かつ、かつ、かつ。
城内に、自分の靴音が響き渡る。
草木も眠るなんとやら、時刻が深夜で、自分以外に歩く者がいないためだ。
…そして、
「………………。」
窓際に寄り、ゆっくりと見上げた空からは。
(…これのせいも、あるのでしょうね。)
…いつだったか、主が、教えてくれたことがある。





「静か?」
「ええ。何というのでしょうか…しん、としているというか。」
「……そうだな。」
ゆっくりと頭上を見上げ、主が微かに笑みを浮かべる。
「これの、せいだろう。」
「……これ?」
「そうだ」
す…と主が差し出した手の平に降ってきたそれは、一瞬後にはすぐに溶け消えてしまった。…それを、惜しい、と思う。
「これは、音を吸う。だから、静かだと感じるのだろう。」
「音を……」
どういう構造になっているのだろう。
どうして、音を吸ってしまうのだろう。
ぐっと空に伸ばした手は、空を切る。
「捕らえられるものではない」
そう言って、背後に回った主が、そっと白梟の手を取り、空にかざした。
「こうして、手のひらを開け。そうすれば、嫌でもあれのほうから乗ってくる。」
「…………はい」
それを手にすることができた喜びもさることながら、そうして主が己に触れてくれたことが嬉しくて。
白梟は、そっと微笑を浮かべた。





(…結局あの後、黒鷹が降ってきて台無しになってしまったのだけれど……)
静かな雰囲気も、主との大切な時間もいっぺんに失ってしまい、自分は相当不機嫌になったのを覚えている。
あの頃は、これをまだ、綺麗だと、美しいと。…思うことも、多かった。
「雪が、綺麗ですね」
「……!?」
唐突に聞こえた声に、弾かれたように振り返る。
…いつの間にか、向かいの窓に黒鷹が腰掛けていた。いつもの、食えない笑みを浮かべて。
「いつからいたのですか」
「ついさっき、ですよ」
「…見ていたのですか?」
「何を」
「…私が、」
それを、見ていたのを。
「ああ、雪ですか。愛おしそうに見つめていましたね」
「! 誰が、」
「はいはい、冗談ですよ。私が悪うございました」
両手を挙げて応える黒鷹に、苛立ちが募った。
…いつも、こうだ。
あの時も、ただ笑って誤魔化された。何用だったのかと問い詰めたくても、主を前にしてあまり激しい口論に発展させるわけにもいかず。
「このような時分に、何の用ですか。玄冬でもつれてきたのですか?」
わざと言葉に棘を持たせて言っても、黒鷹は笑みを崩さなかった。
「いやいや、さすがにそれはご勘弁願いたいね。……ただ、」
「…ただ?」
ふ、と。
白梟から視線を外すと、黒鷹は遙か頭上を見透かすように、目を細めて空を見上げた。
…まるで、箱庭の、その外を見つめるかのように。
「……なんとなく、感傷的な気分になってね。貴方に、会いたくなったのだよ」
「…貴方が、感傷的に?」
疑わしげな眼差しを向けられ、はははと乾いた笑い声を上げる。
「相変わらず、私は信用がないね」
「どうして貴方を信用することができますか?」
「はは…」
取り付く島もない、とはこのことか。
全く自分の信用のなさと言ったら、本当に地の底だ。
(…本当に、感傷的な気持ちになったのだよ)
降り止まない雪は、この世界が終わりに近付いている証。それを愛しいと、懐かしいと、切ないと。
そうして会いたいと思った人は、いつだって仏頂面で自分を迎えてくれる。(笑顔など、期待するだけ無駄だとはわかっているが。)
最も、自分にそのような資格があるとも思えないが。
…感傷的な気持ちになる、資格など。
「ねえ、白梟。私は、君に言っていないことがあるんだ」
「何を今更。貴方はいつだって、本当のことは言わないでしょう?」
さらりと流され、苦笑しながらため息をつく。
…追求されないことに、安堵している自分を感じながら。
(いい加減、私も臆病だね。)
隠していることがあると告げ、自分の荷を軽くして、そして核心に触れることがないともわかっている。
そうしていつまで、この人を騙し続けるつもりだろう?
「……白梟。」
「なんですか、黒鷹。用がないのなら、本当に帰ってください」
「いつか、話すときが来たら、…そのときは、どうか聞いてくれないか。」
「え?」
「…なんでもないよ。おやすみ。良い夢を」
「黒た……」
ばさっ、と羽音がしたと思った次の瞬間には、既に人影は消えていた。
…再び、しん、とした空気が闇を支配する。
(……黒鷹。)
貴方は、私に何を隠しているのですか?
「…何を、話そうとしているのですか。」
わかっている、彼が何かを抱えていること。
それでも自分は、それに気付かぬ振りを続けるのだ。
「………そのときが、来るまでは…………………………。」
ぽつりと呟いた言葉は、闇に浮かぶ白い灯りに、吸い込まれて消えた。

“これは、音を吸う。”

主の言葉が、脳に反芻され、消える。
…音。広義で言えば、言葉もまた、音になる。
大切な言葉も、必要な言葉も、全ては皆、音の中。
(…皆、吸い込まれてしまえば良い。)
そうすれば、耳を澄ませる必要も、声を聞きたいと希うことも、無くなるのに。
「…………主。」
遠い空の向こう。語りかけても、貴方はもうここを、見ていないとわかってはいるけれど。
「教えてください、主。なぜ………」

なぜ、  は  を て   ので、    か  ?

言葉は耳に、届かない。
届けることも、届けられることも、



ない。




Snow, and Snow.


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