「こんなにゆったりしていていいのかい?」
「あれは学校鞄でしたから。今は別に学校に行くわけじゃないんで、いいんですよ」
できるだけ底が広く、口も広い鞄を選んで友雅を中に入れる。
それでいてそんなに深くはないので、肩からかければ小さめの声でも友雅と会話をすることができた。
殿。思い当たる節がある、ということだが…それはどういう……?」
「んー…友雅さんも会ったこと…は、ないですけど。声くらいは聞いたことあると思います。あと、さり気なく恩人です」
「恩人?」
天真に驚き、取り落とした鞄を拾ってくれたのは彼だ。あの時鞄を落としていたら…など、考えるだけで恐ろしい。
「携帯に連絡したら、買い物に出てきてるみたいなんで、お店の近くの公園で待ち合わせしたんです。割とすぐですよ」
「そんなに窮屈でもないからね、慌てる必要はないよ」
事実、この鞄の中は随分と過ごしやすかった。衝撃があまりないのは、下に引いてある厚いハンカチと、…が揺れないよう気をつけて歩いてくれているおかげだ。そのさり気ない気遣いに、優しい瞳で見上げるとと目が合った。
「…友雅、さん?」
「ふふっ、なんでもないよ。」
なんだか慌てて視線を外した彼女の頬が、ほんのり桜色に染まっている。その様もまた愛らしい。…などと口にしたら、鞄を放り投げられてしまうかもしれないから、言わないが。
彼女を想うと、なんとはなしに心が躍る。今はただ、何も深く考えず、その甘美な波に溺れるとしよう。
(……落ち着いて。今は小さい友雅さんなんだから)
自然逸る鼓動が、友雅に聞こえはしないかと心配になる。…鞄の位置は、ちょうど胸の高さだ。
「あれ…?」
そうして伏せていた顔をふと上げると、目の前から見慣れた人物が歩いてくるのが見えた。同時に、向こうも気づいたのだろう。片手を上げて応える。
「天真くん!どこかの帰り?」
「…あ、ああ…まあ、な」
なんとなく歯切れが悪く答えた天真に、首を傾げる。どうしたのだろう?
(あれ?この道の先にあるのって、確か…)
思い当たって、笑顔で声をかける。
「もしかして天真くん、図書館で調べてくれてたの?」
「ばっ……!」
かっと頬を高潮させ、否定の言葉を吐きかけてやめる。ばつが悪そうにがしがしと頭をかいてから、「そうだよ」と吐き捨てるように言った。
「つっても、話が話だけに司書にも聞けねーし。やっぱ俺じゃ限界があるな」
「天真くん……」
そこまで必死になっていてくれたのかと、嬉しくなる。それを察したのだろう、再び天真が言葉を荒げた。
「ばっ、お、俺はなっ、あの友雅とかいうやつのためじゃなくて、お前が早く、だな…!!」
「ふふっ、不器用な優しさだね。君の愛情表現は幼く、実直で、実に馬鹿正直だ」
「……………………。」
割って入った声に、天真が無言でに歩み寄る。そして鞄の中をやはり無言で覗くと、世にもおぞましいものでも見たかのように顔をしかめた。
「やあ天真、久しぶりだね」
笑みを浮かべてそう言えば、天真は鞄から手を離して口をへの字に曲げて言った。
「無駄に優雅な雰囲気ふりまくんじゃねーよ!俺は別にお前のためにやってるわけじゃねーからな!」
「わかっているよ、ありがとう。」
「だーかーらっ、なんで礼を…!」
「て、天真くん!これから詩紋くんのところに行くの、一緒に行かない?」
白熱しそうな二人の間にが割って入る。
(…この二人、なーんかウマが合わないみたいなんだよねー…)
今日も、天真の口からは友雅に対して悪口しか出ていない。性格的な面もあるかもしれないが、とりあえずこのあたりでとめておかなければ。
「…詩紋のところに?」
「うん。…あまり、時間がないの。だから、協力者を増やそうと思って」
「協力者…か」
顎に手を当て、天真がしばし思案する。
「……詩紋のやつなら、信用もできるし、問題ないだろ。早く解決しなきゃならないってなら、人海戦術もありだろうしな。オッケー、ついてくぜ」
「ありがとう、天真くん!」
にこり微笑み、先に立って歩き出す。
(……本当に。)
天真の愛情表現は、どうしようもなくわかりやすい。気づいていないのは本人ばかり、といったところだろう。
それを幼いとは感じるが、それと同時に、そのまっすぐさが。
(…少しばかり、羨ましいね。)
そう思ったことが、我ながら少し、驚きだった。





「あ、詩紋くん!」
ちゃん……と、天真先輩?」
既にベンチに座っていた詩紋に、が声をかける。の後ろにいる天真に、不思議そうな顔をして問いかける。
「天真先輩も、ちゃんに呼ばれたんですか?」
「あー…俺はまあ、途中で会ったからついてきただけなんだが…」
「天真くんにも、協力してもらってることなの」
説明には向いていない天真の言葉を早々に断ち、が解説する。詩紋にはまだ、「協力して欲しいことがある」としか話していない。
「そうなんだ。じゃあ、天真先輩も一緒にいたほうがいいよね」
早々に納得し、ベンチの端へと寄る。そこに、天真と腰を下ろしてから、はおもむろに話し始めた。
「……簡単には、信じてもらえないと思うんだけど。実はね………………」


