「あら、何作ってるの?」 珍しく台所に立っているに、母が不思議そうに声をかけた。 「んー…パンプキンパイ。…に、なったらいいなと思ってる。」 「…なるといいわね。」 決して料理が得意ではなく、いつもなら手伝ってくれと泣きついてくるのにその気配はない。つまり、手出しは無用ということだろう。 「ん。なるよう祈ってて」 ゴリゴリゴリ。 なんとも不穏な音を立てながら、はひらひら片手を振って応えた。 「ねえねえ、せっかくだからハロウィンにお菓子交換しない?青子一度やってみたかったのーっ!」 唐突な青子の申し出に、はきょとんとした。 「…ハロウィン?」 「そう、ハロウィン!」 アメリカで確固たる地位を確立しているハロウィンは、今や日本でもメジャーなイベントとして定着しようとしている。だが、実際に仮装したりしている人々はごく僅かだろう。 「なんか、お菓子交換って趣旨が違うような気もするけど…」 「楽しければそれでよーし!」 ぐっと拳を握って言った青子に、は苦笑した。ま、そんなのもありだろう。 「キリストの生誕を祝った一週間後に神社で手を合わせているような、とにかくお祭り好きの国だからな。こんな楽しいイベントは見逃せないんだろ。アホ子はその象徴だ」 そう言って青子の頭を小突いたのは、言うまでもなく快斗だった。 「そのイベント、オレも乗った!」 「誰がアホ子よーっ!!」 言い捨てて逃げる快斗を追い、青子も教室から飛び出していった。 「…で、は何を作るワケ?」 「うぉわっ!」 唐突に頭上で聞こえた快斗の声に、は飛び上がった。 「かっ、快斗!?あんたさっき教室から出て…!」 「ま、替え玉はオレの十八番ってね。んなことより、何作んだよ?」 なにやら期待に満ちた眼差しで聞かれ、は困ったように頬をかいた。 「…朝、コンビニで買ってこようと思ってるんだけど」 「えええええ!!」 「な、なに?」 「認めない!せっかくなんだし、オレの手作りがいい!」 ぶうぶう文句を言っていた快斗の姿が、ふいに視界から消えた。その直後、今し方快斗が立っていた辺りをホウキが薙いでゆく。 「ちっ、避けたわね!」 舌打ちする青子を見て、快斗がの後ろから声を上げる。 「…ったく、危ねーだろーが!に当たったらどうする気だ!」 「じゃあ避けないで。」 「へ?」 ずいっ、と快斗を前に出すと、ががっちりとその腕を掴んだ。 「ちょっ、待っ…!」 すこぉぉおぉぉぉおんっ! それを逃さず青子が投げたホウキが、見事快斗の額にクリーンヒットする。 「いてぇぇぇっ!何すんだよ、!」 涙目で訴えてくる快斗に、は素知らぬ振りで応えた。 「あ、ごめん。この手が勝手に」 「おいっ!」 (…作れるもんなら、とっくに作ってきてるって) バレンタインにホワイトデー、とかく女子高生はイベント好きだ。バレンタインなどは、友達同士でのチョコ交換がメインになるのも珍しくない。 その度にことごとく市販で済ませてきたのは、ひとえに料理を得意としないからなのに。 「…ちっともわかってないんだから。バ快斗」 小さな呟きは、再び青子とバトルを開始していた快斗の耳には届かなかった。 「すっごーい!超おいしそうっ!」 「まあねー」 ハロウィン当日。 きらきらと瞳を輝かせている青子の前にあるのは、見事なパンプキンパイだった。 「これ、手作りなんだよね!?こんなすごいのが作れちゃうなんて羨ましいなあ」 「青子は何作ったの?」 興奮しまくっている青子に、が尋ねる。 「ただのクッキーだよ。んでも、頑張って作ったから食べてね!」 ぎゅっ、と両手を握りしめて言った青子に、にっと笑って答える。 「もっちろん!」 「じゃ、いただきまーす!…く〜っ、美味しいっ!」 言うが早いか早速食べた青子が、幸せそうな声を上げる。 「青子のクッキーも美味しいよ」 「ほんと!?やったぁ!…あ」 始業チャイムが鳴るぎりぎり前に、快斗が教室に駆け込んできた。それを見つけ、青子がぶんぶん手を振って呼びかける。 「快斗、ちゃんが作ったパンプキンパイすっごい美味しいよ!」 「んあ?」 ちらりとこちらへ視線を飛ばすと、快斗は「パス」と一言だけ言って自分の席へと向かっていった。 「…?どしたんだろ、あんなに食べたがってたのに」 「…さぁ。ま、別にいいよ。青子、あと食べていいよ」 「やったぁ!」 (…なんか、ヤな予感。) 表面上は平静を装いつつも、は内心穏やかではなかった。 (まさか…そんなはずは…) キーン コーン カーン コーン … の危惧は、チャイムの音にかき消された。 「…うーん、どうしたもんかな」 時刻は十一時過ぎ。 ビニール袋をぶんぶん振り回してベッドに放り投げると、はその後を追うようにしてベッドに横になった。チラリと横の出窓に目をやれば、大きな大きな満月が目に入る。 「ハロウィンに満月って…。何か出そう」 13日の金曜日的なものを感じて、苦笑する。実際に何か起こるとは思っていないが、なんとなく何か起こりそうな、そんな予感が楽しいのだ。 「コウモリくらい飛んで――…」 てもいいのに。 そう呟きかけて、硬直する。本当に黒い翼が見えたのだ。 「なっ…」 慌てて身を起こし、窓を開ける。あまり大きな声では言えないが、白い翼には慣れている。…だが、黒い翼というのは初めてだ。 