「あ、江戸川」 思わず口に出してしまってから、は慌てて口を噤んだ。 だけど、レイニーデイ。 (…ベタな展開。でもめっずらしー) 居眠りの罰にと出された課題を抱えてやってきた、放課後の図書館。中学校の割にはなかなか品揃えが多く、足しげく通う学友もいる。しかし自身は滅多に来ないものだから居場所を見つけられなくて、一番奥の、棚の陰になっている机を使おうとやってきたのだが。 …そこには、横を向いて突っ伏し、気持ち良さそうに寝息を立てる江戸川コナンの姿があった。 おそるおそる近付き、そっと隣の椅子を引いて腰掛ける。悪趣味だなあ、なんて思いながらその寝顔を覗き込むと、決して外そうとしない眼鏡を外して眠っていることに気がついた。 (…本気寝?) いつの間にかの転寝なら、わざわざ眼鏡を外すようなことはないだろう。物珍しさに、そっとその眼鏡を手にする。いつもかけっぱなしということは、相当の度数なのではないだろうか――― 「え……」 そう、踏んでいたのに。 「」 静かな、声。 びくり、と小さく肩を震わせれば、いつの間にか起きていた江戸川がじっとこちらを見ていた。……いや、“睨んで”いた。その眼差しには、寝起きとは思えない鋭さがある。 「返せ」 「あ……うん、ごめん」 差し出された手に、眼鏡を返しかけて。 思わずその手を、引っ込めた。 「おい、」 「江戸川はさ」 何かを言われる前に、言葉をかぶせる。そうでなければ、聞いてしまえば、言えなくなると思ったから。 「このレンズで、自分と“その他”の間に一線を引いてるってワケ?」 度の入っていない、決してお洒落眼鏡ともいえない、黒縁の眼鏡。 「…………返せ。」 拒絶。 「やだ」 心が挫けてしまいそうな強い瞳に、強い口調に、たまらず目を逸らす。それでも、眼鏡だけは返そうとせずに。 「…おい、ふざけるのもいい加減に…」 「ふざけてないよ」 ……なんでだろう。 別に、こんなこと言うつもりなかったのに。 あの時素直に返していれば、こんな剣呑とした雰囲気になることも無かったのに。 「江戸川はさ、時々すごく冷めた目で見てる。」 言葉が止まらない。 「…すごく、冷めた目をしてる。」 想いが、止まらない。 の言葉に、コナンがため息をついて手を下ろした。簡単には返してもらえそうに無い、と諦めたらしい。 「…あのなあ、誰だってふざけてる奴らを見てたら少しは…」 「違うよ」 ぎゅ、と。 壊れない程度にフレームを握り締めて、唇を噛む。 「江戸川が冷めた目で見てるのは、自分自身だよ。」 …ゆっくり、ゆっくりと。 コナンの瞳が見開かれていって、それはまるで、 (雨空に覗く、青空みたいだ) そんな場合じゃないのに、その瞳に惹かれて、吸い込まれそうになって。 はっ、とした次の瞬間には、眼鏡はさらわれてしまっていた。 「江戸川!」 「っるせーな。オメーが思ってるようなことは何もねーよ」 嘘だ。 あの瞳を見た後なら、それがわかる。…でも。 「……わかっ、た。」 今はそれで、十分だから。…今は、見逃してあげる。 それには返さず、コナンはさっさと荷物を片付けた。そのままに背を向け、ぼそりと呟く。 「…課題、わかんなかったらかけてこいよ。1時までは起きてる」 「え?ちょ、番号、」 「灰原に聞け。じゃあな」 背を向けたままでひらひら、と振られた手の先には、眼鏡がひっかけられていて。 「…………!!」 素のままで、レンズを通さずに、江戸川が投げてくれた言葉。 「……うん!」 先ほどまでの緊張が嘘みたいに解け消えて、は満面の笑みで答えた。コナンには見えていないことなんて、関係ない。 (江戸川は、優しい) けれどすぐに、その笑みは消えてしまって。 (……自分にだけ、優しくないんだ) 彼はきっと、自分自身を嫌悪している。その理由はわからないけれど、でも。 「私は、江戸川が好きだよ」 …それは、滑るように零れ落ちた言葉。 愛とか恋とか、そんな難しい感情は抜きで。 「……………サンキュ。」 小さく、本当に小さく返された言葉。 …そしてそれも、きっとまた。 (きっとこれからたくさん傷付く) (後悔する日だって来るかもしれない) (でもその後悔は、未来へ続くための後悔) (だから私は、未来を諦めない) いつかきっと、快晴の青空を見る日まで。 ---------------------------------------------------------------- BACK |