図書室





確かめたい。 確かめたくない。

会いたい。 会いたくない。

相反する二つの気持ちは、どちらも本物。





「…っ、はぁっ…」
必死に走ってきたために乱れた息を整えると、意を決し、そっと図書室の入り口を開く。…が、一歩を踏み入れたところで、はぴたりと止まってしまった。
何も考えず、とにかくここまで夢中で来てしまったが…これからどうしよう?
「…、何しとんの?」
「さぁ…大方、何も考えてなかったってところだろ。あいつらしいけど」
四人がこそこそと柱の陰で会話をしていると、横を不審そうな顔をした生徒が通り過ぎていく。…が、平次の顔を見つけると、かっと目を見開いてこちらへ走ってきた。
「? 何…」
蘭が疑問を口にしようとした瞬間。
「服部ィ!てめぇ、また昼練サボるつもりか!遠山も、服部の奴を見張っとけっつっただろ!」
「あかん、剣道部の奴や!」
「アタシも悪いんか!?」
逃兎の如く走り出した二人を、声をかけた生徒がなかなかのスピードで追っていく。…あの調子では、昼休みが終わるまで続くだろう。
「…行っちまったな」
「そうね…」
ちらと後方に視線をやってから、蘭が苦笑する。新一はまだ気付いていないようだが…面白そうだから、放っておこう。
「? おい蘭、どうかし…」
「きゃあああ!!工藤先輩ぃぃ!」
「ゲッ…」
蘭をたてにしようとするが、あっさり逃げられる。…校内どこでも、新一を見つけ次第アタックしてくる熱烈なファンだ。
「工藤先輩!今日こそ私の想いを…」
「悪ぃ、また今度な!」
ばっ、と身を翻して走り出した新一を追って、数人の女の子たちが横を走り去ってゆく。それを見送ってから、蘭は図書館の入り口に目をやった。
(…デバガメ隊はいなくなったわよ。しっかりね、
小さくエールを送ると、自分もその場を後にした。
「…すごいね、本当にいなくなっちゃった」
「んっふっふ、まぁね。服部くんや工藤くんがここにいるって言えば、飛んでくるアテなんていくらでもあるもの」
蘭たちが隠れていたのとは別の柱の陰から、ふたつの人影が姿を現す。
「やっぱー、幼馴染みとしてここは協力してあげなくちゃね!」
…言ってガッツポーズを決めたのは、隣のクラスの青子だった。
「さぁ恵子、次の授業は実験室だから早めに行こ!」
「え?見ていかないの?」
きょとん、とした表情の恵子に、青子がウィンクして言う。
「あとはお若いお二人で、ってね!」
言うが早いか、恵子の手をつかむとあっと言う間に図書室を後にした。





(…とにかく、入んなきゃ。こんなとこにいたら邪魔だし)
そっと周囲を窺いながら、少しずつ奥へと入っていく。快斗の姿は、まだない。
(おかしいなぁ…いないの、)
いないのかな。
そう思い、Uターンしようかとした矢先。
見慣れたボサボサ頭が、視界に入る。本棚の奥に位置しているその机は、外からなかなか見えない、勉強するには最適の場所だと前友人が話していた。
…そこに、彼はいた。
両側に積み上げた本に埋まるように突っ伏して、規則正しい呼吸を刻んでいる。
(…なに読んでるんだろ?)
元気に走り回っている普段の快斗からは、想像がつかない。ハードカバーばかりのようだし、大分くたびれた背表紙も目に入る。
快斗の腕の下にも、開いたままの本があった。そっと覗き込めば、淡い翠色の大きな宝石の写真が目に入る。両側に積まれた本も、宝石に関するものばかりのようだ。一冊、手に取って中を見てみる。世界中の宝石が、細かい説明とともに並んでいた。
「意外…光り物とか、興味あったんだ」
誰かにプレゼントするのだろうか。
そんなことを考えると、締め付けられるように胸が苦しくなった。…一体、自分はどうしてしまったのだろう。
本から視線をずらせば、自然と快斗の寝顔が目に入った。
(…目に、髪の毛かかってる)
無意識の内に、はそっと快斗の前髪をかきあげていた。
「……ぅ、ん」
「っ!?」
快斗の眉がかすかにしかめられ、声が漏れる。はっと我に帰ると、は慌てて手を離し、本棚の陰に隠れた。…うるさいくらいに鳴り響く心臓の音が、聞こえやしないかと。ぎゅっ、と強く目を瞑る。
(私…今何してた!?何を、何をしようとしていたの…!?うわああ恥ずかしいっ…!)
動くこともできず、その場に立ち尽くしたまま本棚に背を預ける。
一方快斗は、意識がはっきりしない状態のまま、うっすらと目を開けていた。
……――――?」
寝起き独特のかすれた声で、小さく呟く。ぼやけた視界に、彼女の姿はない。
(…いるわけ、ないか)
何を期待しているのだ、自分は。
開いたばかりの瞳を、再び閉じる。眠気はなくなっていたが、もう少し浸っていたかった。…今見ていた、夢に。
(…不思議、だな)
ただの、夢のはずなのに。
彼女の優しいにおいに包まれていたような、そんな感覚が残っている。ゆっくりと身を起こし、ぐるりと周りを見渡してみた。…人影は、ない。
「…いるはず、ないって」
自分に言い聞かせるように呟くと、キィと小さく椅子を軋ませて立ち上がった。
「本、返さねーと…」
元あった場所に戻そうと、手を伸ばしかけてぴたりと止まる。…一番上に置いてあった本の位置が、微妙にずれていた。
(まさか)
まさか、まさか。
はやる鼓動を落ち着かせようと、深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。まさか、本当に?
奥の本棚にそっと身を寄せ、もう一度深呼吸をする。ひときわ大きな本をそっと本棚から抜き出すと、見慣れた彼女の後ろ姿が目に入った。
(…マ、ジ?)
信じられないような思いで、そっと手を伸ばし、髪に、触れてみる。
「ぅわっ!」
ふいに髪に触れられ、は飛び上がった。慌てて振り返ると、本の隙間から見える快斗と、ぱちりと目が合った。
「かっ…快斗っ!?」
「…本物の、だ。」
夢の中の彼女と変わらず、困ったような、照れたような顔をして。真っ直ぐ自分を見つめている、澄んだ瞳も同じだ。
「すげーな。夢の中から、が出てきた」
自分は今、相当だらしない笑みを浮かべているのだろう。わかってはいたが、どうしようもなかった。
「……へ?」
が疑問符を浮かべている隙に、快斗がぐるりと迂回してこちら側へやってきた。
「行こーぜ。五限が始まっちまう」
手早く本を元の場所へ返すと、快斗がぎゅっとの手を握って走り出す。
「……うん!」
心臓の音がやかましかったが、気持ちは不思議と落ち着いていた。先ほどまであんなに不安定だったのが、嘘みたいだ。



快斗といると楽しい。
快斗といると、なんだか幸せな気持ちになれる。
すごく…安心する。

―――……今は、それだけで十分だ。




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