某月某日、森の中の古びた屋敷で殺人事件発生。被害者は家主の古くからの友人、39歳の独身男性である。 この屋敷の主人は、昔から建っていたこの家のデザインがえらく気に入って、そのまま買い取ったのだという。良家の息子で金には困らなかったらしいが、かなり年季が入っており、別段変わったデザインでもなく、特に豪奢な造りをしているわけでもない。周囲の人間はこの古びた家の一体何が気に入ったのかさっぱりわからなかった。 …今日、までは。 「お待たせしました」 「おお工藤君!待っとったぞ」 「すみません、遅れました。あと…その、成り行きでコイツまで付いてきちゃったんですけど」 新一の後ろからひょい、と顔を覗かせたに、目暮は一瞬きょとんとしたが、別段文句を言うでもなくそのまま続けた。 「なに、構わんよ。君も工藤君のおかげで現場には慣れてしまっただろう?」 「あ、あはは…」 (好きで慣れてるんじゃないんだけど…) 新一と一緒にいると、とにかく事件に巻き込まれることが多い。二人で会っているときに、はたまた学校の帰り道に、こんな風に呼び出しを食らうのも日常茶飯事で。ちなみに今日は、新一の家で中間試験を控えての勉強会の最中だった。 目暮と顔を会わせたのも一度や二度ではない。…そして悲しいかな、目暮の言うとおり耐性ができてしまったのも事実だった。 「こんな夜中に呼び出してすまなかったな。タクシー代はあとで支払うよ」 「いえ、それは構わないんですが…なんですか、この現場は」 不審そうな新一の声に、目暮は弱りきった顔で続けた。 「…この家はからくり屋敷になっておるのだよ」 「からくり…?」 不思議そうに聞き返したに、目暮は手帳を取り出して説明を始めた。 「もともとこの家は、江戸時代に建てられたものらしくてな。元の住人も、からくり屋敷になっていた理由もわからんのだが…あちこちに仕掛けがあるのだよ。ここの主人はそれが気に入ったらしい」 「…仕掛け、ですか…」 大広間の端と端に向かい合うように設置された、二枚の大きな鏡。被害者が倒れているのは、その内の横に時計が掛けられている方の鏡の中だった。…いや、正確に言えば、こちらに向かって扉のように開いた鏡の、その内側の部屋に倒れているのだ。 「しかしどうして被害者はそんなところに…」 「ワシにもわからん。ここにいたメンバーも、誰も彼を誘ってはいないそうだ。おお、そういえば今日のパーティーの様子を映したホームビデオがあるが…見てみるかね?」 「はい」 目暮の言葉に、新一はすぐ頷いた。 「…このへんまではなんの変哲もない、ただのビデオだよ」 「そのようですね」 「この人たちは今どうしてるんですか?」 の疑問に、目暮はさらに奥の部屋を指差して言った。 「簡単な身体検査の後、向こうの部屋で待機してもらっとるよ。もっとも、凶器は現場に落ちていたありきたりな包丁だからあまり意味はないがね。指紋も残っていなかった」 「そうですか…」 せっかくのパーティーだったのに、かわいそうだなあ… そんなことを考えながら、は再びビデオのほうへ顔を向けた。 新一にくっついて来ているからといって、別に推理ができるようになったとか、そういったことは特にはない。の場合、現場に来たところですることもなく、ただぼーっとしていることが多かった。たまに新一の手伝いをすることはあったが。 『え?ちょっ、なに?』 『停電だな』 見ていた画面が、唐突に闇に包まれる。 (今…今、殺人が起こってる) そう考えるだけで、ぞっとした。…見えない闇の向こうで、鈍く光る包丁で、人が… ぎゅっ。 「…え?」 自分の肩に回された、新一の腕。相変わらず顔はビデオのほうを向いたままだったけれど… 「…ありがと」 「ん」 小さな優しさが、嬉しかった。こうしてもらうだけで、胸の内の恐怖や不安が消えてしまう。 『ちょっと、まだ…』 『ブレーカーはどこにあるんだ!』 『誰よ、足踏まないで!』 ひとしきり騒々しい声が聞こえた後、ようやく電気がついて… 『きゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!』 …死体が、鏡の中から半分身を乗り出す形で倒れていた。ちなみに今は鏡の内側に安置してある。 ちらりと横を見れば、新一が黙ったまま何かを考え込んでいた。 「…新一?」 まさか、今のでもう? 「、ちょっと調べたいことがあんだけど…付き合ってくんねーか?」 