約束の言葉





入学式に、恋をした。





「黒羽先輩?」
「うん。ほら、入学式のとき、マジックやってた人」
「…あー。そういえばいたね。その人がどうかした?」
「あそこに、いる」
そう言うと、はゆっくりと窓の外を指差した。校庭では、サッカー部が放課後の練習を行っている。
「サッカー部?」
「ううん。気分によって、あちこち行って遊んでるみたい。自由な人だね」
窓から入ってきた風が、髪を撫ぜて去っていく。五月の風は、どこまでも爽やかだ。…そう、もう、五月になってしまったのに。
(まだ…一言だって話せてない)
入学式の日に、在校生代表として舞台に上がった黒羽快斗先輩。新入生を歓迎する言葉を述べた後、見事な手品を次々と披露して見せた。その手品のあまりの素晴らしさに、しばらく自分は我を忘れて見入っていたのだ。そして、一体どんな人物がこんな手品を披露しているのだろうかと、視線をずらして。
(あの、笑顔が…)
その時見た、手品を見せているときの、本当に楽しそうな笑顔が。脳裏に焼き付いて離れないのだ。
「好きなんだ?」
ぽーっとしているを見て、友人がからかいながら聞いてくる。
「や、えと、うーん…あはは、どうかな」
すき、なのかな。
きっとそうなんだろうと思うけど、認めてしまうと苦しくなる。1年生の自分、2年生の彼。接点を持つことすら難しい。
(こうやって…)
遠くから見守っている内に、月日が過ぎて、黒羽先輩は卒業していってしまうのだろう。視線を交わすことすら、ないままに。
…そうなると、本気で思っていたのに。





「あ」
それは、突然の出来事だった。
「えーと…その、待って!そこの地図持ってる子。1年生!」
「え?」
周りをきょろきょろ見回してみても、自分以外に1年生は見当たらない。それもそうだろう、ここは2年生のクラスがある廊下なのだから。それ以前に、身の丈以上の地図を持って歩いている人間などそうそういない。
「ごめん、急に。君、社会科係なんだ?」
「っ!」
後ろから声をかけてきた人物を視界に入れた瞬間、は目を見開いた。そして、全く面識が無いにもかかわらずごく自然に呼んでしまったのだ。
「…黒、羽先輩…」
「え?オレの名前、知ってるの?」
きょとん、として言った快斗に、慌てて弁解する。
「あ、あの、入学式のとき、て、手品、を…」
「あ、そうそう!それそれ。そのことでさ」
言いながら、ひょいっとが持っていた地図をさらって担ぎ上げる。
「あ…」
「いいよ。これ、社会化準備室に持っていくんだろ?ちょっと話がしたくてさ」
にこにこ笑って言う彼は、本当に長年あこがれていた黒羽快斗なのだろうか。信じられない光景に、思考が追いつかない。それでもなんとか言葉を振り絞って、快斗に問い掛ける。
「あの、お話って…?」
「あ、うん。入学式のときさ」
ぽんっ、と軽い音がして、目の前に小さな、真紅の薔薇が現れた。
「わ…!」
「…そう、入学式のときさ。舞台の上からって、結構下のほうが見えるんだけど…」
そこで、ちょっと照れたように空いた片手でがしがしと頭をかいてから続けた。
「なんか、君が、ものすっごいきらきらした目でこっち見てたから、なんだかちょっと嬉しくなっちゃって。やっぱりマジシャンとしては喜んで欲しいからさ。お礼が言いたかったんだよ…サンキューな」
そう言ってこちらに向けてくれた笑顔は、焦がれてやまなかったもの。
「そんな…お礼を言いたいのはこちらのほうです!あ…あんなにすごい手品見たの、初めてだったんです。それで私もう、夢中になっちゃって…それに、黒羽先輩が…」
そこまで言って、はっと言葉を切る。そこまで言ってしまったら、自分の気持ちに気付かれてしまうのではないだろうか。
「ん?オレが、なに?」
とん、と地図を床に置き、快斗が問い掛ける。いつも遠くに感じる社会科準備室に、こんなに早く着いてしまうとは思わなかった。
「あ、の…く、黒羽先輩の笑顔が、すっごく輝いて見えて、素敵だな…って。」
「…オレが?素敵?」
きょとん、としたように言ってから、快斗がはにかんだような笑みを浮かべた。
「そんなこと言われたの、初めてだ。いつもバ快斗だとかそんなんばっかだからな。照れくせーなぁ」

キーン コーン カーン コーン…

「あ、やべ!オレ、次体育なんだ。ここからならもう運べるよな?」
そう言って、地図帳へと視線を走らせる。
「大丈夫です。本当に、ありがとうございました!」
この時間が終わってしまうのは名残惜しかったが、自分も次の授業がある。早くこの地図帳を返して、1年生のクラスがある下の階まで戻らなければならない。
「あ、そうだ!えーと…」
「え?」
ドアノブに手をかけていたに、快斗が早口で問い掛ける。
「名前!オレ、まだ名前聞いてなかった」
「あ…です。
「オッケー!」
既に走りながらだったため、快斗は10mほど先にいた。そこに向かって、聞こえるように少し声を大きくして言ったのだが。
「またなー、ちゃん!」
「えっ!?…あ、はい…………え?」
呆けているうちに、快斗の姿は教室の中へと吸い込まれてしまった。がやがやとした喧騒が、遠くで聞こえる。…今、彼は、なんと言った?
(またな…?)
何気なく言っただけかもしれない。深い意味はなかったかもしれない。けれど、それでも。
「また…また、お話できるのかな」
“じゃーな”でも良かったはずなのに。大きな地図帳をぎゅ、と抱きしめ、早鐘のように鳴っている心臓が収まるのを待った。


“また”

…それは、再開の約束。



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うちの高校では社会科係が、本気で身の丈以上の巨大な地図帳(黒板にかけるタイプ)を授業のたびに持ち運びしてたんですよー…わかりづらかったらすいません。現段階では快斗君、ただの可愛い後輩くらいにしか思っていません。これからがさんの頑張りどころですよ(笑)
みんくさん、リクエストありがとうございました!!

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