとなく押し黙ってしまう。 「…心配してんならさ」 しばらく沈黙が続いてから、快斗が言いにくそうに切り出した。 「背中、薬塗ってくんねーか?…先生、会議中でいねーんだよ」 「あ…うん!」 慌てて立ち上がると、急いで快斗のもとまで行く。ひどい怪我ではないが、赤くすりむけていて痛そうだった。 「…ごめん、快斗」 「へ?」 塗り込まれる薬がしみるのに耐えることに必死になっていた快斗は、とっさに間の抜けた声を上げてしまった。 「だから、私が知らなかったからこんな怪我しちゃったでしょ?…だから、ごめん」 「あ…いや…」 …ささくれだっていた気持ちが、みるみる癒されていく。我ながら単純だと、心の中で苦笑する。 「はい、治療終了っ!」 そう言うと、は快斗の背中をぺちっと叩いた。 「いてぇっ!?おいこら、てめっ…」 顔を上げて、快斗はきょとんとして目を瞬かせた。…の頬が、ほんのりと朱に染まっていたのだ。 「…どうかしたのか?」 そう言った快斗の頭の上に、バサッと何かがかけられる。 「うわっ!」 「服を着なさい、服を!」 …制服だった。 「へいへい…」 そっぽを向いているを横目に、快斗は制服の袖に腕を通した。ちらりと窓の外を見やると、暗雲が垂れ込めていた。…天気予報が正しければ、今日は雷雨になるはずだ。 (めんどくせーなー…) ロッカーに放り込んである折りたたみ傘で、果たして乗り切れるだろうか。 そんなことを考えながらボタンをすべて留め終わったところで、いきなり窓の外が明るくなった。 カッ!! 「うわっ」 ドーンッ!! ゴロゴロゴロ… 天を横切る稲妻に、大地を引き裂くようなすさまじい雷鳴。…やがてどしゃぶりになるだろう。 「おい、おめーちゃんと…」 傘、持ってきたか? そう聞こうと、くるりと振り返って軽く目を見開いた。さきほどまでそこにいたはずのの姿が、こつぜんと消えていたのだ。 「!?おい、どこに…!」 快斗が慌てた声を上げると、「ここ…」と蚊の鳴くような声が返ってきた。声は、少し離れたところにあるベッドの中からだ。 「…?」 掛け布団をそっとめくると、両耳を塞いで縮こまっているの姿が目に入った。…いつもの強気な彼女からは、想像もつかない。 「一体、どうし…」 ドーンッ!! 「きゃっ…!」 再び襲った雷鳴に、快斗が窓の外に目をやっていると、背中に激痛が走った。 「いっ…!?」 「ご、ごめ…」 痛みの原因が、が背中に手を回して抱きついているからだとようやく気付き、カッと紅潮する。…が、単純に喜んでいる場合ではない。の様子が変なのは、一目瞭然だ。 「…雷、怖いのか?」 そっと髪を梳きながら聞くと、は黙って小さく頷いた。必死にしがみついてくる彼女の体が、小刻みに震えているのがわかる。…誰にでも、怖いものの一つや二つあるのだ。 「ごめ…もう少し、このままで…」 このままで、いさせて。 そう言ったを、快斗は無言のままぎゅっと抱きしめた。そのまま、ベッドの上に転がるようにして横になった。 「ぅわっ…」 瞬間、体を硬くしたの耳元で、そっと囁く。 「何もしねーから大丈夫だよ。…雷がおさまるまで、こうしててやるから」 「…うん、ありがと、快斗…」 強く抱かれて、不安でいっぱいだった心が落ち着いていくのを感じる。…快斗の鼓動が間近で聞こえ、それを聞いている内にいつのまにか眠ってしまっていた。とても、とてもあたたかな気持ちで。 「……ん」 ゆっくりと、瞼を開く。頭の上にあるスピーカーから、『下校の時刻です』と生徒会が放送しているのが聞こえた。 「…って、何がどうなって…」 布団から抜け出そうとして、ようやく自分が抱きしめられていることに気付いた。自分の顔のすぐ横に快斗の寝顔があり、は目を見開いた。起こさないよう、そっと腕を解いてベッドから抜け出すと、はへなへなと座り込んだ。 「雷が…鳴って、それで…」 怖くて、しがみついて、 「…恥ずかしい」 真っ赤になった頬に手をやりながら、窓の外を見やる。雷雨は通り過ぎたのだろう、綺麗な夕焼け色だ。 (授業さぼっちゃった…怒られるかな。新一あたりがうまく誤魔化してくれてるといいんだけど) ベッドサイドに腰を下ろし、手をつくとそれを快斗がぎゅっと握った。 「っ!?」 「オレが…ついてっから、しんぱ…す…な…」 「………っ」 ばっ、とその手から抜け出し、は保健室を飛び出した。戻ってきていた養護員が目を丸くしていたが、知ったことではない。 バンッ! 空き教室に駆け込むと、そのままの勢いで扉を閉める。 「はぁっ、はぁっ…そんな、まさか…私っ…」 …心臓が、早鐘のように鳴っていた。 ---------------------------------------------------------------- BACK |