6時間目





「…それじゃあ、始めようか」
チャイムが鳴り響いた後、高木が意を決したように言った。
(先生がビビってたら仕方ないでしょうに…)
は苦笑して、ちらりと周りを見回した。…むしろ、生徒たちのほうが覚悟はできているようだ。
「先生、始めないんですか」
言ったきり固まっている高木に、が見かねて声をかける。
「えっ!?あ、うん!じゃあ各班、代表者が取りに来てくれるかな」
しどろもどろと言って、手元の蓋を開けようとしたとき。
「あ」
「えっ…」
が声を上げたのと、高木が声を上げたのと、どちらが早かったか。

ガターンッ!!

…それと同時に聞こえた声が、さらに複数。
「ケロッ」
「ケロケロッ」
「ケロ―ッ!」
「きゃっ…」
「うおわっ!?」
「いやぁぁあっ!」
高木の腕が触れ、落下した水槽から飛び出したのは、…今日の解剖で使うはずのカエルたちだった。教室中を飛び回り、驚き慌てた生徒は逃げまどい、さながら地獄絵図である。
「みっ…みんな落ち着いて!とにかく捕まえ…」
「ケロ」
そう言いかけた高木の顔に、カエルがぴたりとくっついた。
「うっ…うわぁぁぁあ!?」
一際大きな声を出してのけぞった高木を見て、はそっとため息をついた。
(…仕方ないなあ)
床にひっくり返ったままの水槽を机上に乗せ、手近にいたカエルを何匹か放り込む。そしていまだパニックに陥っている面々の収拾と、カエルの回収に取り掛かった。





「もう…なんていうか本当にごめん…」
「そんなにヘコまないで下さいよ、先生…先生はちょっと抜けてるだけですから」
「…さんさぁ、それフォローになってないって気付いてる?」
「無論、わかって言ってます」
「トホホ…」
更に肩を落とした高木を見て、は苦笑した。少々いじめすぎたかもしれない。
「冗談ですよ」
そう言って、人気のない実験室を見回す。どうやら勇敢な何匹かは教室を出ていってしまったらしく、それを探すために皆繰り出して行ったのだ。何名かはサボる口実ができたと喜んでいるかもしれないが。
「…教室内には、もういないみたいです」
「そうだね。本当は僕も探しに行かなきゃいけないんだけど…」
「だめですよ、ここにいないと。みんなが他の先生に見つかった時に困りますから」
ちゃんと説明してくれる人がいないと、と付け加えたに、高木が苦笑した。
「…全く、さんといると、どっちが先生だかわからないな」
「む、失礼な。老けてると言いたいんですか」
「ははっ、違うよ」
くしゃりと髪をかきあげると、高木はドアへ視線をやった。まだ誰も、戻ってくる気配はなかった。
「…呆れるだろう?こんなやつが先生だなんて」
ぽつりと呟かれた言葉に、自席に戻りかけていたはゆっくりと振り返った。
「先生になりたくてなりたくて、やっとなれたのにこの体たらくだ。生徒たちもこんな先生に習って、かわいそうに」
自嘲気味に言った高木に、はつかつかと歩み寄った。
「…先生」
「ん?」
不意に呼ばれ、無防備にの方へ顔を向けた瞬間だった。
「えい」
「いでっ!?」
が繰り出したデコピンが、見事に高木の額にヒットした。
「な、なにを…」
「高木先生の悪いところは、そこです。自分を過小評価し過ぎなんです」
腰に手をあて、そう言っては高木を睨んだ。
「…いつ、私たちがかわいそうだなんて言いましたか?思ってもいないことでかわいそうがられるのは、迷惑以外の何物でもありません」
「あ……」
そこでようやく表情を緩めると、は苦笑いしながら言った。
「…なんて、一介の生徒が偉そうに言うことじゃないですよね。出すぎた真似をしてすみませんでした」
深々と頭を下げられ、高木は慌ててぶんぶんと両手を振った。
「そ、そんなことないよ!君にそう言ってもらえなかったら、僕は自信を無くしたままだった。まだまだ力不足だけど、また頑張ろうと思う」
そうして浮かべた笑顔に、はそっと息をついた。…全く、手のかかる先生だ。
「私も、高木先生に習ってて自分がかわいそうだとか思ってませんよ」
「高木先生くらい抜けてる先生が一人くらいいないと、息詰まるし」
「なんだかんだ言って、わかりやすいしな」
「そうそう。うちらのクラス、平均点高いよね」
「み…みんな…!」
ぞろぞろと戻ってきた生徒たちが口々に言う。中には聞き捨てならないセリフもあったが、高木の耳には届かなかったらしい。
「ありがとう!僕、これからまた頑張るか…」
「あ」
一人の生徒が捕まえてきたカエルが、するりと手を抜けだした。そして…
「ケロッ」
「う、うわぁぁぁあっ!!」
…高木の顔に飛びつき、再び絶叫が響き渡ったのだった。





「…おい、おやじ」
「違うだろう?」
「じゃー黒羽校長。さっき名前あげたセンコーは全員減給な」
「そりゃまた、どうして」
と二人きりになったから」
「…お前、もう少し余裕を持ったらどうだ?」
「はっ、無理に決まってんだろ。…負けらんねーんだよ、この戦いにはな」



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