「じゃあ、行ってくるわね」 「うん、いってらっしゃい」 出かける姉を、笑顔で見送る。東方司令部に勤務している姉は一人暮らしをしていたのだが、先日妹のとの二人暮しとなった。 …が押しかけた、というほうが確かな言い方だが。 「…行った。行ったよね、ブラハ」 足元に擦り寄ってきたブラハ─ブラックハヤテ号─を抱き上げ、玄関を閉めて自室に向かう。これから姉が帰ってくるまで、「秘密の勉強」の時間なのだ。 「軍部に入りたい?」 「そう!しかも結構いい位が良いな。少尉とか、それ以上」 「…って言ってもなぁ…なんで唐突にそんなこと言い出したんだ?」 「っ、それは…」 ヒューズに問われ、は口ごもる。確かこの人は、「あいつ」の友達だったはずだ。 「なんだよー教えてくれよー」 「…怒らない?」 「怒らない」 にっ、と笑って答えるヒューズを見て、思わずクスリと笑ってしまう。この人の笑顔は、どうしてこんなに心をやわらげてしまうのだろう。 「…ロイ、って人、いますよね」 気を引き締め、真剣に語りだす。そう、これは決して笑いながら話せるような内容ではない。自分にとっての一大事なのだ。 「ロイ?…あぁ、まあいるな。あいつがどうした?」 「私の…私のお姉ちゃ、あ、いえ姉を…狙っているみたいなんです」 瞳を見つめ、真摯に語る。だが、返ってきた反応は予想しないものだった。 「…っぷ」 「へ?」 「〜〜〜っはっはっはっはっはっは!!そうかそうか!お前さん、中尉のこと心配っ…っぷ」 お腹を抱えて笑い続けるヒューズを見て、はふつふつと怒りが湧いてきた。自分は真剣なのに、何がおかしくて笑うというのだろう。 「笑わないで下さいっ!それ以上笑うと、今度の休日エリシアちゃんと二人っきりで遊んじゃいますよ」 「いや笑って悪かった。実はさっきワライダケを食べてな、その後遺症なんだ」 いきなりキリリとなるあたり、この人はいったい何なんだろうと肩を落としたくなる。今日はたまたま、中央から仕事で東方司令部に出向いてきていたのだ。本来なら家族三人で出かけるはずだったのに、と急に入った出向きの仕事に文句を言いつつ、あっさりと目的を済ませ。中央から引き連れてきた彼の部下はまだ東方司令部内を駆け回っており、ヒューズだけ先に帰るわけにもいかず、それで暇をつぶすためにを呼び出し、世間話などしているのである。この上次の休日までエリシアを奪われたら、発狂してしまうかもしれない。 「だから、軍部に入りたいんです!姉をロイって人から守るために!」 「でもよぉ…軍部ってそんな甘いもんじゃないぜ?近頃は世間の風当たりも厳しいし。 みたいな理由じゃあ、そんな長続きしないと思うけどなぁ」 「うん…でも私、実はもともと軍部に入りたかったんだけど」 「へぇ?」 伏目がちに、静かに語りだす。 (なんだなんだ…ワケアリか?) ヒューズが軽く身構えていると、は続いて沈痛な面持ちで言葉を続けた。 「いざって日に、お姉ちゃんがブラハもらってきて…『昼間一人だと可哀想だから、あんた軍部なんて入るのやめてブラハの面倒見なさい』って言われて…」 がすっ。 ヒューズはまともにひっくりこけた。 「〜〜あのなぁっ、お前、そんなことくらいで…!」 「そんなこと!?私にとってお姉ちゃんは絶対的存在なんだから!!」 身構えて損した、とヒューズはため息をこぼしながら席に座った。この姉妹は、普段どういうやりとりをしているのだろうか。 「で?一旦は諦めたんだろ?じゃあなんでまた」 「軍ってペット持ち込み禁止じゃないんでしょ?だったら勤務時間中は外に放しておけば良いし。あ、お姉ちゃんのしつけのおかげで人噛んだりはしないから平気。それに…」 そこで一呼吸置き、一気にまくし立てる。 「ロイって人、いっつもお姉ちゃんを困らせてばっかりらしいし!!知ってる!?