「…それじゃあ、始めようか」 チャイムが鳴り響いた後、高木が意を決したように言った。 (先生がビビってたら仕方ないでしょうに…) は苦笑して、ちらりと周りを見回した。…むしろ、生徒たちのほうが覚悟はできているようだ。 「先生、始めないんですか」 言ったきり固まっている高木に、が見かねて声をかける。 「えっ!?あ、うん!じゃあ各班、代表者が取りに来てくれるかな」 しどろもどろと言って、手元の蓋を開けようとしたとき。 「あ」 「えっ…」 が声を上げたのと、高木が声を上げたのと、どちらが早かったか。 ガターンッ!! …それと同時に聞こえた声が、さらに複数。 「ケロッ」 「ケロケロッ」 「ケロ―ッ!」 「きゃっ…」 「うおわっ!?」 「いやぁぁあっ!」 高木の腕が触れ、落下した水槽から飛び出したのは、…今日の解剖で使うはずのカエルたちだった。教室中を飛び回り、驚き慌てた生徒は逃げまどい、さながら地獄絵図である。 「みっ…みんな落ち着いて!とにかく捕まえ…」 「ケロ」 そう言いかけた高木の顔に、カエルがぴたりとくっついた。 「うっ…うわぁぁぁあ!?」 一際大きな声を出してのけぞった高木を見て、はそっとため息をついた。 (…仕方ないなあ) 床にひっくり返ったままの水槽を机上に乗せ、手近にいたカエルを何匹か放り込む。そしていまだパニックに陥っている面々の収拾と、カエルの回収に取り掛かった。 「もう…なんていうか本当にごめん…」 「そんなにヘコまないで下さいよ、先生…先生はちょっと抜けてるだけですから」 「…さんさぁ、それフォローになってないって気付いてる?」 「無論、わかって言ってます」 「トホホ…」 更に肩を落とした高木を見て、は苦笑した。少々いじめすぎたかもしれない。 「冗談ですよ」 そう言って、人気のない実験室を見回す。どうやら勇敢な何匹かは教室を出ていってしまったらしく、それを探すために皆繰り出して行ったのだ。何名かはサボる口実ができたと喜んでいるかもしれないが。 「…教室内には、もういないみたいです」 「そうだね。本当は僕も探しに行かなきゃいけないんだけど…」 「だめですよ、ここにいないと。みんなが他の先生に見つかった時に困りますから」 ちゃんと説明してくれる人がいないと、と付け加えたに、高木が苦笑した。 「…全く、さんといると、どっちが先生だかわからないな」 「む、失礼な。老けてると言いたいんですか」 「ははっ、違うよ」 くしゃりと髪をかきあげると、高木はドアへ視線をやった。まだ誰も、戻ってくる気配はなかった。 「…呆れるだろう?こんなやつが先生だなんて」 ぽつりと呟かれた言葉に、自席に戻りかけていたはゆっくりと振り返った。 「先生になりたくてなりたくて、やっとなれたのにこの体たらくだ。生徒たちもこんな先生に習って、かわいそうに」 自嘲気味に言った高木に、はつかつかと歩み寄った。 「…先生」 「ん?」 不意に呼ばれ、無防備にの方へ顔を向けた瞬間だった。 「えい」 「いでっ!?」 が繰り出したデコピンが、見事に高木の額にヒットした。 「な、なにを…」 「高木先生の悪いところは、そこです。自分を過小評価し過ぎなんです」 腰に手をあて、そう言っては高木を睨んだ。 「…いつ、私たちがかわいそうだなんて言いましたか?思ってもいないことでかわいそうがられるのは、迷惑以外の何物でもありません」 「あ……」 そこでようやく表情を緩めると、は苦笑いしながら言った。 「…なんて、一介の生徒が偉そうに言うことじゃないですよね。出すぎた真似をしてすみませんでした」 深々と頭を下げられ、高木は慌ててぶんぶんと両手を振った。 「そ、そんなことないよ!君にそう言ってもらえなかったら、僕は自信を無くしたままだった。まだまだ力不足だけど、また頑張ろうと思う」 そうして浮かべた笑顔に、はそっと息をついた。…全く、手のかかる先生だ。 「私も、高木先生に習ってて自分がかわいそうだとか思ってませんよ」 「高木先生くらい抜けてる先生が一人くらいいないと、息詰まるし」 「なんだかんだ言って、わかりやすいしな」 「そうそう。うちらのクラス、平均点高いよね」 「み…みんな…!」 ぞろぞろと戻ってきた生徒たちが口々に言う。中には聞き捨てならないセリフもあったが、高木の耳には届かなかったらしい。 「ありがとう!僕、これからまた頑張るか…」 「あ」 一人の生徒が捕まえてきたカエルが、するりと手を抜けだした。そして… 「ケロッ」 「う、うわぁぁぁあっ!!」 …高木の顔に飛びつき、再び絶叫が響き渡ったのだった。 「…おい、おやじ」 「違うだろう?」 「じゃー黒羽校長。さっき名前あげたセンコーは全員減給な」 「そりゃまた、どうして」 「と二人きりになったから」 「…お前、もう少し余裕を持ったらどうだ?」 「はっ、無理に決まってんだろ。…負けらんねーんだよ、この戦いにはな」 ---------------------------------------------------------------- BACK |