ピィー…ンポォーン。
意図的だとしたら、もはや芸術の域に達している間延びしたチャイム音が聞こえる。
「…ったく」
この音を出せる人物は、一人しかいない。脱いだばかりの制服のジャケットをハンガーに掛け、新一はタイを緩めながら階段を下りていった。
「今日は何時…」
がちゃ、と扉を開けながら話しかけた新一に、言葉を返す者はいなかった。扉の前には、誰もいない。
「………。」
無言で扉を閉め、全力で階段を駆け上がる。そして、自室のドアを開けざまに叫んだ。
「快斗っ!!」
「お邪魔してまーす」
…今度は、言葉が返ってきた。先ほどまでは、誰もいなかった自分の部屋の中から。
「オメーは忍者か?」
はぁ、とため息をつきながら、ベッドサイドに腰掛ける。部屋の真ん中に座っていた快斗は、それに対して肩をすくめて返した。
「ただの高校生だよ」
「…言ってろよ」
ごろん、と横になり、先ほどの問いを再び口にしようとしたときだった。
「九時だよ」
「……ん」
ベッドサイドに置いてある、開きっぱなしの懐中時計に目をやる。…五時半を、少し回ったところだった。
「ところでさ、新一、これ見てみろよ」
「あ?」
横になっている新一の顔の上に、雑誌が降ってきた。なんとはなしにつまみ上げて見てみると、大開脚した女性の全裸が目に飛び込んできた。
「おわぁぁぁぁっ!!?」
とっさに放り投げたそれを、快斗が器用にキャッチする。
「けっ…健全な男子高校生がそんなモン見んなよ!」
慌てふためいて言った新一に、快斗がいたずらっぽそうに笑いながら言う。
「健全だから見るんだろ。クラスの奴が持ってきたんだけどさ、大したことないだろ?」
わざわざ新一のために借りてきてやったんだからな、と続けると、訝しげな表情が返ってくる。
「あー…嫌がらせ?みたいな」
無言で飛んできたカッターナイフ(どこから出したんだろう)を人差し指と中指で挟み、華麗にキャッチする。
「…快斗っ、オメー今すぐ帰れっ!!」
「ほんの軽い冗談だって!あ、ていうかほら、好きなこほどいじめたくなる心境ってやつ?」
ぽん、と手を打って言った快斗に、新一はとっつかまえようと腕を伸ばした。無論、大人しく捕まるような快斗ではない。座布団をひっくり返し、ソファを踏んづけ、しばしどたばたとにぎやかな追いかけっこが続いた。二人とも体力に自信があるせいで、結局決着はつかずにどちらからともなく元いた場所に腰を下ろすのが定番だった。
「…なぁ新一、腹減った」
「誰の家だと思ってんだよ…。ほら、簡単な料理くらいなら作れる材料揃ってっから、行くぞ」
面倒くさそうに言いつつも、ドアを開けて快斗が立ち上がるのを待っている。…、そんな新一を見るのが、好きだった。
「っしゃー!」
「鮭があまってたような…」
「うえええっ!?勘弁してよ新一ぃ!」
…誰もいない部屋で、時計の針は六時を示していた。





「っあー食った食ったー!!」
「…余りもののごった煮でそこまで満足できるオメーが羨ましいよ」
新一に代わり、今度は快斗がベッドの上に横になる。ちらりと目をやった時計は、八時を回ったところだった。大騒ぎしながらつくり、食べ、洗い物までやっていたせいで、思ったよりも時間がたつのが早かったようだ。…自分が時間ばかりを気にしていることに気付き、小さく苦笑した。…まったく、我ながら情けない。
「新一、パス」
「え?」
ふいにかけられた声に、視線をベッドの上へと戻す。それと同時に、目の前にくしゃくしゃに丸められた紙が飛んできた。
新一がそれを受け取ったのを確認してから、快斗は勢いをつけてベッドから飛び降りた。
「今回の暗号、それな」
当たり前のように続けられた言葉に、新一も当たり前のように続ける。
「…予告まであと1時間だから、移動時間を考えると…制限時間は30分てトコか。丸まってることにも意味はあるのか?」
「ポケットに突っ込んでただけだよ」
「ふーん…?」
にっ、とつりあがった口元に、快斗は肩をすくめた。…本当はもっとぎりぎりになってから渡したかったのだが、時計の針ばかりを気にしている新一を見ているのが、居たたまれなかったのだ。
(うーん…やっぱり、普通の日に普通に遊びに来たい…)
新一が快斗を家に入れるのは、予告をした当日だけ。制限時間が無いときの訪問は、いまだに許してくれない。…警戒心ばりばりで、ちょっぴり切なくもある。
「…でもまぁ、オレは幸せ者だよな」
「は?何が?」
暗号に夢中になっていた新一が、快斗のセリフに眉をひそめる。言うとまた怒るのが目に見えているので、快斗は笑って誤魔化した。
「気にすんなって。じゃ、オレ行くから。…期待してるぜ、名探偵?」
「…ああ。首洗って待ってろよ、大怪盗」
その言葉を背に、快斗は窓から飛び降りた。軽い着地音を立ててから、暗闇の中を一気に走り出す。
(だってオレ、幸せ者だろ?)
勢いを殺さずに走り続けながら、快斗はにひゃらとだらしない笑みを浮かべた。
「好きな相手が、必死になって自分のこと追ってきてくれるんだぜ?サイッコーだろ!!」
ガードレールの上から、街の明かりを目指して飛び降りる。落下途中で、学ラン姿は真っ白のスーツ、マント姿へと変化していた。
「首洗って、待ってるからなー!!」





「っし、解けた!!」
財布をポケットにねじこみ、そのまま部屋を飛び出そうとする。開けっ放しの窓から吹き込んだ風が、不安定な体勢で置かれていた懐中時計を吹き倒した。
「っと、やべ」
急いで窓を閉めてから、懐中時計に目をやる。
「…あったらあったで厄介だけど、なきゃないでも困るんだよな」
そう苦笑しながら呟くと、それもポケットに詰め込んだ。…先ほどまでは、去ってしまうまでの時間を刻んでいた時計。だが今は、再び出会う…彼を捕らえる、その瞬間までを刻む時計だ。
「待ってろよ…今、行くからな!」

…刻まれた時刻は、八時三十分。

音の無い、勝負を告げる鐘が鳴る。




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2005.4.29


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