「……それでは行ってくるよ、藤姫。」
「友雅殿……」
不安でいっぱいの眼差しに、優しく微笑みかける。…大丈夫だよと繰り返すより、その方がより多くの安堵を与えることを知っている笑みだ。
「…お気をつけて」
「ああ」
(……全く、面倒なことだ。)
そうはいっても、やはり立場上、どうでもいいなどと投げ出すわけにはいかない。藤姫に協力することに依存はないが、面倒くさいだけだ。京を救うの救わないのなど、自分にとっては大事ではないのだから。新しい世界への不安などはない。…どうせ飽いたこの現身、今更何かを畏れることもない。
(ああ…本当に。)
…ゆっくりと足を踏み入れながら、友雅は一人、静かに嘲笑った。





「時空の歪み?」
「はい。そのようなものを、見つけましたの」
「それはそれは……。また随分と、突拍子のないことだね」
藤姫に応えたのは、簾の向こう側の人物だ。…名を、橘友雅と言う。左近衛府の少将であり、星の一族の末裔である藤姫の補佐的役割も買って出ている。女房からの人気は高いが信頼は薄い、ふらふらしているようで与えられた仕事はこなすという、つかみどころのない昼行灯のような男だった。
藤姫が友雅の元へ持ってくる話は、占いに因るものが多い。このように出たが、自分はどう思うか。藤姫のその問いに、友雅は大体において的確な答えを用意できた。…だが、さすがに、今回は。
「突拍子なくなどありませんわ。以前、龍神の神子様についてはお話しましたでしょう?」
「ああ、聞いたよ。京を救ってくれるというのだろう?それなら、その“歪み”とやらから来てくれるのを待てばいいのではないかな」
「友雅殿!そのような時間は…」
「……ない、か。」
わかっている、この京が既に穢れきっていることは。鬼の猛威が、既に手に負えないものになっていることは。
(……この姫は、使命に忠実だからね。)
なるようになる、なんて考えは持ち合わせていないのだろう。龍神の神子が来たら京は救われるが、来なければそれで終わり。…なんて、口に出したりはしないけれど。
「…つまり、私に迎えにゆけと?そう仰るわけだね、姫君」
「他に、頼める方が…いないのです…」
心苦しそうに言った藤姫に、友雅は苦笑した。行けと一言命じれば良いものを、この姫は優しすぎる。
「いいよ、行ってみよう。…龍神の神子がいる世界が、私を歓迎してくれればいいがね」
帝に休暇のご報告に上がらねばねぇ、と暢気に続けた友雅に、藤姫は深く頭を下げた。…幼い自分が情けなく、力になれないことが悔しい。自身が行ければ、どれだけ良いことか。
「…ありがとうございます、友雅殿。」
藤姫に笑みで応えると、友雅は一人思案した。…再び戻ることが叶わなくても良いよう、始末をつけなければならないことが山のようにある。
(…最も)
私が神子殿を連れて戻らなければ、京は終わってしまうのだからそれは徒労となるわけだが。
笑い事ではないとわかりつつも苦笑しながら、友雅はゆっくりと立ち上がった。





「…歪み、か。」
踏み出した先は、なんとも言えない世界だった。昼かと思えば夜になり、月があるかと思えば次の瞬間には日が燦々と照らしている。歪みというだけあって不安定なのだろうと、半ば傍観者のように考えているところへ変化が訪れた。
(……あなたが、)
「……?」
不意に耳元で聞こえたのは、まだ幼さを残す少女の声。振り返ってみるも、そこには残像すらない。
(私を むか  の…?)
「…君が、神子なのか?」
瞬間、人の形がゆらいで消えた。…まさか、手掛かりは今の声だけだとでも言うのだろうか。
軽く首を振って、視線を正面へ戻す。そこで再び、変化に気が付いた。
「……あれは、」
全てが狂った世界に刺している、光明。…誘われているようでなんとなく気に入らないが、今はそちらへ進むほかないだろう。
「…腹を、決めるか。」
この光の先にあるものが、吉凶いずれであろうとも後には退けない。軽くため息をつくと、友雅はその光の中へとゆっくり歩を進めていった。




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