「別に、いいけど…」 「じゃあ、先に大広間に行っててくれ」 「え゛」 …死体がある、あの部屋に? 「この廊下の突き当たりだよね…」 おそるおそる、壁伝いに歩いていく。新一は目暮警部となにやら話してから行くと言っていた。 「まったく、もっと明るくならないのかな…」 ぶつぶつ言いながらも歩いていると、左手の壁の感触が、突然変わった。 「へ?」 ガコンッ。 「きゃぁぁぁぁぁぁ!?」 くりんっ、と壁が反転し、気づいたときにはその壁は完全に閉まっていた。 「な…なにこれ…?」 ここは忍者屋敷なわけ!? 憤ったところで、閉じた壁はいくら叩いても開きそうにない。仕方なく、ほとんど足下も見えないような暗闇をおそるおそる歩きだした。 (新一めぇ…なんかあったら化けて出てやるからね…覚悟しときなさいよ) なんて心の中ではいきがっていても、とにかく暗いわどこだかわからないわで不安この上ない。そのまま少し歩いていると、やがて何かに蹴躓いた。 「なに…?って、うっうわぁっ!?」 ずざざざざっ、と可能な限り飛びすさり反動でしりもちをつく。 「な…な…なんでっ…!?」 …そう。が躓いたのは、鏡の中に安置してあるはずの死体だった。 「…いったい何がどうなってっ………え?」 ふいに、死体の向こう側が四角にかたどられ明るくなった。やがてそこへ、新一と目暮の姿が現れる。新一は先に来ているはずのを探しているのか、辺りを見回していた。 「! そっか…あの廊下の隠し通路と鏡の中の部屋は繋がってたんだ…!」 今まで広間の明かりが消えていたから、気づかなかった。 新一に向かって懸命に手を振るが、全く気づかない。こちらからはこんなにはっきり見えているのに…。 「どうなってるの…?」 そこでようやく気づいた。…これは、マジックミラーだ。中からは外の様子がよく見えるのである。 それを伝えようと、おそるおそる死体を乗り越え、ギィ…ときしませながら鏡を開ける。 「…新一っ!」 「…!?心配したぞ、大丈夫だったか?…って、おめーなんでそんなところから…」 たたたたたっ、とこちらに向かって走ってくる新一に、はちょいちょいと手招きして鏡の中へ誘う。 「ね、新一、これマジックミラーなの!もしかして、事件になにか…」 そこまで言って、新一を見やる。 「…さんきゅ、」 「え?」 「謎は解けたよ」 言って、軽くウィンクする。鏡の扉を開くと、新一は目暮に向かって言い放った。 「警部。奥さんを連れてきていただけますか?」 「犯人が分かったって本当かしら、探偵君?」 新一に呼ばれてやってきたのは、この家の主人の妻だった。豪奢な赤いドレスは、床を引きずるほどに長い。 「ええ、そうです。…奥さん、犯人はあなただということがね」 「なっ…!」 絶句した彼女に負けず劣らず驚いた目暮が、慌てながらも新一に説明を求める。 「ど…どういうことだね、工藤君?」 「わかってしまえば簡単なことでした。今日の宴会は明日の朝まで続くはずだった…そうですよね?」 「ええ、そうよ…それが何だっていうの!?」 ヒステリックに叫ぶ彼女を一瞥してから、新一は言葉を続けた。 「おそらく彼をここへ呼んだ口実はこうだ…『夜中、いきなり登場して皆を驚かせないか?』」 そのセリフに、の目から見てもはっきりと、彼女が青ざめるのがわかった。 (どういうこと…?) 新一と同じものを見て、同じものを聞いたはずなのに自分にはさっぱりわからない。…ここは大人しく続きを聞くことにしよう。 「この家のご主人の妻であるあなたなら、当然このカラクリは知っていたでしょう。そして、深夜の一時に明かりを消して鏡の中から彼が出てくる…そういった算段だったんでしょう」 そこまで言って、新一はすたすたと鏡の方へと歩み寄った。 「警部、こちらへ」 キィ…と鏡の扉を開き、がしたのと同じようにちょいちょいと手招く。 「ここから向こうの鏡が見えるんです。そこにほら、この鏡の横に写っている時計が映って…」 そう。鏡に映った時計は、当然ながら反対向きに映るのだ。 「…つまり、彼女は本来深夜の1時に、彼が現れる…電気が消えたその瞬間に殺人を決行するつもりだったんですよ。ところが彼は、この反対に映った時計に騙されてしまった。1時ではなく、11時の段階で電気を消してしまったんです。ビデオで彼女が言っていたあのセリフ…後半はかき消されていましたが、『ちょっと、まだ…』は“まだ早い”と咄嗟に口走ってしまったものなんですよ」 (そっか…!) 新一が、鏡の中から外を見たあの瞬間。