2時間目





、危ないっ!!」
「…え?」
なにが、と問おうとした瞬間。
鈍い衝撃を後頭部に感じ、は意識を失った。





(……あ、れ)
自分がどこかに横になっているらしいことに気付き、はゆるゆると目を開けた。視界に入るのは、白いカーテンと白い天井。とっさに病院を思い浮かべてから、もうひとつの可能性に思い当たる。
「目、覚めたか?」
「…黒羽、先生」
カーテンの陰から現れた人物に、は自分の考えが当たっていたことを確信した。ここは、保健室だ。
「あの、私、どうして…」
保健室に近付かないようにしようと、決心したばかりだったというのに。1時間目のことが引っかかってはいたが、今は現状把握を優先したい。
そんなの意図を察してか、ベッドサイドに腰を下ろしてから、快斗が説明しだした。
「軽い脳震盪だよ。そのまま寝てれば大丈夫だ」
「の…脳震盪…?」
なんでまた、自分はそんな聞き慣れない状態になっているのだろう。
眉をひそめているに向かって、快斗が順を追って説明しだした。
「…オメー、工藤に言われて資料をとりに英語の準備室に行っただろ?」
「あ……」
そういえば、そうだった。
先週、「授業開始前にプリントを配りたいから」来るよう言われ(私はこれでもクラス委員長だ)、それを取りに行って。
(工藤先生がいなくて…そのへんの椅子に座って待ってて…)
その後の記憶がない。待っている時に、何かあったのだろうか。
「…オメーの頭の上に、棚の上に乗ってた段ボール箱が落ちてきたんだよ。で、意識を失ったってわけだ」
「はぁ…」
またなんとも、情けない。危険を伝えてくれた声が、工藤のものだったことは記憶している。だが、その先は…
「…で、工藤がここまで運んできた」
そう続けた快斗に、は微かに頬を染めた。…一体、どういう運ばれ方をしたのだろう。
「こんな…」
「きゃっ、」
ふわっと体が宙に浮き、短い悲鳴が漏れる。気付いた時には、快斗に抱き上げられていた。
「…風に、な」
いたずらっぽくウィンクしながら言った快斗に、は必死になって抗議した。
「おっ…降ろして、下さいっ…!」
「わーってるよ。…ゆっくり、休めよ」
そっとをベッドに戻すと、髪を梳きながら言う。黙ってこくこく頷いたのを確認してから、快斗はもう一度微笑んで仕事に戻っていった。
(…びっくり、した)
“お姫様だっこ”なんて、一生縁がないと思っていたのに。新一…工藤先生にもああして運ばれたのかと思うと、また頬が紅潮してきた。
「…寝よ。」
考えれば考えただけ、恥ずかしくなったり照れたりしてしまう。忘れていた後頭部の痛みも復活してきた。
ぼふっ、と布団をかぶり直すと、は目を閉じた。





「…だから、オメーにそんなこと言われる筋合いはねーっつってんだろ」
「うるせーな。何度でも言うぜ、黒羽。…オレのクラスの生徒に手ぇ出してんじゃねーよ」
「ほー。つまり、オメーの持ってるクラス以外なら構わないと?」
「あぁ。…というか、コイツ以外なら構わねーよ」
「はっ。教師の台詞か?それ」
「お互い様だろ?」
(……ん…)
遠くで聞こえる会話に、はゆっくりと目を覚ました。まだ起きたてで朦朧としている頭で、ぼんやりと会話を流し聞く。何を話しているかまではよく聞こえなかったが、なんとなく穏やかな雰囲気でないことは分かった。
(黒羽せんせ…と、工藤先生…?)
もぞもぞと寝返りを打つと、うっすらと目を開ける。カーテンの隙間から、快斗の白衣の裾が見えた。
(えーと…ああそうか、私、英語の準備室で倒れて、運ばれて…)
徐々に覚醒してきた頭で現状把握をし、壁に掛かっている時計を見やる。2時間目が、あと15分ほどで終わる時刻だった。なんだかんだで寝入ってしまったらしい。
「…で。は大丈夫なのか?」
「ああ。軽い脳震盪だよ…目を覚ませば、もうどうってこともないだろ」
「…そうか。良かった」
ベッドへ近付く足音を感じ、は反射的に目を閉じて寝返りを打った。
「…まだ、寝てるか?」
「あぁ。…そう、だな」
二人の声音を聞き分けるのは、容易ではない。だが、にはなんとなく後者が新一であると分かった。…声音に微かに含まれていた、違う色にまでは気付かなかったが。

