「ん。」
「……はい?」





あまいあまいスイートハニィ







帰って来るなりいきなり差し出された手に、は怪訝な顔をした。…が、合点がいったというようにあぁ、と頷く。
「お金ならないわよ。」
「どアホゥ」
「いたたたっ!」
差し出した手で、の頬をむにーっと引っ張る。予想外によく伸びて、萩原は吹き出した。
「…餅みたいだな」
「うるっさい!なんなのよ、さっきから!」
お玉を持っていない方の手で萩原の手をはたく。小さく肩をすくめると、萩原は大きなため息をついた。
「…同棲一年目はさ、すっげー気合い入れたの作ってくれてさ。だからそれ以降も期待しちゃったってのに。去年はスーパーの詰め放題特売品で、今年はいよいよ丸忘れ?」
「……………え?」
慌てて壁に掛かったカレンダーに目をやる。…2月14日。
「あ……」
「思い出した?」
「今日はお母さんの誕生日だった!」
「………ちゃん?研二くん、泣いちゃうよ?」
壁側に向いてしゃがみ込んだ萩原に、はため息をついた。…正直、忘れていたわけではない。だが、用意するのが面倒くさかったのである。…と、本音を言ったら泣きそうなのでやめておく。
「あーもう悪かったわよ!明日必ず用意しとくから!」
「半額セールだろ」
「う」
図星をつかれ、言葉につまる。
「…大体なー、そーいうのは当日もらってこそだってーの。」
「でも…今からじゃ……」
作りかけの夕飯を見て、次に冷蔵庫へと視線をやる。
「…さっき、母親の誕生日用に作ったケーキの残りの生クリームがあるから、今から小さなスポンジ焼いてケーキ作る。チョコじゃないけど、それでいい?」
「えー……」
「なによ、不満?」
「…もっと甘いのがいい」
「? ショートケーキだって、結構あま……」
ぐっ。
不意に肩をつかまれ、無理やり振り返らされ、それと同時に唇を塞がれる。
「……んっ…、ふ……ぁっ…」
ひとしきり貪るようにの唇を味わってから、くちゅ、と音をたて、萩原が唇を離す。
「……なんの、…つも…り……?」
壁に手をつき、ふらつく足でなんとか立ちながらが抗議の眼差しを向ける。
「んー?別にィ?ただが面倒くさがってチョコを用意しなかったから、ちょっと仕返ししてやろうかな、なんて?」
「……っ、」
見抜かれて、いる。
ぞくり、と。
なんとなく、身の危険を覚える。以前も似たようなことがあったとき、鍵をかけたトイレに3時間こもって粘り勝ちをしたこともある。またその手でいこうと、そろりと動いた瞬間を萩原は見逃さなかった。
「…逃がすかよ」
「きゃあっ!」
ひょい、と片手で簡単に担ぎ上げる。さらに、もう片方の空いた手で何やらごそごそ漁りだした。
「けっ…研二?なにを……」
「んー?生クリーム、余ってるっつってただろ」
「ちょ……」
「お、あったあった」
が文句を言う前に生クリームを見つけだし、萩原はそのままを寝室まで運んでベッドの上に放り投げた。
「……っ!」
「…ねえ。俺が帰るまで健気に電気を点けて起きててくれた、あの頃のちゃんはどこにいったのかな」
どさり、と。
が体勢を立て直す前に、その上に馬乗りになり囁きかける。
「…最近は、俺の帰りが遅いとさっさと寝てるだろ。しかも近頃は残業続きだったから…ご無沙汰だよな?」
「いや……その、今日は…やめよ?ね?」
萩原の瞳に宿る危険な光に、背筋が冷たくなる。…無駄とはわかっていても、抵抗せずにはいられない。
「だァめ。今日は俺が満足するまでやめない」
そう言うと、脇に置いた生クリームを手にとっての唇に塗り付ける。そしてが抗議をしようと口を開けた瞬間、中にも生クリームを放り込んで舌を滑り込ませた。
「っふ、ぁっ……ん、っ……!」
口の中の隅々まで生クリームが行き渡り、むせ返りそうになって萩原の胸を叩くが、萩原はびくともしなかった。
「………あまい。」
そう言って、ペロリとの口の端をなめて、ようやく唇を離す。頬を染め、口の周りを生クリームまみれにしたを見下ろして、萩原は口角をつり上げて言った。
「………イイ眺め。なぁ、俺だけの、あまいあまいスイートハニィ?」
「こんのっ…ド変態っ…!!」
「変態?それはこれからだろ」
そう言われて、は青ざめた。…本気だ。
「ちょっ…それは待っ……!」
「待つ?無理。」
体のあちこちに生クリームをつけ、ペロリとなめてはキスをして痕を残す。羞恥で我を失いそうになっていたとき、ピンポーンとドアベルが鳴り響いた。
「…けんっ、じ……」
「あァ?どうせセールスだろ。気にするなよ」
「気にするっ…!!」
この窮地を脱する最初で最後のチャンスだ。なんとか萩原の手を逃れようともがくが、萩原はそれを許さなかった。
「いいから大人しく食われとけよ」
「ひぁっ……!」
かろうじて繋がっていた理性が、飛びそうになった瞬間。
「萩原、明日までの書類忘れてったぞ」
「ま……」
「松田くんっ!!」
反応は、のほうが早かった。
「助けて松田くんっ!!殺される!!」
「こっ……」
ドアの向こうから、唖然としたような声が聞こえた。書類を持ったまま固まっている松田が目に見えるようだ。
「おい、っ…」
「鍵開いてるからー!!」
「…っ、邪魔するぞっ!」
がんっ、と扉を開け、松田が飛び込んでくる。
「うわああああん松田くんっ、ありがとうっ!!」
そう言って松田に泣きついたは、とりあえず横にあった萩原のシャツを着ただけで、全身生クリームまみれだった。
「……萩原………。」
「んだよ」
「……お前、いい加減にしとかないといつか捨てられるぞ…?」



あまいあまいスイートハニィ。
ハッピーバレンタインには、どうにも程遠いようで。




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