お月様にお願い





「ちょっと、そのへん歩いてくるね」
「あら、散歩?」
ぱたぱたと、エプロンで手を拭きながらやってきた母に、は黙ってうなずいた。そして、目線で窓の外を示す。
「…あら、綺麗な月ね」
「でしょ?ちょっと、そこの土手まで月見にね」
こんなに綺麗な月は、そうそう拝めるものではない。中秋の名月というが、秋は本当に月がよく見える。
「気をつけてね」
「うん。いってきます!」
母が渡してくれたおまんじゅう(月見団子の代わり、だって。)を片手に、は扉を開けて夜の世界へと踏み出した。





「…そういえば、昔実験したっけ」
片手に持ったまんじゅうを早速ほお張りながら、は空を見上げた。思わず食べる手を止めてしまうほどの月を見て、なんとなく昔のことを思い出したのだ。「どうして月はついてくるんだろう?」という疑問を解消すべく、幼馴染の男の子と実験をしたことを。
A地点にどちらか一人が立ち、次にもう一人がB地点に向かって走る。走ってる方は「見えてるー?」と聞きながら走り続け、A地点にいるほうは「動いてなーい」と返す。…が、走ってるほうから見れば、月は自分についてくるわけだから…A地点にいる方は何もない空を見上げてて、逆にA地点から見れば、走ってる方は何もない空を見ながら走ってて。結局解決しないまま、首をひねりつつ解散したのだ。今考えるとバカみたいだが、でもまぁかわいかったかも、などと思い微笑する。別々の高校に行って以来会っていないあいつは、今頃何をしているんだろう?普通に大学生なんてやってるんだろうか。
「とうちゃーく!…はぁ、ちょっと涼しいけど…これくらいが気持ちいいかも」
どさり、と土手に腰を下ろし、そのままごろんと横になって空を見る。変わらず空は澄んでいて、月はよく見えた。しばらく動くのも忘れるほど月に見入り、ふと食べかけのまんじゅうを思い出して身を起こした。
「あ、川にも月が映ってる…」
水面に映った月は、ゆらゆら揺れて不安定だ。それでもやはり、美しいことに変わりはない。
「…なーに間抜け面してんだ?」
「………へ?」
ふいに降ってきた声に、は思考が停止した。くんっ、と首元に指を引っ掛けられて、ころりと後ろにひっくり返る。…今度は、空じゃないものが見えた。
「このまんじゅう、うまいな」
そう言って、いつの間にか自分が持っていたまんじゅうを食べていたのは。
「……快斗?」
「ったりめーだろ。こんなオトコマエが世の中にそう何人もいるかよ」
そう。先ほど思い出していた幼馴染の、黒羽快斗。その彼が、上から自分のことを見下ろしているのである。呆気にとられていたがようやく身を起こしたときには、快斗は指をペロリと舐めて…要は、既にまんじゅうはなくなっていた。
「あっ!それ、京都のお土産でもらった超おいしいまんじゅうだったのに…!!」
「うっせーなー!油断するほうが悪いんだろ!」
やんややんやとひとしきりもめてから、どちらともなく吹き出した。
「…っぷ!何年も会ってなかったのに…!普通、いきなりまんじゅうの取り合いする?」
「オメーも全然変わってないんだな。安心したっつーか、やっぱりなっつーか…」
「何それー!」
横に座っている快斗は、最後に会ったときと随分印象が変わっていた。元気な少年そのもので、破天荒で天真爛漫で。今は、あの頃より背も伸びて…雰囲気も、落ち着いた。なんだかんだで、やっぱり離れていたときは長かったのだなと思う。
「…と、いうか、快斗はこんなところで何してるの?ここ、うちの近所だけど、快斗もこのへんに住んでるの?」
「その質問、遅くねーか?」
おかしそうに眉を下げて、快斗が苦笑しながら言う。確かに、快斗の登場は突然すぎた。でも、それに大してあまり驚かない自分がいるのも確かだ。…大体快斗は、昔からやることが唐突で破天荒だったから、思っているよりもそんなに変わっていないのかもしれない。
「うん、そうだね…。よく考えたらすっごい久しぶりなんだよね。中学を出てからすぐ、私が引っ越しちゃったから…。」
唐突に決まった転勤は、春休み初日に引っ越すというすさまじいものだった。卒業式、その翌日にはもう引越し。いや、卒業式までもったことに感謝しなければならないのか。…当然、周りに言う余裕などなく。その頃は携帯なんて普及してなくて、それきりになってしまった友達も少なくない。快斗もその一人だったのだ。
「ったく、急にいなくなりやがって…。まぁオレもそのあと色々大変でさ。やっとこ落ち着いたと思ったら受験だろ?…今になって、ようやくオメーを探す余裕ができたんだ」
「…わざわざ、探してくれたの?」
きょとん、として聞いたに、快斗ががしがしと頭をかきながら答える。
「探したよ。時間が大分たっていたし、何の手がかりもなかったから予想より大変だった。…ようやく、見つけたんだ」
そこで快斗はふいに立ち上がり、水面のほうへと歩いていった。ゆらゆらと揺れている月は、ますます不安定な動きを見せる。そう見えたのは、気のせいかもしれないけれど。
「なぁ。覚えてるか?昔、月の実験しただろ」
「…覚えてるよ。どこまで付いてくるか、ってやつでしょ?」
さっき思い出したばかりだ。そう言うと、快斗が黙って首を横に振る。
