ちょっと一息





「ホークアイ中尉、この書類を…」
「はいはいはいっ!私やります!」
「中尉、街の視察へ…」
「お供します!」
「中…」
「何ですか!」
じゃなくて中尉に話しかけているんだ!!」
「お姉…中尉も忙しいんで!私にできることでしたら何なりと!」
「いい加減に…」

ざっばーっ。

「…頭、冷えたかしら」
『ごめんなさい』
ホークアイに頭から水を浴びせられ、ロイとは同時に謝った。





「…全く!お前のせいでびしょ濡れじゃないか」
両手を振って水を落としながらロイが愚痴を言っていると、が手袋をはめた手を体にあててにやりと笑いかけてきた。
「…?何をし」
「えい!」

ばしいっ!

一瞬電流がほとばしり…次に見たときには、の体はどこも濡れていなかった。
「なっ…!」
「…焔の錬金術師様に馬鹿にされてから、何もしてないとお思いですか?」
口の端をつり上げ、馬鹿丁寧な口調で言う。
「どうしてもっていうなら、やってあげますけど?」
「…表面中の水分を一瞬で水蒸気にしたのか?それとも…」
ぶつぶつと呟き続けるロイを見て、返事を待つ気はなくなったらしい。どん、とロイの服に手をつき、一気に水分を飛ばす。
「…ん?あぁ、ありがとう」
「等価交換」
礼を言って、そのまま去ろうとしたロイに向かってがボソリと呟いた。
「…ですよね?」
「…望みは。」
やれやれ、と頭をかきながら言うロイに向かって、は指を突きつけて叫んだ。
「勝負して!」
『えええええっ!?』
唐突すぎるのセリフに、東方司令部の面々が一斉に悲鳴を上げる。
「ちょ、お前正気かよ!?」
「やめたほうがいいですって!」
「鋼の錬金術師って知ってるだろ?あいつも負けたんだって!」
口々に制止の声を掛けるが、はロイを睨んだままである。
「…まぁいい。どう考えても等価ではない気がするが…ちょっとした息抜きにもなるだろう」
ヒューズに練兵場を借りるように伝えてくれ、と言って、ロイはに向き直った。
「…満足かな、?」
「…ありがとうございます」
息抜きだなんて言ったこと、絶対後悔させてやるんだ。
は一人、拳を握り締めたのだった。





「おい、大佐と蒼刃の錬金術師が対決するらしいぜ!」
「マジかよ?無謀だなー」
「それがさー、結構な使い手らしいんだよな」
「お前どっちに賭ける?」
「そりゃ大佐だろ…」
ロイとの戦いの噂は広まり、挙げ句賭博までが勝手に行われていた。本人たちはといえば、一応は上司部下の関係である。通常業務の際は、特にいがみ合うこともなくもくもくと仕事をこなしていた。
「…おい、
「ん?」
ひそひそと話しかけてきたハボックに、は手を休めて振り返った。
「勝算はあるのか?秘策とか」
「あー…うーん…」
…正直、自信はない。相性の問題で考えれば、水は焔に対して圧倒的に有利だ。だがとて、ただそれだけで勝てると思うほど愚かではないし、錬金術以外…例えば体術なんかを考えると、むしろ自分の方が不利だとすら思えた。
「…とりあえず、接近戦に持ち込まれたら圧倒的に不利になっちゃうから…できるだけ離れたところから攻撃したいんだけど」
「けどよー、遠距離だって大佐有利じゃねえか?パッチン、があるだろ?」
「そーなんだよなぁー…」
…時期尚早だったかもしれない。
確かに自分の錬金術の腕は上がったし、軍に入ったことで体も鍛えられたと思う。それでも、…敵うとは思えなかった。
「もしかして後悔してんのか?」
「…してないって言ったら嘘になるかも。でも自分が売った喧嘩だし、全力で頑張るつもり!」
言って、軽くウィンクする。
ハボックの心遣いが嬉しかった。
「…っし、頑張れよ!」
ぽん、と軽く頭を叩き、ハボックは自席へと戻っていった。

…決戦は、明日。





『レディースアーンドジェントルメーン!今日はめでてえ祭りの日だ!なんたって一年前のちょうど今日、ウチの娘が初めて歩いたんだぜ!』
「知るかー!!」
「さっさと進めろー!!」
一斉に巻き起こったブーイングと飛んできた生卵やらやかんやらに、ヒューズが文句を言うのが聞こえる。…は正直、それを聞いているだけの余裕はなかった。
「…大佐がこっち見てる…しかもなんかにやりとか笑った…」
「気にしちゃだめよ。プレッシャーかけようとしてるだけなんだから」
そう言うと、ホークアイはきっとに向き直った。
「いい?焦げるまで徹底的に戦いなさい」
「…焦げるまで?」
「焦げるまでよ」
焦げるのは前提なのか。
「…わかった。ここまできたらあとには退けないしっ!がつんと一発、食らわしてやるんだから!」
「がつんと?」
「きゃーーーー!!」
唐突に耳元で聞こえた声に、は全身チキン肌状態になった。
「たたたたた大佐、本日は天気良好、気温適温で絶好の対決日和ですね!」
「ああそうだな。ところでこの勝負、私が勝ったら何か景品が出たりするのかな?」
「…けぇひん…?」
考えてもみなかった。だが、相手からそう言ってきたのは好都合だ。自分からも景品をねだることができる。
「…じゃあ、私が勝ったら」
「…君が?」
口元に手を持っていき、笑みを含んだ声で言うロイにキレかけながらは続けた。
「お姉ちゃんの残業を、一週間無くしてください」
「中尉の残業をか?」
「はい。どっかのぐーたら上司のせいで、姉妹水入らずの時間がなかなかとれなくて」
満面の笑みでそう言うと、ロイがぴくりと頬を引き攣らせた。
「…なかなか言うじゃないか、
「いいえぇえ。で、大佐が勝ったら、私の研究手帳をお見せします」
「…ほう」
その瞬間、ロイの目がスッと細められる。
(…っしゃ、食い付いてきたっ!)
半端な気持ちで勝負をしても意味がない。これで、手を抜くような真似はしないはずだ。
「じゃ、また後で」
「ああ、いい戦いをしよう」
…焔VS蒼刃、いよいよ開始である。





