With the wind of spring.







風が心底、気持ちいい。
…高いところに上ると、なんとなく、感じる風がいつもとは違う気がする。何が、と聞かれても的確な答えは持たないが、とにかく「違う」のだ。
(いつもは夜ばっかだけど…)
たまにはこうして、ぽかぽか陽気に屋上に上るのも悪くない。
そんなことを考えて、快斗はごろりと横になった。
「……気持ちいー…」
昼休みが終わるまで、あと5分。
制限時間付きの心地良さだが、なんならサボってしまっても―……
そんなことを考えていると、不意に陰がさした。
「だぁめ。」
「うおわぁっ!?」
がばっ、と飛び起きた快斗の頭突きを、ひょいと交わした相手は学級委員長様だ。
「出たな…」
「この時期の黒羽くんの5限サボリは恒例だからね。学級委員長たるもの、行動パターンの解析位してるってーの」
仁王立ちで言われ、快斗がむぅと唇を尖らせる。
「ってーの、じゃねーよ。おめー、最近口も性格も悪くなってねーか?」
「誰のせいでしょーねー」
言って、すとんとその場に座り込む。の髪がふわり、と香り、快斗は瞬間心臓が跳ねるのを感じた。
「……近い。」
「距離をとると逃げられるから」
言って、さらにずずいと寄ってくる。冗談ではない。
「こらー!」
「ここから教室まで最速で1分24秒。だからあと3分弱は待ってあげる」
妙に具体的な数字に、嫌味な好敵手の顔が頭を過ぎっていく。…だがそれも一瞬で、真横に感じたの気配にあっという間に霧散してしまった。
「あのなあ…」
「先生直々なんだから…」
(おいおい…)
確かに快斗はこの時期の5限、姿を消すことが多い。教師が探しに来るといち早く気配を察して消えてしまい、挙句いつの間にか先に教室に戻って「最初からいました」などとしれっとして言うのだ。もうこうなったら生徒間で解決してくれと、教師サイドがさじを投げたということだろう。
(ったく…だからってよりによってこいつを寄越すことねーだろ…)
学級委員長なのだから、当然といえば当然の人選である。
…だが、この世で唯一、自分の思考を、行動を狂わせてしまう相手でもあった。
「おい…逃げないから、頼むからもう少し離れてくんねーか?えーと…ほら、こんなに近いと、あんま風も感じられないって言うか…」
我ながら下手ないいわけだと、思う。
…だが、こんな近くで吐息を感じてしまっては、春の風を感じるどころでは…
(…………って、ん?)
そこで快斗はようやく、先ほどからが一言も発していないことに気がついた。それに、吐息を感じるとは何事だ?
おそるおそる、の座っている方を見やる。
「おいおい…?」
…目を閉じ、穏やかな寝息を立てているのは。
確かに先ほどまで自分を責め立てていた、学級委員長である。
快斗が動いたことで、バランスが崩れたのだろう。カクン、との体が傾き、快斗は慌ててそれを支えた。…完全に、快斗に体を預けてしまっている。
「これは……参った、な」
あらゆる意味で、参った。
彼女がこうして自分に無防備な姿をさらしている時点で、自分は彼女にとって全く恋愛対象としては見られていないということになる。それに、こうして眠りこけてしまった彼女を起こすのは忍びないが、二人して戻らなければ何かあったのではと他のものに無用な心配やいらぬ詮索を呼んでしまうだろう。自分は良くとも、彼女がそうした噂の種にされるのは避けたかった。
(疲れてんのかな…)
…春の風が運んできた眠り香を、吸ってしまったのだろうか。
どうにも起きる気配がない。

このまま、この時間の中にいたい。
の横で、春の風を感じていたい。

「…よし。」
胸ポケットから携帯を取り出す。貸しを作るのは自分の流儀に反するが、今回は特例だ。
「……あ、悪ぃ。まだチャイム鳴ってなかったよな?あのさ……」





「………ん、」
「お、目覚めたか?」
快斗の声に、がうっすらと目を開ける。しばしぼんやりとした瞳で快斗を見つめてから、急に弾かれたように立ち上がった。
「じゅ、授業!!」
「……5限がもうすぐ終わる。いい時間に起きたな」
真横にいたためバランスを崩し倒れこんだ快斗が、横になったままで答える。
「な…!」
唖然とした様子のに、快斗が説明してやる。
「…おめーがあんまりにも間抜けたツラで寝てっから、起こすのが忍びなくなっちまったんだよ。大丈夫だ、白馬に頼んであるから」
(どんな言い訳をしてくれたかはわからないが、あいつの言う言葉なら教師も信じるだろ)
電話口の嫌みったらしい声は、今思い出しても腹が立つが。
…今まで起こさなかったことに対して精一杯の理由をつけた快斗にも、は特に疑問を抱かなかったらしい。それどころか、どうでもいいところだけ抜粋して怒って来た。
「間抜け、って…!」
「うるせーなー。いいだろ、たまにはこんくらいゆっくりしたって」
そう言った快斗に、が不服そうにすとん、と座って返す。
「まあ…うっかり意識を消失した私にも問題があるし、ね…」
「意識消失」
春風に誘われた眠りを、そんな風に表現されるとは思わなかった。
「…ぷ、ははっ、あはははっ!」
「な…なにっ、文句あるの!?」
身を起こし、くつくつと漏れでる笑いをこらえながら、快斗はまだ笑いを含んだままで言った。
「…いや、ねーよ。すごく、いい。」
「…………?」
疑問符を浮かべたままのに、それ以上何かを告げることはせず。
(とりあえず、今日のところは…春風様様、か?)
まだ、多くは望まない。…今の自分には、これで十分満足だ。
「行くか?6限」
「…うん」
身を起こすのに、手を差し出すと、その手を何の躊躇いもなくあっさりと握られて。
(……やれやれ。)
心の中で苦笑しながら、快斗はが身を起こすのに手を貸した。


願わくば、次の春の暦では。
…彼女が、恥じらいながら自分の手をとってくれればいい。




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