トゥルルルルル…トゥルルルルル…

突如響いた電子音に、快斗が身を翻す。内線での電話だった。
「…はい、黒羽です。……え?あ、はい。はい…わかりました。今からそちらに向かいます」
ひとしきりやりとりを行った後、受話器を戻す無機質な音と共にため息が聞こえた。
「…生徒が教室で倒れたそうだ。行ってくる、けど…」
じろりと新一を睨みつけ、「手ぇ出すなよ」と無言で制す。
「…ご心配なく。いくらなんでも、寝込みを……はしないさ」
は聞き耳をたてていたが、真上の教室で早めに授業が終わったらしい。ガタガタという椅子や机の音にかき消されてしまった。
…そう言って肩をすくめる新一を一瞥し、快斗が乱暴に扉を閉めて出ていく。それを見送ってから、新一は小さな声で呟いた。
「…本当に寝ているなら、ね。」
(っ!)
話の流れが読めず、ただただ固く目を閉じていたが小さく身を震わせる。
…本当は寝てない、ってばれてる!
(なに?なに?何なの?よくわかんない…けど…とりあえず)
寝たフリをしよう。
そう決め込むと、はカーテン側…新一が立っている方へ背を向け、身じろぎもせずに目を閉じ続けた。あまりに必死になるあまり、ベッドに近付く気配に気付くことも出来なかった。
きしっ、とベッドに体重がかかる音を聞いて、はようやくその気配に気がついた。

「You're pretending to be asleep.」

「っ!!」
耳元で、呼気と共に聞こえた声に、は飛び上がりかけてなんとかとどまった。直前で自分が寝たふりをしていたことを思い出したためだが、小さく体が震えたのはもう誤魔化しようがない。
「…もう無駄だ。起きろ、
「……先生、なんで私がたぬき寝入りしてるってわかったんですか…。」
ゆっくりと寝返りを打てば、すぐそこに新一の顔があった。当然だ、声は耳元でしたのだから。…厄介なことに体の脇に両腕をたてられていて、身動きすることも出来ない。
「あれを即座に“たぬき寝入りをしている”と訳せたはやっぱりすごいな。優秀だ」
の問いには答えず、新一が満足そうに言ってにっと笑う。落ち着かない状況ではあったが、褒められたことが嬉しく、は素直に「ありがとうございます」と言ってはにかみながら笑みを浮かべた。
「ところで…」
言って、新一がの枕もとに腰をおろす。それにならい、も自由になった身を起こした。
「頭、大丈夫だったか?…悪かったな、オレの不注意で」
すまなさそうに言った新一に、が慌てて首を振る。教師に謝られるなんて、滅多にあることではないだけに妙な気分だった。
「いえ、そんなことないです!それに、工藤先生は、私に“危ない”って声をかけてくれましたし!」
「え……?」
きょとん、とした新一の顔に、も戸惑った。あの声は、確かに新一のもの…工藤先生のものだと、そう思ったのだが。
「…えーと、私をここまで運んできてくれたのも工藤先生なんですよね?…そ、その、だ、抱いて…」
俯きながら言ったに、新一が「それ、誰から聞いたんだ?」と問い掛けた。
「黒羽先生です」
そう答えると、にわかに新一の表情が険しくなった。が、不安そうにこちらを見つめるの表情に気付き、ふっと息をつきながら微笑む。
「ああ、なんでもない。気にすんな。今日の分の授業、新しい構文をやったんだ。その内教えてやるから、都合がいいときに来いよ」
「え…あ、はい!ありがとうございます!」
良かった。今日の授業は出て起きたかったのだ。
そうこうしているうちに、快斗が保健室へと戻ってきた。それに気付いた新一が、に見えない角度で険しい視線を送る。
「よ、。もう大丈夫みたいだな?」
新一の視線を無視し、快斗がに向かって軽く右手を上げながら言う。は「はい」と返事をしてぺこりと頭を下げると、そのままベッドを降りて「ありがとうございました!」といって保健室を出て行った。
それを確認したうえで、新一がベッドから立ち上がり、快斗の元へと歩み寄った。
「……なぜ、」
「『なぜ、嘘をついたか?』だろ」
そんな新一に対し、口角を吊り上げて快斗が応戦する。
「オレがあそこを通ったのは偶然だ。扉が開いていたから、中の様子が見えた。そしたらの頭の上にダンボールが落ちてくるのが見えた。…それだけだ」
そう言って、眼鏡を白衣のポケットに引っ掛ける。これがダテだということを知る人物は、数少ない。
「嘘をつく必要が何処にある?自分の株を上げる絶好の機会だっただろう」
新一は、が保健室に運ばれてからこの事件を知ったのだ。だから、が『工藤先生が声をかけてくれた』といったとき、驚いたのだ。…声質が似ていることは、自覚している。だが、なぜ『自分』ではなく『工藤』だと快斗は嘘をついたのだ。
「だって、あとからわかったほうが劇的だと思わねーか?勘違いしてて、あとになって実は『黒羽先生だった』ってな。それに…オメー、否定はしなかっただろ?」
「! 黒羽、てめー…」
つまり、発覚したときには、快斗の株が上がり、本当のことをいえなかった新一の株が下がる。そういうふうに仕掛けたのだ、こいつは。
「感情的になるなよ、工藤。ほら、次の授業が始まるぜ?」
軽く新一の背中を押し、快斗がドアのほうへと押しやる。そして一歩身を引くと、新一の背中に向かって声をかけた。

「All's fair in love and war.」

それを聞き、新一は振り返って不敵な笑みを浮かべた。
「…自分が言った台詞だ。忘れんなよ」
ピシャン、と扉が閉め、駆け足気味に職員室へと向かう。急がなければ、次の授業に間に合わなくなりそうだった。
(言ってくれるじゃねーか…)
その台詞、今度はそっくりそのまま返してやるさ。


“恋と戦争は、手段を選ばず。”



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