「…こんばんは。今夜はハロウィンですが、悪魔よけは施していらっしゃらないのですね」 “それ”が何なのか、すぐそばまでやってきてからようやく気付く。唐突な“満月の晩の訪問者”に半ば呆気にとられながらも、は冷静に応対した。…昼間の嫌な予感は当たっていた。やはり、何か企んでいたのだ。 「…今夜は、随分と趣向が違うんですね、キッドさん。いつもの真っ白なお召し物はどうしたのかしら?」 「たまには黒もいいでしょう?」 そう言って、キッド…快斗は、ばさりとマントをはためかせた。いつもの真っ白のキッドの衣装に変わって、今夜は真っ黒だ。シルクハットのリボンは赤になっており、モノクルの先には小さなコウモリが踊っている。 「悪魔お断り。はいさよなら」 「待った待ったー!!」 無表情に窓を閉めようとしたに待ったの声をかけ、なんとかかかとを閉まりかけた窓の隙間に滑り込ませる。 「不法侵入!!」 「同意の上なら不法じゃねーだろ!とにかくオレの話を聞けー!!」 力勝負では敵わない。ほどなくが折れ、快斗が嬉々として入ってきた。 「…明かりの元で見ると余計おかしいね、その格好。」 「普通“きゃっかっこいい!”とか“ドラキュラみたいよ、快斗”とか言ってくれるもんじゃねーの?」 「きゃーかっこいードラキュラみたーい」 「オレが悪かったです。」 大人しく謝った快斗を一瞥し、はたとベッドの上へと視線をやる。…しまった、まだ片付けてなかった! 「ちょっ…」 「そうはいかねーぜ!!」 手を伸ばしたより一足早く、快斗がビニール袋を奪取する。 「うわっバカ、それ返して!!ゴミだってば!!」 「…が今まで手料理を渋ってきたのは知ってるよ。だから今回も逃げようとしたことも」 の手が届かないよう、ぐっと上に持ち上げ、空いた手での頭を押さえこむ。 「……っ、」 「でもまー、グルメの快斗様としては食べられないものほど食べたくなる。だから、が…嫌がっているとわかってても、無理やりけしかけた。ごめんな、本当はオレに食わせたくなかったんだろ?自信がなかったから」 「! …わかって、たの?」 そりゃあ、できることなら、大好きな人には自分の手料理を食べて欲しい。けれど、それと同じくらい、美味しくないものを食べさせたくないのだ。…そんな葛藤を、見抜かれていたなんて。 「でも、今日おめーが学校に持ってきたのはどう見てもプロ級。母上の手料理かな?」 「…ご名答」 取り上げるのを諦め、降参のポーズをとってどさりとベッドに腰を下ろす。さぁ、どこまで見抜かれていたのだろう? 「だが、昨日のおめーの様子から見て、とりあえず作ることに挑戦はしたはずだ。だったらそれが、家にはあるはず。捨てるに捨てきれず、もてあましているんじゃないか…そう思ったわけさ」 「それでこんな時間に?…ご苦労なことで」 苦笑しながら言うと、快斗がすっと跪いての手をとった。 「っ!」 「…大事なのは、、味じゃない。“が作った”ことが重要なんだ」 そう言って、ウィンクする。 「…胃腸薬なら用意してあるから、心してドウゾ」 ぱっとその手を振り払い、そっぽを向いて言い捨てる。それを見て、快斗はにっと笑った。 「それじゃあ遠慮なく」 ビニール袋から出てきたのは、なんとも刺激的な物体だった。例えるなら、黒いモアイ像…… 「いや、意味わかんないし」 「は?」 「内なる声に対する返答だ。気にするな」 よく“胃に入ればみな同じ”などと言うが、胃の前に視界と喉を通ることを失念しているのではないだろうか。 (…ま、元はカボチャだし) 深く考えるのはやめ、思い切ってかぶりついた。 「ちょっ、そんなにいきなり…!」 が慌てると、快斗がパンプキンパイを凝視して固まっていた。 「や、やっぱり殺人的な味…?」 おそるおそる聞いたに、快斗がぼそりと返した。 「……まい」 「え?」 「うまい!うまいぜ、何だこのギャップすげーな!」 「うそぉ!?」 嬉々として言った快斗に、が疑わしげに聞く。 「信じられないなら食ってみろって、ほら」 「んぅっ」 突っ込まれたパンプキンパイに、とっさに目をつぶる。…が、次第に口内に広がっていった甘みに、ゆっくりと目を開いた。 「…おいしい」 「だろ?」 にっ、と笑顔で言った快斗に、は照れくさそうに笑った。 「ありがと。」 「オレの方こそ、サンキューな!」 「あ、言い忘れてた。」 「え?」 ふいに言ったに、快斗がきょとんとする。 「Trick or Treat !! 私にもお菓子頂戴?」 「え?持ってきてねーよそんなもん!」 ハロウィン仕様の衣装の準備に必死で、当然そこまで頭は回っていなかった。 「じゃーイタズラね。」 「な」 とんっ。 出窓の端に座っていた快斗の背を、軽く押す。 「ちょっと待てぇぇぇぇえええ!?」 「あっはっは、ばいばー…っていやぁぁぁぁっ!」 バランスを崩した快斗が、とっさにの腕を掴んだのだ。 「このまま夜の散歩に行こうぜっ!」 「勘弁してーっ!!」 ニヤリと笑って言った満月の晩の訪問者に、はぼんやりと心の中で思った。 (…ああ。この悪魔は、) ジェイソンよりもたちが悪いかもしんない、と。 ---------------------------------------------------------------- BACK |