お姉ちゃん、家で『本日大佐が逃げた回数』とか記録してるんですよ!増えてく正の字見てため息ついてるお姉ちゃんとかもう見たくないし!挙句ロイってお姉ちゃんを狙ってるらしいし!もう我慢できない!!」 ばんっ、とテーブルを叩いた衝撃で、紅茶を入れたカップが揺れた。中に入っていた分も若干こぼれ、テーブルクロスに小さなしみを作る。 …気圧されつつも、ヒューズは内心ほくそえんでいた。これはおもしろいことになるかもしれない…と。 「じゃあ…手っ取り早く、高い地位を取れる方法を教えてやろう」 「え」 くいくい、っと耳を寄せるように指示するヒューズに従い、身を乗り出す。この家には他に誰も居ないのだが、要は雰囲気というやつだ。 「…国家錬金術師になるんだ」 「…国家錬金術師…!」 「そう。国家錬金術師は、少佐相当の地位がある。それで軍に入れば少佐からのスタートだ」 そこで耳を放し、はもう一度つぶやいた。 「…国家、錬金術師…か…」 「ただし」 そこでヒューズは、表情を引き締めた。これだけは言っておかなければならない。 「国家錬金術師になったら、軍部が召集をかけたらいつでも人間兵器として戦わなければならない。…その覚悟は、しておけよ。わかったか?」 「はい」 それは全ての国家錬金術師が承諾していることだ。とて、それくらいの知識はあった。 「ヒューズさん、ありがと!私頑張ってみる!」 言うなり、横に置いてあった鞄を引っつかんで玄関に向かう。ヒューズが止めるまもなく、扉はすごい速さで開閉を行った。 「…おーい、俺、またひとり?」 やっと捕まえた暇人だったのになぁ…とぼやきつつ、仕方なく書類に手を伸ばした。 それが、3ヶ月ほど前のこと。 『錬金術とは何ぞや』から始めたは、この3ヶ月でめざましい進歩を見せた。 「ふんふん、いろんなバリエーションがあるのね。錬成陣描くだけが錬金術じゃない…」 だったら自分も、何らかの特殊なものにしたい。 錬金術の基礎・応用を一通りマスターしたは、今日は自分で開発してみるつもりだった。とはいえ、自分が錬金術の勉強をしていることは姉には秘密である。 「ブラハ、お姉ちゃんが帰ってくる気配がしたらすぐ吠えるのよ。わかった?絶対だからね」 「わん!」 そういってとっとっと、と部屋から出て行くブラハを見送り、は一気に自分の世界に入っていった。 「…やっぱり、“焔”に対抗できるものがいいよね。」 だからと言って、ただ水をぽちゃんと出すような真似はできない。何かうまいものはないかと、動物園の熊よろしく室内をぐるぐる回っていたのだが…唐突に、ひらめいたものがあった。 「…そうか!」 すぐに机に駆け寄り、がりがりと錬成陣を書き出す。 「…うん、うん。…できるかもしんない!」 急いで台所へと走り、皿になみなみと水を注ぐ。それを、今描いた錬成陣の上にぶちまけ…一気に両手をついた。 ぱりんっ! …“それ”の進行方向にあった窓が、砕け散る。 「〜〜〜よっしゃぁ!!」 は、笑顔全開でガッツポーズをとった。 「じゃ、お姉ちゃん、私今日ちょっと出かけるところあるから。先に行くね」 「ええ」 あれから数日。 ヒューズの前でも錬成してみせ、「これなら大丈夫だろう」とお墨付きをもらった。今日は待ちに待った国家試験の日だ。 「…、ひとつ聞いていい?」 「ん?」 玄関で靴を履いていたは、上から降る声に顔をあげる。姉が、不思議そうな顔をして覗き込んでいた。 「なんで水筒を下げてるの?遠足にでも行くつもり?」 「あ」 ちゃぽん、と音を立てる水筒を見て、は笑顔で返した。 「そう!遠足に行くの」 「…そう」 それ以上追求することもなく、部屋へと戻っていく。それを見送ってから、は家を出た。 …今日は、勝負の日だ。 「名は?」 「・ホークアイ。ホークアイ中尉の妹です!!」 BACK |