「…真っ直ぐ帰るのもなんだかつまらないですし、ちょっと寄り道していきましょうか」 「寄り道?」 「とっておきの場所、知ってるんですよ」 天真・詩紋と別れてから。 はそう言って、友雅に微笑みかけた。 「ここだったら、他の人に見つかることもないと思うんです」 くるりと周りを見回してから、友雅を鞄から出す。 「ここは……」 「秘密の、お気に入りの場所です」 地に足をついて、改めて周囲を見回してみる。目の前には川があり、吹き渡る風が気持ちいい。向かい側は何やら巨大なものが多く放置されており(曰く“開発されていたけど、金銭面の都合で放置された”とのこと。)、誰かに見られる心配はない。この河原自体も多くの樹が植えられており、上の道から誰かに見つかることもないだろう。 「……殿は、良い場所を知っているのだね」 「あはは、この世の中をうまく生き抜くには、息抜きの出来る場所が必要です」 一人になりたいときとかよく来るんですよー、と続けたに、友雅が不思議そうに聞く。 「私を連れてきても良かったのかい?」 「……そうですねえ…」 じ、と。 横にちょこんと座っている友雅を見て、ふっと表情を和らげる。 「何ででしょうね。友雅さんならいいかな、って思っちゃいました。不思議だな」 言って、また視線を目の前の水面へと移した少女は。 (……すぐにそれと、わかってしまう私も私だがね…) 自惚れではないことは、自分が一番良くわかっている。 …間違いなく、自分に好意を持っているだろう。おそらく、自身でも意識しないままに。…けれど、の視線のやわらかさはとても心地良かった。あの瞳に見つめられると、悪い気はしない。…“それ”に気付いてしまうと、今までは途端に対象から興味を失っていた。本気になられては、ただ面倒なだけだからだ。 「…本当に、不思議だね」 「え?」 「ふふっ、なんでもないよ」 ……河原を吹き抜ける風は、京のものには劣るが心地良いことには変わりない。 考えてどうなるものでもなし、今はただこの風に身を任せるとしよう。 「あ、トオルだ」 不意に声を上げたに、友雅がそちらを見やる。 「トオル?」 「猫です」 少し身をよじると、ひょいと抱き上げる。艶やかで真っ黒の毛をもったその猫は、愛らしいどんぐり眼でじっと友雅を見つめた。 「……………殿。」 「トオルっていうのはですね、私がここに来るといつも“通る”からつけた名前なんです。野良猫みたいですよ」 「いや、そうではなくて…」 先ほど、の視線を心地良いと感じたばかりなのだが。 …この視線には、身の危険を感じる。明らかにトオルは、自分を狙っているとしか思えない。腰を上げ、なんとはなしに警戒態勢をとってしまう。 「すまないが、その…トオルには、狩猟癖はないのかな?」 「スズメをとるのが得意です」 「……そうか。」 新たに得た情報は、身の危険を更に強調させるだけの結果になったが、とりあえず今のところは問題なさそうだ。の腕の力が緩まないことを願うしかない。 …それに、小動物と戯れるその姿はまた、愛らしくもあり。 仕方がないかと、一応の警戒はしながらも再びその場に腰を下ろした。 「ねえ、友雅さん。」 「何かな」 黒猫の背を撫でながら、視線はこちらへ向けようとせず。 遠く川の向こうを見つめながら、が小さく呟いた。 「今夜、戻れるといいですね。」 「…そうだね、」 戻れるといい、そう口では言いながら。…少し憂いを帯びたその表情は、まるでそうならないことを願っているようだよ。 (なんて、ね。) いつもなら、それくらいの言葉遊びを楽しむのだけれど。 今はそんな気分にはなれなかった。気付いてしまったのだ、自分も同じだと。 …この少女と、離れたくないと。 (くるくると変わる愛らしい表情を、もっと多く、より近くで、見つめていたい。…おかしいね) きっと、もっと早くに気付いていたのに、いるべきだったのに。 今になってこんなことを思う自分は卑怯だと、思う。 「戻れるといいね。」 …だから、決して口にはせず。 流れるように言った友雅に、が少なからず動揺していることは明白だった。 (しかし) 甘美な痛みに身を任せるのをしばしやめ、友雅は真剣に考え始めた。…今までの様子から見て、がことこの件に関して無関係であるとは到底思えない。最初に友雅を見つけたのはで、藤姫の呼びかけにも応じている。また、先日はとうとう鬼の声まで聞いているではないか。 「…殿は、今宵、来ないほうがいいかもしれないね。」 「え?」 「あまりよくないことに巻き込まれるような…そんな感じがするのだよ。年長者の勘には従いなさい」 そう言った友雅の目の前に、が抱いていた猫をぬっと持ち出す。 「!」 反射的に一歩引いた友雅に、は猫を向こう側へ置いてから「すみません、ちょっと意地悪しました」と謝罪してから言葉を続けた。 「だって、ここまで来て友雅さんがそんなこと言うから。…なんと言われてもついていきます。最後まで見届けます」 意志の強い、光の宿っている瞳。 …自分を惹きつけてやまない、この瞳だ。 「…そうだね、悪かった。君の意思を尊重するよ」 「はい!」 (……何をしているのだろうね、私は。) この少女の存在無しに、事を成し得るのは不可能かもしれない。 …来るなと言っておきながら、それもまた、心のどこかでわかっていた。 自分が言ったところできっと断るだろうと踏んだ上で、言ったのだ。愚行以外の何ものでもないが、それでもやはり、巻き込みたくないというのもまた本音で。 「…やれやれ、面倒だな。これだから、嫌だというのに」 「え?何が、ですか?」 きょとんとして返したに、「なんでもないよ」と返し微笑みかける。そろそろ帰るかい、と言うと、もう少し、もう少しだけこうしてから帰りましょうと返ってきた。…自分といる時間を大切にしたいと思ってくれているのなら、いいのだけれど。 (本当に、面倒だよ) 自覚さえしてしまえば、あとは容易いもので。 この葛藤の理由も、愚行の意味も、全ては一本の糸で繋がってしまうのだ。 …誰かを想うというのは、本当に面倒なものなのだ。 どうしてこうも簡単に、人の心を惑わせてしまうのだろう。 ---------------------------------------------------------------- BACK |