『刃物の使用は不可!どちらかが戦意喪失、もしくは戦闘不可になった時点で決着はついたものとする!』
ヒューズの声が響き渡る。大体25mほど離れ、ロイとが対峙していた。
(…あの火花、どんくらいまで届くんだろう…それによって変わるんだけどなあ)
の錬金術は水…気体への変換も可能…と、いうことは)
『ゴーッ!!』
パチンッ
「そう来ると思ったっ!」
ドーンッ!!
開始と共に火花が飛び、それを見越しては全力でバックした。紙一重でかわし、慌てて体勢を整える。
「…っし、えいっ!」
ぱりっ!
「…なんだ?」
「どっかで音がしたけど…」
「失敗か?」
「…おいっ、上だ上!」

ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュンッ!!

『おわあぁあぁぁああ!!?』
空から降ってきた氷の刃は、ロイを中心に野次馬席にまで遠慮なく突き刺さっていく。

ぢゅっ!ぢゅっぢゅっぢゅっ!!

「…やるな」
自分の頭上のみ、全てを蒸発させてロイが言った。
「いやぁ…大佐ほどではないですよ」
互いに怖い笑みを浮かべ、…次に仕掛けたのはどちらが早かったか。

じゅぶばあぁっ!!

「ちょ、おい次はなんだよ!?」
「あー…蒼刃のを大佐が蒸発させたんじゃ」
ずどーんっ!!
『ぎゃあぁぁああ!!』
野次馬が空を飛んでいく中、はしつこく氷の刃を降らせ、水の固まりを投げつけた。
(まだだ…まだ、まだ!)
「きりがないぞ…くそっ…」
(! そうか)
ロイが焔をけしかければ、がそれを水で制す。
が水をけしかければ、ロイがそれを焔で制す。その繰り返しだった。
「…おい…なんか、視界が…」
「あぁ、もやってきたな」
二人の姿が、捉えられなくなってきている。…が待っていたのは、それだった。
(今だ!!)
ずだんっ!!
地面に手をつき、最後にロイを見た方へ全神経を集中させる。
「いっ…けぇぇえぇえ!!」

パリパリパリパリパリッ!!!

が手をついた地面から真っ直ぐに、大気中を突っ切って氷の線が走っていく。
ばしぃっ!
標的物に当たり、それを氷付けにした手応えがあった。…これで、ロイを氷付けにできたはずだ。
「や…やったぁ…」
安堵の息をついた、まさにその時だった。
「…何がかね?」
「っ!!?」
…振り向いたのと、ロイが指を擦るのとどっちが早かったかは分からない。分からないが、
「ひえぇえぇっ!!?」
…気付いたときには、宙を舞っていた。





「…んぁ…」
「大丈夫?
「お前頑張ったなー!大佐相手にあそこまでやるとは思わなかったぜ」
頭の上から聞こえる声に、は次第に意識を覚醒させていった。
大佐と戦って…それから…
がばっ!!
一気にベッドから身を起こす。
「私…負け…た…?」
負けた。
「…よくやったほうだと思うがね」
新たに聞こえた声に、ゆらりとそちらを見やる。正直、見たくなかったが。
「…大佐、なんで私が氷付けにしようとしてるってわかったんですか?」
せめて、敗因だけは。それくらいは聞いておきたかった。
「君が、」
言って、ベッドサイドにドサリと腰を下ろす。
「…霧を大量発生させていたからね。それで、これを凝縮させるつもりなのだろう、と」
「…でも、手応えはありました」
「とっさに土柱を錬成したのさ」
ああ、そうか…。
当たり前だが、そういった錬成もできるのだ。
「あ、でも、おね…中尉、私焦げるまで戦ったよ!」
言って、くるりとホークアイに向き直る。
「…ええ。偉かったわ」
嗚呼、その笑顔。私はそれだけで十分です。クソ大佐に焦がされたのも、その代償だと思えばむしろ安い。
「…へへっ」
「ところで
顎を掴まれ、くりんっと強制的にロイの方へと向かされる。
「…なんですか。大人の嫉妬は見苦しいですよ」
「うるさい」
図星らしい。大方、あの微笑みを自分に向けてくれとでも思っていたのだろう。
「約束だ。研究手帳を見せてもらおうか」
「あ…」
そーだった。
仕方ない、どうせ解読なんかされないだろう…と思い、ロイに手渡した瞬間。
「あ!!ちょっ、待っ…!!」
「…?」
既に中を見ていたロイは、にっこりと満面の笑みで振り返った。
「…大佐の悪口で暗号化してたの、忘れてました…」

パチーンッ。

「ごめんなさあぁぁあぁぁいぃぃ!!」
「おー。よく飛びましたね」
「まったく、あの子は…」
の業務復帰は、まだもう少し先のようである。





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