「……っはあ、はあっ!」
天真が肩で息をしながら駆けつけたときには、小屋の火も鎮火していた。
は……!」
「…こいつ、っていうのか?」
後ろから聞こえた声に、がばっと振り返る。そこには、赤髪の少年に抱かれたまま眠るの姿があった。
!!」
慌てて駆け寄ると、その少年に息せき切って言う。
「お前が、助けてくれたのか?」
「ん?ああ、まあな。…何とか無事でよかった」
「……サンキュー…ほんとに…」
その場に膝をついた天真に、不思議そうに「三九?何が?」などと聞き返していると、横から伸びた手がひょいとをさらった。
「うわっ、ちょっ!」
「…礼を言うよ、少年。」
「ゲッ、貴族かよ」
友雅の姿を見たとたん、顔をしかめる。あまり良い感情を持っていないのだろう。
「おや、貴族は嫌いかい?」
くすり、と笑って言えば、ますます面白くなさそうな顔をする。
「……あんたみたいなのとは関わり合いになりたかねーな」
そう言って、くるりと天真に向き直ってしまった。
「おやおや、嫌われてしまったね」
軽くため息をついてから、友雅は腕の中で眠るを見やる。縛られていたのか、手首に擦り傷と痣が残ってしまっている。服も汚れ、破れているところもあった。顔をしかめ、すぐに牛車へと乗り込む。
「あ、おいこら友雅!」
それを目ざとく見つけた天真が声を上げるが、友雅は珍しく鋭い声を出した。
「ことこの件に関して、君には指図を受ける謂れはないね」
「……っ!」
の言葉を鵜呑みにしてしまったこと、天真にも自責の念はあるのだろう。まずはの身の安全を確保することが先決、と今まで言及することはなかったが、もう容赦する必要もない。
「……のこと、任せた」
「言われるまでもないよ」
(…大人げない)
こんな少年相手に、何を剣呑としているのだろう、自分は。
それでも、許せないと思った。…思って、しまった。の身に何かあったらどうしてくれようかと、何度も思ってしまうほどに。



「ちっ……」
自棄気味に地面を蹴っている天真の元へ、赤髪の少年が近付いてくる。
「なあ、アンタ」
「…天真。森村天真だ」
「じゃあ天真。オレはイノリっつーんだけど、聞きてーことがあるんだ」
「…大体の予想はつくぜ?」
言って、天真は自分の額を指差した。
「…ソレ、だろ?」
赤く輝く宝玉。天真にもそれとわかる、神子を守る「八葉」であることの証。恐らくイノリにも、自分の左腕の宝玉が見えているのだろう。
「なんだ、やっぱりかよ。…お前なら、あの不思議な力についても知ってるんだろ?話聞かせてくれよ」
「ああ。とりあえず、話は屋敷に戻ってからだな」
友雅の牛車は既に出ている。全力疾走したりしなければ、途中で追いつくことはないだろう。
(……って、何無意識に避けようとしてんだ俺…。)
友雅から、ではない。
……結果として危険にさらしてしまった、から。
「あ〜〜〜〜っくそ!!」
「うわっ、な、なんだよ!」
「……悪ィ。なんでもねーよ」
避け続けるわけにもいかない。…どうしたものかと、天真はこっそりと息を吐いた。