*

「…と、いうわけなの」
「理解してもらえたかな?」
「……あなたが、友雅さん…なんですよね?」
のひざの上に乗っている友雅に、詩紋が恐る恐る声をかける。
「ああ、そーだよ。ったく、食えないヤローだぜ」
「天真先輩…」
詩紋が苦笑する。…ほんの少しの間見ていただけでもわかる。天真と友雅は、根本からして合いそうにはない。
「ところで…詩紋、といったかい?」
「はい」
「……こちらの世界では、鬼…と呼ばれる者は、いないかい?」
「鬼………?」
「友雅さん、鬼って…」
が驚くが、友雅はそれを黙って制した。鬼の容貌については、まだにも説明していない。…見目だけで言うのならば、詩紋の容貌は京でいうところの「鬼」にあたる。だがそれで詩紋を責め立てるのは早計だし、何よりここは違う世界だ。この世界ではさほど珍しくない見目なのかもしれない以上、慎重に言葉を選ばなければならない。
「…今の時代には、いないと思います。たとえ話で“血も涙もない、鬼のような”とかは言うかもしれませんけど…どうしてですか?」
「いや、それならいいよ。すまないね、流してくれ」
やはり、彼は鬼ではない。
…今までの言動を見ていてもそれはわかることだが、これで確信が持てた。
「んと…これからどうするか、なんだけど」
の言葉に、詩紋が表情を曇らせる。
「……すぐに、これといった打開策は見つからないよね。友雅さんの話だと、平安時代に似ているみたいだけど…平安時代にそんな鬼がいたなんて話聞いたことないし。仮にいたとしても、どうすればそこに行けるかなんて…それこそタイムマシンでも作らないと無理じゃないかなあ」
「うーん…」
…実はまだ、言っていないことがある。
ここ最近の、妙な体験についてだ。夢の中で聞いた藤姫の声、意識を奪われかけた鬼の声。それらを言えば、確実にこの二人を心配させることになる。
(でも…言わないと、先に進めないよね)
が口を開こうとした矢先、「実はね」と友雅が切り出した。
「何がどう、とは言えないのだが…先述した藤姫、それに鬼、双方の力が強まっている兆候が見られるのだよ。現在は拮抗しているようだが、どちらかが抜きん出たとき…何か、動きがあるかもしれない」
(友雅…さん……?)
が言いよどんでいたことを、さらりと必要なことだけ抜き出して話してくれた。…おそらく、意図的に。
その優しさに、じわりと胸があたたかくなる。…小さな友雅の後姿に、は心の中で感謝を述べた。そんなさり気ない優しさが、どうしようもなく嬉しく、愛おしく思える。そこまで考えてから、慌ててぶんぶん首を振った。…自分は今、何を考えていた?
「……ちゃん?どうかした?」
「え、あ、ううん!なんでもない」
訝しげな天真の様子には気付かず、が笑顔で応じる。
「なに?詩紋くん」
「あの、ね。ボク、ひとつ気になってることがあるんだけど…」
「気になってること?」
聞いたに、詩紋が続ける。
「その…友雅さんが、一番最初に落ちた場所…時の泉に行ってみれば、何かわかるんじゃないかな…?」
「「……あ。」」
天真とが、同時に声を上げ、そして顔を見合わせる。
「…っああ、そうだよな!闇雲に図書館探すよりよっぽど効率いいぜ!」
「本当だよ、なんで気がつかなかったんだろー!それじゃあ早速…」
「あ、でも藤姫…?の力が強くなるのって、夜なんでしょう?それなら出直したほうが…」
「それもそうかー。じゃあまた夜に集合する?」
とんとんと話が進んでいく様子を、友雅はただ黙って見つめていた。
(…そうだ。おそらくは、それが最も近道……)
自分が降ってきた場所、即ちそれは、京との繋がりが最も深い場所。そんなことはとうに気付いている。…それでもそれを口にしなかったのには、理由があった。
(何が起こるかわからない…)
藤姫の力が強まっているのと同じく、鬼の力も強まっているのだ。そのような場所に出向いて、何も起こらずに済むのだろうか。
(先手を打つ…か。)
待っているばかりでは始まらない、こちらから打って出る。
自分ひとりでは、決して選ばなかった選択肢だろうが。
「友雅さん、それでいいですよね!」
にこりと笑って言われ、友雅は心中の憂いを微塵も出さずに答えた。
「ああ、そうだね。」
(…それもまた、この娘の強さが成せる業か。)
“姫”と呼ぶには天真爛漫すぎる。天衣無縫、とでも言うべきか。その強さと自由さは時に強引にも感じるが、それ以上に強く惹かれた。…全く、どこまでも予想の上を行く娘だ。
「よろしく頼むよ、殿。」





「………………………来る、か。」
――――ちゃぷん。
静かに雫が落ちる洞窟で、一人笑む男は。
金の髪に碧の眼の端正な顔立ちをしていたが、……やがて、それを覆うかのように、仮面をつけた。
「……今、行くぞ。神子」
…やがて、その洞窟からは、人の気配が消えた。



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