「そっちじゃない」
「…え?」
そっちじゃ、ない?
「ちょっと歩こうぜ」
こちらへ駆け戻ってくると、快斗がに手を差し出す。大人しくそれに従い手を握ると、驚くほどの力強さで引かれた。
(…やっぱり、)
私が思っているより、快斗はずっと大人になったんだ。
握られたままの手が、なんだか妙に熱い気がする。本当は離したいのだが、快斗にその気はないらしかった。仕方なく、手をつないだままゆっくりと歩く。
「…なんで波が、満ちたり引いたりすんだろうって。そんな話したの、覚えてねーか?」
視線を水面に飛ばしたまま、快斗がゆっくりと話す。先ほど思い出した記憶がまだ強く残っていて、なかなか昔のことを思い出せない。…が、快斗の家とは常に家族ぐるみの付き合いで、小さい頃にも何度か海へ言った記憶はあった。
「海に…行ったとき?」
ゆっくりゆっくりと歩を進めながら、思い出しながら。がそう言うと、快斗が頷いた。どうやら当たっていたらしい。
「その時、おやじが…オレのおやじがさ。月の引力で波は満ち干きを繰り返すって言うから、二人で夜の海見に行ったんだよ。結局、月が綺麗だねってそれだけで終わっちゃって、すぐ宿に帰って寝たけどな」
「そう言われれば…」
脳の奥深くに眠る記憶が、静かに目を覚ます。そう、そしてその時、一緒に来てくれた快斗のお父さんが、快斗にこっそり何か言っていたのも思い出した。なんだっただろう…なんだか、妙に悪戯っぽい表情をしていたことは覚えているのだけれど。
「おやじがオレになんて言ってたか、知りたいか?」
が思い出したのを見越したように言った快斗に、大人しく頷く。…だが、水面の月に気を取られていたせいで、は見逃していた。快斗の表情が、あのときの快斗のお父さんとそっくり同じだということに…「悪戯っぽい」表情を浮かべていることに。
「教えてやるよ」
「へ?きゃっ…」
急に強く手を引かれ、気づいたときには快斗の腕の中にいた。目を丸くしているの耳元で、快斗がそっと呟く。
「“快斗、将来、お前が大事な子に言うための殺し文句を教えてやろう。月の引力で満ち干きするのは教えただろう?…つまり、あんなに遠くにいる月が渚に波を誘うんだ”」
そこで一呼吸置くと、軽く力を緩めての視線を合わせて言った。
「近くにいるオメーが、オレの心を誘うのは当然だよな?」
「………なっ………!!」
突然だった。
抱きしめられたときは、何がなんだかわからない状態だったけれど、今はわかる。本当に突然、電流が走ったかのように…自分でもはっきりわかるほど、頬が真っ赤に染まったのだ。
「ずっと言いたかったんだ。なのにオメーはいなくなるし、オレはオレで身動き取れなくなるし…でも、やっと言えた。」
嬉しそうに笑いながら言われてはもう、どうしようもなかった。ただただ黙って、快斗を見つめることしかできなくて。
「…ねぇ、快斗?」
「ん?」
ようやく搾り出した言葉は、ちょっと震えていたけれど。
「…これからも私、あなたの月でいていい……?」
「! っ、それって…」
「ってそんなこと言えるかー!!うあー恥ずかしい恥ずかしいっ!こんなのありえないっ!」
不意を付いて快斗の腕から抜け出すと、が土手をダッシュで駆け上がった。
「えっちょっ、そんなのありかよ!?よく考えろよ、夜散歩してたら偶然再会とかさ、もうこれ運命だろ!」
「全部わかっててやってるにおいがする!快斗って、妙に頭回るし!」
「うっ」
…月の綺麗な夜、昔からはよく散歩に出ていた。それを見越して今日、このあたりを歩き回っていたのだ。図星である。
「…って、往生際悪ィぞ!とっとと月になっとけよ!」
「言い方とかさっきと全然違うじゃん!」
追いかけてきた快斗から逃げながら、は叫ぶように言った。…わかってる、これが照れ隠しだと。そしてまた、快斗にそれがバレているだろうことも。
(それは、悔しいし…それに、)
快斗のことをずっと覚えていながらも、行動を起こせなかった自分が悔しい。快斗と同じ想いを持っていたのに、先を越されたことが悔しい。…だから、なんとなく大人しくつかまりたくはなかった。それだけだ。
「まだ逃げる!!」
そういって走り出したに、快斗はぴたりと動きを止めた。そして、にぃっと口元に笑みを浮かべる。
「…“まだ”ってことは、いずれはつかまるってコトだな?」
「あ……」

ねぇ、お月様。この事態を招いたのはすべてあなたのせいなんですよ?…責任とって、少しは助けてください…。




「だいじなこ、ってなに?どういうひとのこと?ころしちゃうの?」
「ああ、快斗はまだ小さいからよくわからないか。そうだな…お前の場合はきっと…」
「きっと?」
ちゃんに、言うことになるだろうな」




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どこで入手したか忘れましたが、どキザすぎて快斗以外には使えないセリフだと(笑)ずっと言わせたかったので使えて良かったですv牧野さん、素敵なリクエスト(沿えたかなぁ;)ありがとうございました。遅くなってすみませんでした!

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