―――…血が、止まらない。
「キッドっ!」
ばたんっ、と勢いよく開けられた扉から聞こえた声は、今一番聞きたくない、…今一番聞きたい、人のモノ。無様な自分は見られたくない、無様な自分でも見届けて欲しい。相反する二つの気持ちは、どちらも本物だ。
「早かったな、白馬探偵。今夜こそオレを捕まえてくれるのか?」
じわり、じわりと、染みは広がるばかりで、既に感覚すらない。せめて痛覚くらい、感じていたかったのに。
(……ああ、)
この白の装束には、紅がよく映えるかもしれない。焦げた穴の開いた銀の翼は、少々無様かもしれないが。
「キッド、お前やっぱり撃たれて…!?」
震える声で、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる姿はフェンスの網越しで。早い話が、自分が外側に立っているだけなのだが。ふいと視線を逸らし、白馬に背を向ける。
(オレが死んだら、白馬は泣いてくれるかな)
他愛もない、想像。棺に入った自分、側に立っている白馬。周りは警察だらけ、かもしれないが。
「なぁ、白馬。オレが死」
ごぶっ…
喉元へこみ上げてくる、熱いカタマリ。そう、限界が近いのは、自分が一番よくわかっている。
「キッド!早く手当てをしなければ…!どうしたんだ、おい、どうするつもりだ!?何をしようとしているんだ!」
がしゃん、とフェンスが音を立てる。白馬の指が、風に流れるマントを掴もうと躍起になっているのはわかっていたが、それ以上フェンスへ近付くつもりはなかった。
天国まで、あと一センチ。
いやそれとも、地獄まで、だろうか。
(どうせなら天国がいい、な…)
飛び慣れたはずの宙空でも、翼を開かなければ飛べるはずもない。林檎が地上へ落ちるのと同じように、自分も地上へ墜ちるのだろう。
最後だ。これが、最期。最期に見るのは、夜景なんかより…
ゆっくり、ゆっくりと。狭い空間で体ごと振り返り、両の目に白馬の姿を映す。既に割れて用無しになった片眼鏡は、一足先に地上へと向かっていた。
「頼む、キッド…いや、黒羽くん…お願いだ、やめてくれ…」
神に祈るような、すがるような。ゆらゆらと頼りなく揺れる瞳は、泣きたくなるくらい綺麗だった。
(オレ、お前に言いたいことあったんだ)
言葉は喉で止まり、口をついて出ない。
(オレ…お前のこと、)
嘘に固められたこの姿の自分でも、これだけは本物だから。偽りなんかないから。
(嫌いじゃ…なかっ、たぜ…)
そのままゆっくりと、背中から、ネオンの眩しい街へ。幾度も舞った街へ、墜ちていく。
空には、鉤針のような月。霞む視界では、もはやそれを確認することもできなかった。
(何だ、月、出てねーじゃん…。これじゃ、パンドラかどうかも、確かめられ)
ぷつん、と。
意識が途切れる一瞬前に、涙でゆがんだ白馬の顔が見えた。

…泣いて、くれたのか。







―――…そんな夢を、見た。
足は震えていたし、シーツは寝汗でビッショリだった。カタカタと情けなく鳴る歯に、冷たい指先。とっさに押さえた腹部には、当然血などついているはずもなく。
――っ、はぁ、はぁっ…落ち着け…」
いいか、“夢”だ。“ありえるかもしれないとしても”、これは夢だ。現実ではない。
握りしめていた拳を開くと、掌にはくっきりと爪の跡がついていた。うっすらと、そこに滲む、血。
――この、些細な痛みこそが、現実。
「…夢、だ。」
“それが、自分が身を置いている世界だとしても”。
「何も、心配することはない。」
“今日が、予告状で予告した日だとしても”。


全てが、幻だから。




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2005.1.16


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