ドルチェヴィータ





「ただいまー」
「お帰りなさい!」
ぱたぱた、とエプロンをつけたまま走ってくるを見て、新一はしばし硬直した。…これじゃあ、まるで新婚夫婦のやりとりだ。もしこの後に、お約束の台詞が続いたりしたら…
「新一、ごはんにする?それとも先にお風呂はいる?」
…続いてしまった。
「…なぁ、それ『それともア・タ・シ?』っていうのはないのか?」
「〜〜〜んなっ…!!」
「じょ、冗談だって!だから包丁を構えるな!」
肉を切っていたのか、微妙に血のついている包丁の切っ先を向けられ、新一は慌ててそう言った。
「…もう。私、先に戻ってるから!」
頬を膨らませたままそう言い、ぱたぱたと走り去るを微笑を浮かべて見送る。
ネクタイを緩め、どさりとソファに腰を下ろすと、シチューの香りがした。…誤解のないように言っておくと、新一が緩めたネクタイは帝丹高校の制服のネクタイである。間違っても背広のネクタイではない。
(…が来てからもう一ヶ月かー…)
新一の父の古い知り合いである氏が、夫婦揃って海外に長期出張に行くことになったのが一ヶ月前。それを聞きつけた母が「じゃあ新ちゃんと暮らせばいいじゃない!女の子一人って危ないし。部屋なら余ってるわよ」と名乗り出て…そんな経緯があって、は新一と二人暮らしをすることになった。
元々顔見知りだった二人は、大して苦労もせずにあっさりと今の生活に溶け込んだのだが…。
(ヤローと二人暮らしするほうがよっぽど危ないと思うんだけどよ…)
そんな提案をする母も、それを受け入れたの母も、どっちもどっちだと思う。もっとも新一とて、いきなりを襲うつもりなどない。
…今のところは、だが。
「おーい、お前んトコ中間もうすぐだったよな?」
「…聞こえなーい」
聞こえない、と答えるのは、聞こえている証拠である。
の高校は、帝丹より二週間ほど中間試験が早い。なんでそんなことまで知っているのかというと、の母が新一に行事予定表を押し付けていったためである。
「新一君、の勉強見てやってくれないかしら。あのこいつも追試ばっかりで」
「…はぁ…」
どうも自分はやたら信用されているらしい。別にそれで自分が困るわけでもないので、断る理由もなかった。
「ごはん、できたよー?」
「オゥ!」
同居し始めてからは、が家事全般をまかなっていた。料理の腕もなかなかなので、食事は密かな楽しみの一つとなっている。
「…で、中間の対策は練ったのか?」
「…う、まだです…」
シチューをかきまぜつつ一気に沈んだをおもしろそうに眺めてから、新一は足元からごそごそと何かを取り出した。
「…勉強をする良い子にはコレをあげよう」
「…コレ?」
つ、と視線を上げれば、新一の手が握っているのは一本のバラだった。
「わ、バラだ!え、おみやげ?新一、買ってきてくれたの?」
ぱあぁっ、と一気に笑顔になったに、新一はちっちっち、と片目を瞑って指を振る。
「…勉強できる良い子にしかあげません。できるかな、くん?」
「…はいっ、できます工藤先生っ!」
ぴっ、と右手を上げて言ったに、新一は吹き出した。
「…はいはい。じゃあ早く食べ終わって、それからだな」
「ラジャー!」





「…終わったか?」
「…終わった。」
ぐったりと突っ伏しているの顔の下からノートを引っぱり出し、赤ペンでチェックする。しゅっ、しゅっ、と丸のつけられていく音を、は全神経を耳に集めて聞いていた。
通算六回目。
これで間違っていたら…と思うと寒気がする。仏ですら三度で怒るのだ、五度耐えただけでも新一は仏以上である。
「…
びびびくっ!
上から降ってきた声に、おそるおそる顔を上げれば、…満面の笑みの新一と目が合った。
「合格!今日はこれまでだ。よく頑張ったな」
「や…やったあぁあぁぁ…」
再びへなへなと崩れ落ちたの目の前に、にゅっとバラの花があらわれた。
「あ…」
「はい、ご褒美。早めに花瓶につっこんどけよ」
「…うん、ありがとう、新一!大好き!!」
「あ、あぁ…」
“そういう意味”での好きではない、とわかってはいたが、思わずそっぽを向いてしまった。…赤い顔を、見られたくない。
「ね、新一、これ何ていう名前のバラ?花言葉とか知ってる?」
そそくさと花瓶を用意しながら、がうきうきと尋ねた。
「ん?名前はドルチェヴィータ。花言葉は、イタリア語であま…」
そこに至って、新一は慌てて言葉を濁した。
「あ、まぁ、あれだ。自分で調べろ!それも勉強だ」
「えー!?いいじゃん、教えてよ!」
「ぜっっったいだめだ!!」
言えない。
通りかかった花屋で、偶然見掛けた花言葉。それに惹かれて買ったなんて、とてもじゃないけど言えない。





…ドルチェヴィータ。

君と、甘い生活を。




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2004.7.16


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