昼休み、裏庭の大樹の下でロイが昼食をとっていると、どこからともなく歌が聞こえてきた。突然聞こえてきたその歌は、どこか懐かしい響きをもってロイの耳に届いた。
(…誰だ?)
聞き覚えのない声だ。
つい、と周りを見回すも、人影は見えない。近くにいることは確かなのだが、如何せんその姿が捕えられなかった。
「…?」
まさか、と思いつつ、頭上を見上げる。すると、枝や葉っぱの狭間から足が見えた。
「なっ…上!?」
「へっ?う…うわぁっ!」
唐突に歌が止み、聞こえてきたのは慌てた悲鳴。お約束だとここで人が落ちてくるよな…などと呑気なことを考えながら腕を広げていると、本当にそこへ人が落ちてきた。
「…おっと!」
「うわっ!…あ、ありがとうございます…」
落ちてきたのは、明らかに自分より年下の軍人だった。青年というよりも、少年と言った方が近いかもしれない。
「…!マスタング大佐!」
ロイの顔を見ると、少年は慌てて飛び降りた。
「いや、気にすることはないよ」
自分の顔は、割合広く知られている。少年が恐縮するのも無理はない、と気遣ったつもりだったのだが、返ってきたのは意外な返事だった。
「余計なことをするな!」
「…は?」
「あの高さから落ちて受け身も取れないほど、オレは間抜けな軍人じゃない!」
「…あのー」
「って、まさかあの歌聞いたのか!?あれはな、オレが聞かせたい唯一の人物に…」
「えい」

パッチン。

「うぉぉおぉお!?」
綺麗に軌跡を描いて飛んでいく彼を追い、ロイはちょっと焦げた少年の元へ座り込んだ。
「あまり威勢がいいのも考えものだ。それ以上言うと吹っ飛ばすぞ、と考えていたので吹っ飛ばした」
「…吹っ飛ばす前にオレに言ってください…」
言いながら、少年は涙した。





「名は?」
「貴様に名乗る名などない!」
「…名は?」
「アーベル・バジル軍曹です。」
ロイが発火布をぎゅ、と構え直しながら笑顔で聞くと、あっさりと答えてきた。
「じゃあバジル。私の何が気に入らない?」
ところ変わって、医務室で。個室をひとつ借り、ロイはそこへバジルを引きずり込んだ。何が気に入らないのか、せめてそれくらいは聞いておきたかったのだ。
「…あんたの…あ、いや、大佐の…その…そばに、いるだろ?えーっと…女性の軍人がだな…その…」
歯切れ悪く言うバジルに、ロイはふと悟った。そうか、この少年は…
「…ホークアイ中尉が好きなのか?」
「………っ!」
いきなり図星をつかれ、相当慌てたらしい。バジルの顔が一気に赤くなった。…だが残念ながら、ロイはそれを見て可愛いと思えるような感性を持ち合わせていない。やはり先ほどケシ炭にしておくべきだった、とは思ったが。
「なっ…なんだよ、悪いかよ!」
「悪い。」
「うわ即答っ!?」
「当たり前だ。何を考えているんだ…あぁ、そうか」
そこでロイはわざとらしくぽん、と手を打つと、にやりと意地悪気な笑みを浮かべて言った。
「成程…だから、中尉の一番そばにいる私が気に入らない、と?」
「そっ…そうだよ!さっきの歌だって、いつか中尉に聞いてもらうために練習してたんだ!」
彼の想いは、本物だ。それくらいはロイにでも分かる。だがそれでも、この世の中には『譲れるもの』と『譲れないもの』がある。
…今回は、明らかに後者だ。
「…バジル軍曹、」
ロイが言葉を続けようとしたとき、ふいに個室の扉が開いた。
「ここにいらしたんですか」
「! 中尉…」
ちらり、とロイはバジルを見やった。正直者の彼は、まさに茹でダコ状態である。
「昼休みが終わっても席に戻られないので…探しました」
「ああ、すまない。すぐに戻るよ」
言って、そのまま立ち上がりかけるが、バジルの方が素早く立ち上がった。
「アーベル・バジル軍曹であります!」
「…リザ・ホークアイ。地位は中尉よ」
ぴっ、と敬礼をしながら自己紹介したバジルを見て、ホークアイも名乗った。
「あ、あのっ!」
「はい?」
おそらく今彼は、心臓が破裂しそうな程緊張しているに違いない。一方的に想いを寄せていただけで、口をきくのも初めてなのだろうから。
(まあ…ヤバそうになったら引き離せばいいか…)
抜かりなく目を光らせつつ、ロイは暫く傍観することにした。
「中尉はっ、この国に伝わる、古い民謡をご存知ですか!?」
「いいえ、知らないわ」
「でしたら!」
いちいち語尾が大きくなるのは、緊張が頂点を越えてしまっているためだろう。いつ倒れるか分かったもんじゃないな、などと思いながら、ロイはふと先ほどの歌を思い出した。
聞いたことがないはずなのに、どこか懐かしかったあのメロディー…
「でしたら!いつか、お時間があるときに、私の歌を聞いてくださいませんか!?」
「…歌、を?」
「はいっ!」
やはり、そうか。
「…それは、先ほど君が練習していた歌かな?軍曹」
「……っ!」
頭から湯気が出そうだ。ぎっ、とロイを睨みつけるが、言葉はでない。
「まぁいいじゃないか、中尉。それ以上喋っていると本気で倒れそうだし、それに…」
聞いたことがないのに、望郷の想いを抱かせた彼の歌声。それは、バジルの実力がかなりのものであることを感じさせる。
「…それに、何ですか?」
「あぁいや、なんでもない。それじゃあ軍曹、またいつかな」
「あっ…あ、ありがとうございますっ!!」
がばっ、と頭を下げたバジルの頭の上に手を置き、ロイはにっこり笑って言った。
「勿論私も一緒に聞かせてもらうよ」
「え゛」
そのままの体勢で、ぴしりと固まる。そっとバジルの耳元に口を寄せ、声を低くして告げる。

「………!」

それを聞き、とうとうバジルは倒れた。
「おーい、こいつを頼むよ」
「あ、はい」
すぐそばにいた医務室の者にバジルを任せ、ロイはとっくに部屋を出ていったホークアイの後を慌てて追った。
「どうかしたんですか?」
「いや、なに…ちょっと宣戦布告と言うか、自己主張と言うか」
「は?」
「気にするな」
「…はぁ」
ロイの告げた、ささやかな、けれど圧倒的な言魂の力。





――私を甘く見るな。中尉は絶対に渡さない ――




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2004.4.26


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