「……あ、ど、どうも…」 
「……………………お帰り。……なさいませ、お嬢様…だったか……?」
「あ、いえ…お気になさらず」
「ああ、そうか。それじゃあ、いつもと同じでいいな」
「はあ」
一つのソファーで、何だか妙に距離を開けて座ってしまった。
今更近付くのも憚られるが、普通に会話するのにはやや離れている感がしなくもない。
(…まさか、赤井せんせーが参加してるなんて思わなかった……)
ちら、と表情を盗み見ると、ばっちり目が合って全力で下を向いてしまった。なんだ、なんなんだこの羞恥心は。このまま頭が「ッパーン!」とかなって死にそうなくらい恥ずかしい。
「…、だったな」
「あ、はい!よく、私の名前…」
赤井の授業は、定期的に行われているわけではない。月に一度、多くても二度程度、「課外授業」として土曜日に行われている。欠かさず出席はしていたが、まさか名を覚えていたもらえたとは思わず、自然笑みがこぼれた。
はオレの話をよく聞いてくれるだろう。積極的に質問もしてくるし。教師はそういう生徒を見逃しはしないさ」
「……は…」
さらりと言われて、なんだか先ほどとはまた違った羞恥心に襲われる。こちらが見ているとばかり思っていたのに、同じように赤井側からも見られていたとは。…居眠り、してなかったよね。
「ああ、そうだ。一応、今日のオレの肩書きは執事だったな。………ふむ」
何を考え出したのか、途端に沈黙が落ちる。
授業でもボソボソ喋ることや沈黙が落ちることは多いが、こうして1対1でそれをやられると…身の置き所がなくて、視線のやり場がなくて。なんだかもじもじしてしまう。
「……、お嬢様」
「はいいいぃぃっ!?」
唐突に名を呼ばれ、文字通り椅子の上で飛び上がる。ぼすんっ、とソファーの上に着地し、口をパクパクさせているといつの間にか赤井がソファーの間の距離を詰めてきていた。
「あ、あ、あの、せ、せん、」
「今日は執事とお嬢様なんだろう?…オレはお前をお嬢様と呼ぶし、お前もオレを自由に呼べばいい。」
「自由に、って言われても!!」
「今、新しい茶をいれてくる。ちょっと待ってろ、。…お嬢様。」
そう言って、空のカップを持って席を立つ。その瞬間、はがっくりと崩れ落ちた。
(死ぬ………!!)
赤井の声は、優しくて深くて落ち着いていて、聞いていて本当に心地良い声なのだ。女生徒の間でも評判なほどに。
…その声が、自分の名を呼んでいる。それだけで既に脳内パニックに陥りそうだった。



「お嬢様。」
「あ、はい!」
不意に上から降って来た声に、慌てて見上げれば。
「…あの、その手は………?」
何かを求めるかのように差し出された、手。
「今日は?」
「え、今日……ですか?」
今日は何の日か、ということなのだろうが…手を差し出されて、何をすれば応えたことになるのだろう。
「…やれやれ。やはり言わないと、伝わらないかな」
困ったようにため息をつくと、その場にゆっくりと跪く。
「ちょ、あ、赤井せんせっ!?」
慌てて声を掛ければ、すっと顔をあげてにっと笑みを浮かべて言う。

「Trick or Treat …?」

「!!!」
“オ菓子ヲクレナキャ、悪戯スルゾ?”
(そうだよ、ハロウィンじゃない…!)
だからこの喫茶店があって、イベントとして成り立っていて、自分もココにいるというのに。
すっかり失念していた。
「お、お菓子…!」
慌ててポケットを探る。飴玉の一つも入っていないかと思ったのだが、生憎そう都合よくそんなものが出てきてくれるわけもなかった。
「ご…ごめんなさい。私、今日、お菓子持ってくるの忘れちゃって……」
「……そうか。」
赤井秀一の、悪戯。
なんだろう、山のような課題か、もしくは次の授業であてる宣告とか…どちらにせよ、震え上がる思いではぎゅっと目を瞑った。
「それじゃあ、悪戯するしかないかな」
「え、」
言葉と同時に、唐突に浮遊感に襲われる。
「あっ…赤井せん、せっ……!?」
「ん?どうした?」
「こ、こ、これ………!」
そう。今の、体勢は。
(お、お姫様抱っこ……!!)
自分がやせているなんて思ったことはない。ごく一般的な体型であろう自分を、赤井はいとも簡単に抱き上げてしまったのだ。そしてそのまま、備え付けられているテラスへと向かう。
「せ、せんせ…重いでしょう?下ろしてください…!」
恥ずかしさのあまり、顔が直視できない。ぎゅ、と赤井にしがみつきながら、は真っ赤になって言った。
「駄目だよ、これは悪戯だ。に…お嬢様に、拒否権はない。それに……」
しがみついたままのの耳元で、そっと囁く。
「オレに言わせれば、羽根のように軽いですよ。お嬢様?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
寡黙で、冷静な先生だと、思っていたけれど。
「ず…ずるい、です……」
「おや、何がかな」
クスリと微笑って言った顔は、全てを悟っていて、それがまた悔しい。
そっとテラスに降ろされると、目の前のテーブルにはいれたてのお茶が用意されていた。先ほど席を離れた際に用意していたのだろう。
「……先生、私がお菓子持ってないってわかってたんですか」
椅子に座りながら恨めしそうに言えば、赤井がきょとんとして返してくる。
「…持っていたとしても、何かしら理由をつけて実践させてもらっていたよ。当然だろう?」
「な……!!」
このひとっ……!!
「おや、お嬢様。顔が赤いようですが、熱でもおありですか?ちょっと額を……」
「だ、大丈夫ですからーーーー!!!!」
の抵抗の声が、虚しく響き渡った。