「…先生」 どうせ反応がないことはわかっていた。そのサングラスの下の瞳が閉じられていないだろうことも、わかっていた。 「…松田先生。チャイム、鳴りましたけど」 そう言いながら、チラリと腕時計に目をやる。…ああ、もう15分も経過してしまった。今ので何度目の同じセリフだ? 「…プリント、置いてあっただろ。委員長」 ようやく発せられた言葉にも、は難しい顔をしたままだった。うららかな日差しの裏庭には、どうにも似合わない表情だ。松田もそう思ったのだろう、自分の額に指を当てて言う。 「…委員長、シワ」 「誰のせいですか」 ドサッと芝生の上に腰を下ろすと、はゴロリと横になっている松田をジト目で見下ろした。 「…うまいから腹が立つんですよ」 「主語がねーぞ」 「わざとわからないように言ったんです」 「…怒ってんのか?」 「呆れてるだけですよ」 それを聞くと、松田はふぃーと息をついた。やれやれ、といった感じだ。 「…みんなはプリントやってると思いますけど、やっぱり立場上、理由なくサボってる先生を放置しておくわけにはいかないんですよ」 「してくれて構わねぇんだがな」 …最初の頃は、不思議で仕方なかった。サングラスを始終かけていて、しょっちゅう授業を放棄してプリント配布にしてしまうような先生がなぜクビにならないのか。 (…うまいんだもの) そう。…教え方自体は、それはもううまいのだ。無理に簡単な例えで教えようとするわけではなく、ただ公式を証明してさぁ覚えろというわけでもない。どうにも想像もつかない角度から切り込む授業は、新鮮で楽しくて、数学の時間が楽しみになるほどだったのに。 (…だから、松田先生のもつクラスの成績はずば抜けて高いんだよね) もっともっと受けたいと思うのに、その張本人は今ここで横になっている。…週に一度は必ずこうなのだから、全く勘弁してほしい。 「先生が構わなくても、私は構うんですよ」 「…だから、なんで」 「自覚ないんですか?」 「…心底呆れたような目で見るなよ」 今度はが、ふぅーと息をつく。やる気がないわけではないだろうに。 「…じゃあ逆に聞きますけど、先生はなんでサボるんですか?いつもぼんやりしてるだけじゃないですか」 「あー…?」 面倒くさそうに声を出し、緩慢な動作で頭をかく。 「…たりィ」 「は」 ぼそりと呟かれた言葉に、が間の抜けた声を上げる。 「…それ、だけ…?」 「…最重要事項だろ。そう思わねーのか?委員長はお堅いな」 お堅い、というセリフにムッとする。そんなつもりはなかったのに、大体なんで私のほうが圧されているんだろう。 「そーいう問題じゃないですよ!それに、毎回毎回私が探しに来てますけど、見つけられなかったら大問題ですよ」 最初の頃はパニックだった。職員室にはいない、教室にも来ない。裏庭で寝ているのを見つけたときには、怒りを通り越してへたりこんでしまったのは忘れられない。 「じゃあやっぱりまたサボれるじゃねーか」 「…人の話、聞いてましたか?」 今の話の、どこをどう繋げればそういう話になるというのか。ため息をついて肩を落とし、再トライしようと顔を上げた瞬間だった。 「ほらよ」 「!」 ふいに視界が暗くなり、びくりと肩を震わせる。…が、完全に覆われたわけではないことがすぐに分かった。 「日差しが強いからな。サボる時の必須アイテムだ」 かけられたのは、松田のトレードマークとも言うべきサングラスだった。いつの間にか、起き上がって煙草に火を点けている。 (…読めないなぁ) サボり続行かと思えば、ふいに戻る素振りを見せたりする。本当に、振り回されっぱなしだ。 「サボりませんよ!」 言い返したに、松田がふっと笑って返す。 「お堅いな」 「それが普通なんです!」 慌てて立ち上がって後を追う。…滅多に見られない松田先生の素顔は、サングラス越しで。勿体ないなぁ、とちょっとだけ残念に思った。 「さっきの答え」 「え?」 横に並んだからサングラスを取り上げ、自分にかけると松田は煙を吐き出してから言った。 「…委員長が、探しに来てくれるからな」 安心してサボれるだろ? そう続けられ、は目を見開いた。 「…もう知りませんからね!」 「悪かったよ、委員長。次にサボるときは誘ってやるさ」 「そんなこと欠片も言ってないじゃないですか!」 「怒るなって」 無視してすたすた歩きながら、は動揺した気持ちを抑えるようにふるふると首を振った。 …松田先生となら、サボってもいいかもなんて。 そんなことを一瞬でも考えてしまった自分が、悔しくて仕方なかった。 ---------------------------------------------------------------- BACK |