ラブ☆パニック





「黒羽せんぱぁぁぁぁぁぁい!!」
「来んじゃねぇっ!」
「おぶっ」
飛び蹴り一発、鳩尾にクリーンヒット。こいつに限っては、「女には手を上げない主義だぜ」なんて甘っちょろいことを言っている余裕はない。
「ぐっ…ろばせんっ…」
「足をつかむなぁぁぁ!!」
ぶんぶん捕まれた足を振るも離れず、双方必死の形相である。
「…よくやるよねー」
「そうね。あのこも、黒羽くんも」
それを遠巻きに眺めながら、青子と紅子がのんびりと呟く。目の前のポテチを一つ、口に放り込んでから、青子が言葉を続ける。
「けどさ、なんだかんだ言って楽しそうだよね、快斗」
…そう、あの日から。





「…あれ、1年生じゃねーか」
「え、なにが?」
化学実験室へと向かっていた快斗がふいに足を止め、ぽつりと呟いた。横できょとん、として聞いた青子には答えず、すたすたと歩いて廊下の隅できょろきょろしている少女のもとへと歩いていった。
「なぁ」
「え?あ…はい、私のことですか?」
急に声をかけられたことに驚いたのだろう。それもそうだ、まだ入学したての1年生にとって、上級生は未知の生命体と言っても過言ではないのだから。
「音楽室の場所、わかんねーんだろ?教えてやるから、ついてこいよ」
「え……?」
(わっ、快斗のバカ!突然なに言ってるの!?)
慌てた青子が、快斗の腕をぐいと引っ張って言う。
「こら快斗、急に何言ってるの!そのこもびっくりしちゃってるでしょ!」
「あ…ありがとうございます!」
「ほらそのこもありがとうございますって…へ?ありがとう……?」
呆気にとられたような顔をした青子を、快斗は「あとで説明してやるから」と目だけで制し、「こっちだよ」と言って歩き出した。
「学校には慣れた?えーと…さん」
上履きに書かれた名前をちらりと見て、快斗がきさくに話しかける。
「はい。…最初は不安だったんですけど、最近ようやく。学校の構造はまだ掴みきれてないですけど…。授業の進み具合が意外に早くて、ついていくのに必死です」
苦笑しながら返した少女を、微笑ましい思いで見つめる。まだまだ慣れない環境の中での迷子は、さぞかし不安だっただろう。気付けてよかった。
「…っと、ここの階段を登って、右手すぐが音楽室だ。ここまで来れば大丈夫だよな?」
そう言って、にかっと笑って振り返る。
「あ、はい!ありが………」
…そこまでいいかけた少女が、快斗の顔を見て硬直した。それこそ、その少女の周囲だけ時間が止まったかのように。
「…?オレの顔に、何かついてた?」
さっきトイレで見たときは何もついてなかったんだけどな…と思いつつ、快斗が自分の頬をぺたぺたと触った。
「す……」
「酢?」
酢くさいのか?と服のにおいをかごうとした快斗の腕を、少女ががっしりと掴み、きらきらとした瞳で見上げながら言ってきた。
「好きです。結婚してください」
「………は、い?」
―――それが、この嵐のような日々の始まりだった。





「…結局、黒羽くんが彼女が困っていることをどうやって見抜いたか教えてもらったの?」
ペットボトルからストローでお茶を飲みつつ、紅子がさほど興味がなさそうに、だがそれなりに気になる風に聞いてきた。
「ん?えっとねー、確か…“上履きのラインが赤いのは1年生のしるし。あのあたりに音楽室はないのに音楽の教科書持って、次の時間が始まりそうな時間なのにきょろきょろ回りを見回しているのは、迷子以外にありえない”って。言われてみれば簡単なんだけどなー。普通、瞬時にそこまでは思いつかないよね」
「…そうね。さすがは黒羽くん、といったところかしら」
「えー?快斗はさすがっていうほどすごくないよー」
空っぽになった袋をリボンの形に綺麗に結んでから、青子はそれをゴミ箱に向かって放り投げた。
「…あ、今日も快斗の勝ちかな。そろそろチャイムが鳴っちゃう」
ゴミ箱の上に掛けられた壁時計を見上げ、青子が呟く。日常茶飯事と化しているこの騒ぎも、学生である以上はチャイムで強制終了させられてしまうのだ。
キーン コーン カーン コーン ……
「! っし、オレの勝ち!」
「ああっ、次は体育…!うぅっ、悔しいけど負けです…また明日っ!」
しゅたっ、とポーズを決めて帰っていく件の少女―――名をと言う―――を見送り、快斗は満足そうに鼻を鳴らして「勝った!」と豪語しながら戻ってきた。
「…何の戦い?」
「オレとの戦い。今んトコ全勝中」
ガタンッ、と椅子を引いて席に座り、机の上においてあったお茶の1リットルパックをがぶ飲みする。ぷはぁ、と満足そうに息をついたところで、数学の教師が入ってきた。
(ああ…今日もオレの昼休みがで終わってしまった……)
がっくり肩を落としつつ、教科書を机の上へ放り投げる。いったいいつからこんな戦いを繰り広げているだろう。
(ええと…オレがを音楽室に連れて行ったのが4月の中旬…)
そこでいきなり結婚を迫られ、当然拒否。それ以来、毎昼休みにわざわざ2年生の教室までやってきて快斗に引っ付いて離れない。“まだ学校に慣れていない大人しい1年生”のイメージはどこへやら。…というより、あれが素だったのかもしれないが。
(…もうすぐ6月ってコトは、1ヶ月以上か…)
よくもつものだと、自分にも、そしてにも感心する。ひとつのことをここまで集中的に、ぶっ続けでやり続けるのはなかなかどうして難しいものだ。
「黒羽ー、聞いとるのか」
「聞いてマス」
上の空だったのを見咎められ、快斗は軽く肩をすくめて教科書へ視線を落とした。微分積分。…勉強するまでも、ない。
(つか最初の頃は惚れたはれたの感情があった気がするけど、最近は本当にただの戦いになってきていたような…)
のほうも、方向性を見失っている気がして仕方ない。喧嘩上等、いずれそんな鉢巻を巻いて登場しそうな気さえする。
(……ま、いっか。深く考えるのはやめよー…)
小波のように押し寄せてきた睡魔に、快斗はあらがうことなく身を預け、ゆっくりと眠りの淵へと沈んでいった。