そのときに、それを見破っていたのだ。 「すごいっ、さすがは新一っ……!?」 視界の端で小さく動いた、赤い点。この部屋にある赤と言ったら、それは彼女が着ている服以外には無くて…… 新一や目暮からは、鏡の扉が死角になって気づいていない。 「………だめええええぇぇぇぇっ!!!」 決して走るのは速くない。それでも、とにかく止めなければ。その思いが先行する形で、普段よりもずっと早くは広間を突っ切った。 「ちょっ…!?」 右手に持った小さな小瓶。彼女が今まさにそれを口に運ぶ寸前で、はその右手に飛びついた。勢いを殺せないままに、もんどりうって2人で団子状になって転がる。 「!?どうし……」 慌てて新一が駆け寄って、そこで床にぶちまけられた液体に気が付いた。 「…これは……」 「…身体検査をしたあとに身に付けたということは、あの部屋の中にあったということか…!くそ、迂闊だったな…最初から死ぬつもりだったのか?」 そう言いながら、目暮がぐっと彼女の腕を引っ張って立ち上がらせる。憔悴しきった彼女の顔に、すでに豪邸の妻の面影は無い。 「…昔読んだ推理小説でね、たまたまうちに同じトリックができる鏡があったから…」 そこで、自嘲的に笑みを浮かべる。 「…まさかあの小説と同じオチが付くとは、思わなかったわ…」 「…っはぁっ、はぁっ……」 涙目になって立ち上がったを、新一は強く抱きしめた。 「…しっ、新一っ…」 「ああ」 「…新一、前…言ってたよね?」 「…ああ」 「推理で犯人を追い詰めて、死なせちゃいけない、って…」 「…ああ」 「だから、だからっ……っ!」 「…うん。サンキュ、」 ぐしゃぐしゃと髪を混ぜ、を自分の胸に強く押し付ける。彼女のこぼす、優しい涙を… 残さず、受け止めたかった。 「証拠はあったの?」 結局あのあと、はあの場からは退出し、別室で新一の帰りを待っていた。割と間をおかずに戻ってきた新一に、ずっと気になっていた疑問をぶつける。 「ああ。死体の周りの血が、数箇所こすれたみたいになっててな。奥さんの赤いドレス…赤だから、皆気づかなかったんだよ。あの裾に血が付いてた。着替える暇はなかったしな」 「そっか…」 動機も気になったし、彼女との関係も気になったが…今は聞きたい気分ではなかった。 「けどすごいね、新一!あんなにあっさり…」 「まあ…あの奥さんが言ってた小説、オレも読んだことあったしな」 「けど新一だったら、読んだことなくても解決できたでしょ?」 一瞬きょとんとしたが、すぐに自信満々に返す。 「…バーロ、ったりめーだろ?」 「なによー、調子に乗っちゃって!」 ひとしきり笑いあってから、新一が「そういえば」と腕時計を見る。 「いつの間にかとんでもない時間になっちまったな」 新一の声に、テーブルの上に乗っていた小さな置時計を見やる。時計の針は深夜の3時を示していた。 「…どーする?」 こちらを見て聞く新一に、は困ったように返す。 「どうする、って言ってもなぁ…」 今日は新一の家に泊まりこみの予定だったから、親はもともと心配していない。今から帰って寝る…というのが最善のような気もしたが、帰宅してからでは2,3時間しか眠れない。そうなると、もういっそ寝ないでいたほうが楽なように思えた。 「じゃあ、ファミレスで一夜を明かすとか…」 家に帰ったら寝ちゃいそうだし…とが続けると、新一も満足そうに頷いた。 「それが妥当だな。朝まで何を語る?愛とか?」 「…………馬鹿。」 「冗談だよ。…さて、行くか!」 外に出ると、夜空には星が瞬いていた。郊外であるこの辺りでは、都会では考えられないほど多くの星が見える。 「…綺麗」 「そーだな…」 「…って、おわっ!?」 上ばかり見て歩いていたが石に躓いたのを、新一が抱きとめるようにして支える。 「…ったく、大丈夫か?そんなんでこれから先もオレの助手が務まるのか不安だな…」 「……へ?」 新一はにっと笑って続ける。 「これからもよろしく頼むぜ、ワトソン君?」 そのセリフに、も笑顔で答えた。 「…ラジャー、名探偵。」 2004.8.26 ---------------------------------------------------- Minkさん、リクエストありがとうございました!! お待たせしてしまって申し訳ありませんでした…! ちなみに目暮警部、当サイトではこれが初登場です(笑) ※トリックは三毛猫ホームズシリーズを参考にさせて頂きました。 BACK |