小春日和?






「いい天気ですねー…」
「そうだな」
「こんな日は、お外でランチしたら気持ち良いでしょうねー。」
「…そうだな」
「じゃあ、行きましょうか!」
「ちょっと待て。」
腰を浮かせたをむんずと後ろから掴み、氷室は冷静な声音を凍らせて言った。
「大学に行って尚、私からの教えを請うているのは君だろう。わざわざ休日に人の家にやってきて、何かと思えばこの様だ。確かに私は大学レベルの授業を教えられるだけの知識を備えている。そして君が望むとおりに教えることもできるだろう。だがそれとこれとは大きな違いで、」
「きいいいいい!わかってますよ!わかってないのは先生でしょう!!」
「……なんだと?」
「あ、いえ、なんでもないです…」
なんだか、高校の頃に教室で睨まれていたのを思い出す。卒業しても尚怒られているような錯覚に陥らせるこの教師は、本当に色んな意味ですごいと思う。
(うーん…きっかけって難しいなあ)
氷室は高校で教師、も普通の大学生。平日にデートなんて不可能だ。誕生日はその日に祝いたいなんてわがままも高校までは通ったが、(最も贈ったものは“誕生日プレゼント”と呼ぶにはかけ離れていたが)さすがにもう通らない。当日は電話で済ませ、改めて祝おうとこうして休日に氷室宅を訪れたわけだが。
(ストレートに祝いたい、っていってもうんと言うとは思えないんだもの…)
結局、「大学の課題でわからないものがある」というのを口実に(それも事実だが)こうしてここにいるわけだが、切り出すきっかけが見つけられずにさっきから空回りしてばかりだった。
「こういう天気の日をあれですよね、“小春日和”っていうんですよね!」
以前高校の頃に使用した際は、暦の上で春だった。それを氷室に、“春に使用する季語ではない”と指摘されたのだ。今度こそと張り切って使ってみれば、何故か眉間にしわを寄せられた。
「あれ?違いました?」
また間違えた、怒られる…と引き攣った表情を浮かべたに、氷室が軽く息をついて解説した。
「小春とは、旧暦で今年の11月10日から12月9日までを指す。よって、まだ“小春日和”というには時期が早い。」
「いいじゃないですか11月に入ったんだからーっ!」
細かすぎる指摘に、がたんと椅子から立ち上がって文句をいう。その時、膝の上に置きっぱなしだった箱がコロリと床に落下した。
「…、何か落とし……」
「ひああああせんせーのエッチぃぃぃいいい!!」
の言葉に、拾おうとした体勢のまま氷室がぴしりと固まった。その隙に素早く回収する。
「……えっち………?」
「あ、すみませ…言葉のあやっていうか…深い意味はないです……」
「ほう。君は言葉のあや一つで、人を猥褻物陳列罪で捕縛しようと言うのだな」
「そんなことは言ってないですよ!」
「では何故そこまでして私をそれから遠ざけた?」
「それ…は……」
知っている。…こうなった氷室からは、逃れられないことを。
(タイミングをはかって渡そうと思っていたのに…)
…何故、犯人が探偵に証拠を差し出すような状況で、渡す羽目になってしまったのだろう。
そんなことを考えながら、心の中でそっと涙をぬぐいつつは氷室にその箱を差し出した。
「…?見ても構わないのなら、最初から……」
「乙女の事情です…」
疑問符を浮かべながら箱を開けた氷室の目が、…ゆっくり見開かれていく。
…これは……」
「…私、先生のピアノ、好きです。でも、卒業してからは全然聴ける機会が無くて。でもやっぱり、先生がピアノ弾いてる姿、好きなんです。」
箱の中から出てきたのは、ピアノを模したピンバッチだった。洒落たデザインで、氷室が身につけても全く違和感が無いだろう。
(…高かった、だろうな)
そんなことをとっさに考えてしまうのは、やはり教師の性だろうか。生徒に負担をかけさせたのでは、と考えてしまってから、首を振る。…今の自分と彼女は、教師と生徒の関係ではない。
「ありがとう。…だが、どうしてこれを?」
「先生の誕生日プレゼントですよ!」
憤然として言われ、きょとんとする。…誕生日プレゼント?
「当日、電話をもらったと記憶しているが」
「どれだけ安上がりですか!プレゼントをちゃんと渡したかったんですっ!…だから、今日……」
(つまり、)
ピンバッチを手にしたまま、ゆっくりと、次第に思考が加速してゆくのを感じる。
彼女は私の誕生日を祝いたいがために今日この場へやってきて、だがそれをストレートに告げるのを憚り大学の課題と偽り、更に渡すタイミングを見計らってそれをずっと膝の上に乗せたままで今までここにいた、と。
「…………っ!!」
カアァ、と頬が染まるのを感じて、思わず口元を押さえる。…自分にあるまじき表情を、してしまいそうになって。
「…せん、せ?」
不思議そうに首を傾げられ、氷室は黙って首を振った。
「いや、……いや。」
どうしよう。
…どう、しよう。
(嬉しい…し、そんな彼女が、)

どうしようもなく、愛おしい。

「…。」
「はい!」
名を呼ばれるとやたら元気よく返事をしてしまうのは、やはり高校の頃の名残だ。真っ直ぐに見つめてくる視線を向かえることができず、視線を逸らしたままに告げる。
「今日は、小春日和と言うには早い。…だが、上着を着れば、外出も可能だろう。」
「…?はい」
氷室が何を告げたいのかわからず、とりあえず同意を示すに、そのまま続ける。
「あいつの店を、少し早く開けさせよう。」
「…………はいっ!」
それの意味するところは、すなわち。
(また…あいつにからかわれるんだろうが、な…)
…それもまた、たまにはいい。
そんなことを考えながら、氷室はそっとピンバッチを握った。



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