(……あ、れ)
ごとごとと、不規則なリズムで体が揺れている。このリズムには覚えがある……そう、牛車だ。だが、自分は確か縛られていたはずで。
(この…香り……)
意識が浮上したことで、ふわり、と自身を包み込んでいる香りにも気がついた。とても安心できて、そして同時に、愛おしく、どこか懐かしい香り。
(そうだ……)
まだ、この京に来る前。ベッドで、友雅に抱きしめられたまま眠っていた頃。良い香りだなあ、これが友雅さんの香りなんだなあ、とドキドキして、なかなか眠れなかった。確か…そう、侍従、といっただろうか。
そ、と確かめるように、手を持ち上げる。するとすぐに、その手をぎゅっと握られた。
「友雅…さん……」
ゆっくりと瞼を押し上げ、視覚でも友雅を確認すると、心の底から安堵した。もう大丈夫だ、と。
その瞬間、先ほどまでの記憶が甦り、は反射的に握られた手を強く握り返していた。
「……怖かったのだろう?」
やわらかく、あたたかな声。
耳でも友雅を感じる。全ての感覚が友雅を感じて、胸がぎゅっと締め付けられる。その温もりに、まるで自身がとろりと溶け出してしまいそうな感覚に陥る。
「友、雅さんっ……!」
もう一度、その名を呼んで。ただ微笑まれるだけで、全身に安心感が広がる。それなのに、胸だけは苦しくて。
…じわり、と涙が浮かび、慌てて 顔を隠そうとするの空いたほうの手をやんわりと押しとどめると、友雅は微笑を浮かべて言った。
「泣いていいよ。…そうして、怖かったことも全て流してしまえばいい。君の気の済むまで、泣いていいのだよ。…ここには、私と君の二人しかいないのだから」
その言葉が合図になったかのように、は声を上げて泣き出した。…思えば、京に来てからずっと気を張りっぱなしだった。泣くことを許される立場になかった。それがとうとう、爆発してしまった。
「うっ、嘘を言ってっ、悪かったのは私なんですけどっ、でも心配かけたくないし、八葉の方を、探さなくちゃいけないしっ、…向こうの常識通じないし、人の売り買いなんて本でしか読んだことなかったし…っ、生活も、向こうと全然違うし、自転車もないし、携帯だってないし、ご飯は一日二食だし…っ」
口にしながら、だんだんと関係のない方向へずれてきていることに気付き、はかあっと頬を染めた。
それを見て、友雅がくすりと微笑を浮かべる。
「…いいよ。それで君の心が凪ぐのなら、いくらでも。それに、泣くことは悪いことではないだろう?」
「友雅さん…」
ささくれだった心が、ゆっくりと癒されていくのがわかる。ようやく落ち着いて深呼吸をしてみれば、自分がずっと友雅の腕の中にいたことに気付き、慌てて膝の上から飛び降りた。
「おや、これは残念だね」
「すすすすみません、私ってば図々しくも……!」
あわあわしながら、すっかり平常心に戻っていることに気付き、は改めて友雅に向き直った。
「ありがとうございます、友雅さん!」
不意のお礼に、友雅がきょとんとする。
「友雅さんのおかげで、すっごく楽になれました。なんかすっきりしちゃった!…今は、前を見て頑張ります。自分に出来ることを精一杯やって、皆を守れるくらい力をつけて…京を、救います。今すぐには無理でも、絶対大丈夫だって。そう思えるんです」
「…絶対?」
友雅の言葉に、が力強く頷く。
「はい!だって、私には力を貸してくれる仲間がたくさんいますから。天真くんに詩紋くん、こっちに来てから出会った藤姫ちゃん、頼久さん…泰明さん、永泉さん。それから……誰より、友雅さんがいてくれれば、絶対大丈夫です」

ふわり。

幼い姿のまま、それでもその笑顔は、花開くように見えて。
たった今己から離れたばかりのの腕を引き、再び腕の中へと納める。小さな体は、すっぽりと納まってしまった。
「と、友雅さん?」
「……厄介なことになったものだね…」
「?」
片時も、離したくはない。
が行方不明になって、失うかもしれないと思ったとき…心が、冷えた。今まで感じたこともない、強い焦燥感に駆られた。

失うことが怖い。

…そう、初めて本気で思ってしまったのだ。
の無事な姿を見たときの安堵たるや、自分でも呆れるほどだ。
「あとで、天真に謝っておいで。君の言葉をあっさりと信用した彼にも非はあるが…」
「う…ごめんなさい」
事の発端は、自分の浅はかな嘘だ。しゅんとしたの頭を、ぽんぽんと優しく撫でてやる。
「本当は、君を危険にさらした相応の代償は受けてもらいたいものだがね…すっかり沈んでしまってね。あれでは使い物にならないよ」
「あとで、天真くんのところに行ってみますね」
「ああ」
えへへ、と笑って言ったの前髪をかきあげ、額にそっと口付ける。
「と、と、ととととっ、ともま…!」
がば、と自身の額を押さえて口ごもるに、ふふっと笑いかける。
「このような童に手を出しているかと思うと、少々の背徳心もあるが…それもまた良い、かな?」
「な、何を言ってるんですかー!!!」
ばたばたともがき始めたに、くすくすと笑みがこぼれる。
(…過ちを犯さなければ、正しい道に気付けないのだとしたら)
暴れるを片手で押さえながら、心の中でひとりごちる。
(私は、感謝するべきだろうね)
取り返しがつかなくなる前に、正しい道に気付けたことに。そう…


――――…この、情熱に。



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