こんな夜は





「ああ…素敵だ、中尉が何人もいる…」
「ああもう大佐!幻覚症状っスか、それとも単なる疲れ目でブレてるだけなんスか!?」
「…なんだハボック、お前いつの間に影分身なんか覚えた」
(心底ウザい…!)
内心絶叫しながら、ロイが差し出した書類を奪うように受け取り自席まで駆け戻る。フュリーは処理が済んで箱に詰められた書類を片っ端から運びだし、ファルマンは逆に未処理の書類を運び入れている。ブレダは鳴りっぱなしの電話の対応をしながら片手でペンを走らせていた。ホークアイはといえば、黙々とロイが処理した書類にチェックを入れている。
「…大佐、誤字です。ここは『今後注意するように』で『今後中尉するように』では意味が通りません」
「…んー?」
ホークアイの方を見たロイがへにゃりと笑ったところを見ると、また何人にも見えたのかもしれない。そんなロイの態度にも、ありえない誤字にもうんざりしていたが、ハボックはなにも言えなかった。
…この中で、ロイのみ徹夜三日目なのだ。
(六番地爆破事件に列車乗っ取り事件、あーあと通り魔に幼児連続誘拐に老人連続誘拐…違った、老人は連続強殺だ)
ここ一週間、新聞がどれを一面にすべきか悩むような事件が立て続けに起こっていた。東方司令部をまとめる立場のロイが、寝る間もなくなるのはもはや必然だった。
それでも座っていられるだけマシで、昨日までは文字通り走り回っていたのである。
「中尉は中尉だろう?」
またわけのわからないことを口走りだしたロイを見て、ホークアイが溜め息をついた。どうやら、先程の書類でまだもめているらしい。
「皆、私はちょっと大佐を仮眠室に連れていくわ。このままじゃ使い物にならないし…ハボック少尉、ブレダ少尉、ちょっとここ頼むわね」
『ラジャー』
(それが正解だな)
少し寝た方が、効率も良くなるだろう。
「おーし、んじゃ大佐の負担減らすためにもやる気出せ野郎どもー」
『…おー。』
…どうやら全員、限界点は突破しているようである。





「…ん?ここはどこだ?」
「大佐、正気になりましたか」
「正気…?」
自分はどこかおかしかっただろうか。
…言われてよく考えてみれば、今日の夕方辺りからいまいち記憶がはっきりしない。
「大佐は仮眠を取ってください。少ししたら起こしに来ますから」
「ん…ああ、ここは仮眠室か…」
頭がふらふらする。…どうやら、中尉の忠告に従った方が良さそうだ。
「あぁ、頼むよ」
言って、ごろりと横になり…だがふと考え込み、身を起こした。
「中尉…君も寝ていないだろう?確か、ずっと私についてくれていたはずだ」
「…ところどころで寝ていますから。大丈夫です」
確かに、僅かに寝る時間はあったかもしれない。…だがそれは、女性であるホークアイが疲れを取るのには余りにも足りなかったのだ。よくみれば、表情にも疲労が色濃く出ている。
「…上官失格だ。君の方が疲れているじゃないか。私はいいから、休め」
「私のことは気になさらないでください。大佐は皆を束ねるためにも、少し休まれた方が」
「ああもう面倒くさいな」

がばっ。

「ちょっ、大佐!?」
「…二人とも休めばいいんだ」
ロイに引きずり込まれ、完全に抱きすくめられた状態の中、ホークアイはなんとか抜け出そうともがいた。
「大佐っ…!」
「何もしないさ、心配する必要はない」
言って、ホークアイをさらに強く抱き締める。
「っ、あのですね、そういう問題じゃなくて…」
「…少し、側にいてくれないか。どうやら…私は、本当に疲れていたようだ…」
囁くように呟かれたその言葉は、次第に消え入るように小さくなっていった。
「…大佐…?」

すー…すー…

やがて聞こえてきた規則正しい呼吸に、ホークアイは苦笑をもらした。
…おやすみ三秒だ。
(どうしようかしら…)
一体どういう抱き方をしているのか、眠った状態だというのにロイの腕はほどけそうもない。
…仕方ない、ここはお言葉に甘えさせてもらおうか。
「おやすみなさい…大佐…」
…規則正しい呼吸は、二つに増えた。





「じゃんけんするぞー」
それから数時間後、東方司令部の一室にて。
「ケシ炭になるか、頭に穴が開くかだ。違いはないって」
「どっちにしろ無事じゃ済まないじゃないですか」
「しかし、そろそろ起きて頂かないと支障が」
「じゃああれだ、赤信号、みんなで渡れば怖くないってことでどうよ?」

「…みんなで渡ってみんな死んだらどーすんだよ…」



…彼らの苦労は、絶えそうもない。




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2004.6.16


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