「…来ないね、ちゃん」
「あぁ?平和でいいじゃねーか」
翌日。
今日も荒れた昼休みを想定していた青子が、弁当をつつきながらぽつりと呟いた。そう、いつもなら終了のチャイムと競争するくらいの勢いでくるはずのが、今日は昼休みが半分終わっても姿を見せないのだ。
「あら。そんなこと言って、実は寂しいんじゃなくて?」
横手から顔を出した紅子に、快斗がびくりと肩を震わせる。
「そっ…そんなんじゃねーよ!!せいせいしてるっつーの」
そう言って口に運んだ箸は、何も掴んでいなかった。
(……くそっ)
寂しいわけではない。それは断じて違う。…ただ、なんというか、そう。あまりにも日常になりすぎていたことが急に消えて、妙な気になっているだけだ。それだけだ。
「…ねぇ、知ってる?」
「え?何を?」
「今朝、校門前で事故があったらしーよ。1年生の子が轢かれて、重体なんだって」
「えー、なにそれマジで?私全然知らなかったんだけど」
「うっそ、だってパトカーとか超来てたじゃん」
「あ、寝てたかも」
「はぁー?なにそれー」
ふいに隣の席から聞こえてきた、穏やかではない内容の会話に、青子が眉をひそめる。
「…ねぇ、快斗……」
がたん。
乱暴に立ち上がると、快斗はそちらへ向かってすたすたと歩き出した。青子が何を言いたいかはわかっている。だが、それをどうこう考えるより先に、体が動いていた。
「……なぁ」
「え?」
「その話、知ってる限りでいいから…もっと詳しく教えてくんねーか?」





「『101号室 』……マジかよ」
病室の前に掛けられたネームプレートを見て、快斗が小さく呟いた。結局学校を抜け出してまで来てしまったが、噂が真相なら、はもう………
軽く深呼吸をしてから、快斗は俯き気味にドアをノックしてノブに手をかけた。
「失礼しま……」
「! わ、黒羽先輩!!来てくれたんですか!?まさか私のこと心配してっ…」
快斗が顔を上げる前に、聞きなれた声が響き渡った。視線を上げると、感激に目を潤ませ、ぐわぁっと抱きついてこようとしたが目に入る。反射的に快斗は片手での頭を押さえ込んで止めた。
「い、いたたたたっ!あ、頭はだめです…ちょっと痛いんで」
「あ、悪ィ…」
そこで改めてを見る。確かに頭に包帯を巻いていた。…が、噂で聞いたほどの重傷にも見えない。
「…意識不明の重体、じゃなかったのか…?」
「へ?いえ、頭を打ったのと肘と膝をすりむいたのだけで、別に他には…」
よく考えれば、そんな酷い状態なら一般病棟にいるはずがない。病室を聞いて普通に教えてくれた時点で気付くべきだったのに。
(…動転してたのか?オレ)
が重体かもしれない、と聞いて。
「…わっけわかんねーぞ。オレ」
「うーん…私もよくわかんないんですよね」
快斗の“わけわからない”を現状のことだと勘違いしたが、説明し始める。
「猫が、いたんです。なんか普通に道路渡ってたんですけど、急に何かに気をとられたみたいに止まっちゃって。多分、鳥とかトカゲとかだと思うんですけど…あ、危ない、って思ったときには自分の方がはねられちゃってた、みたいな。あ、猫は無事でしたよ」
あはは、と困ったような、照れたような笑みを浮かべたの頭に、快斗はごく自然に手を伸ばしていた。
「っ、痛…」
「…無茶、すんなよ。今回はそんなもんで済んだから良かったけど、本当に何かあったら……」
あった、ら?
ゆっくりとの頭を撫でていた手を、ががしっと両手で握り締めた。
「オレが責任とって結婚してやる…?」
「…はぁ?」
「黒羽先輩、私のこと心配してくれたんですね!?うわー嬉しい…!」
「違っ、オレはいつもいたから来ないのが気になって…」
「やっぱり心配してくれたんじゃないですか!」
嬉しそうに笑うに、快斗はぶんぶん首を振って否定の意思を示そうとしたが、今は何を言ってもわかってもらえそうにない。
「やったーっ!」
「いや、だから…」
「病室ではお静かに!!」
ばんっ、と扉が開き、巡回していたらしい看護師が二人をぎろりと睨んで言った。
「「…ごめんなさい…」」
しゅん、としたのを見届け看護師が去り、再び二人になるとは快斗の腕をぶんぶん振って言った。
「しばらく寂しいと思いますけど、我慢してくださいね!」
「寂しくなんかねーよ!!」
「またまたー照れちゃって先輩ってば!」
「…はいはい……」
今日くらいはいいか、と快斗が問答を投げ出したのは、それからすぐだった。





「せんぱーい!!」
「来るなーっ!」
…再び江古田高校名物が見られるようになるのは、それから数週間後。




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「快斗に一目惚れの女の子」…よりによってこんなおかしなキャラにしてしまってごめんなさい。でも書いててすごく楽しかったです!多分快斗君が気圧されるのは時間の問題です(笑)素敵リクエストありがとうございましたv

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