君が居ることで、僕は心の均衡を保っていられる





朝起きたら、ソフィーがいなかった。
…ただそれだけのことで、僕は、どうしようもなく乱れた。
「…ソフィー?」
静まり返った室内からは、なんの反応も返ってこない。珍しく早く目が覚めて、ソフィーを起こそうと思ってそっとドアを開けたら、そこに姿はなかった。一体、どこへ行ってしまったというのだ。
「…マルクル?」
そっと子供部屋を開ければ、そこではあどけない表情を浮かべてマルクルがヒンと気持ちよさそうに眠っていた。
「マダム…失礼」
続いて荒地の魔女の部屋を開けてみるも、やはり荒地の魔女が寝ているだけでそこにソフィーの姿はなかった。
…戻ったばかりの心臓が、嫌なテンポを刻み始めるのを感じる。
(…なんだ、これ)
なんの感情だ、この押しつぶされそうな感覚は。
「ソフィー!」
何度その名を呼んでも、返ってくるはずの返事はなくて。
ぐるぐるとした思考の渦に飲まれそうになる。思えば、自分が起きた時にソフィーはいつもおはようと迎えてくれて、寝るときはおやすみと言ってくれて、昼間は花屋で一緒に過ごしたり買い物に行ったりして。
君のいない空間なんてなくて、それが当たり前になっていた。
「…っ、ソフィー」
闇の精霊を呼び出しかけている自分に必死に抑制をかけ、ぶるぶると首を振る。今そんなことをしても、何の解決にもなりはしない。
(…探そう)
それが、今の僕にできる最善だ。
階段を上り、下り、廊下を走り、ドアを開け、名を呼ぶ。ああ、この城はこんなに広かっただろうか?君がいないだけで、見慣れたはずの城も知らないものへと変わってしまう。

「ハウル!」

…ふいに呼ばれた名は、…自分のもの。そしてその声は、求めてやまなかった彼女のものだった。
「どうしたのハウル、一体ど」
ぎゅうううううっ。
ソフィーの問い掛けの声は、途中で強制的に切られた。強くきつく、これ以上ないほどの力で抱きしめられたことによって。
「…よかった。ソフィーがいた…」
「ちょっと、ハウル、苦しい!一体何だって言うの?」
ソフィーがどんどんとハウルの背中を叩いたが、ハウルは放すつもりなどなかった。放したくなかった。…それになにより、今、自分はものすごく情けない顔をしているはずで、それは同時に泣きそうな笑顔であって、ソフィーには見られたくなかったのだ。
だからハウルは、より強くソフィーを抱きしめることでソフィーに反発した。
「…なぁに、勝手にいなくなったから怒ってるの?」
耳元で聞こえた声に、ふるふると首を振って否定を示す。
「…心配、してくれたの?」
今度はこくん、と頷いて肯定する。正確に言えば、ソフィーがいなくなったのではないかと「怖かった」のだが、根っこは変わらないのでそのまま肯定しておく。
「ハウル、いつもはこんな時間に起きないでしょう?だから黙って行ったんだけど…。心配、させたのね。ごめんなさい」
そっとハウルの髪に触れると、そのまま優しく梳いてゆく。そんな風にされると、やっぱり自分は情けない顔になってしまうので、ハウルは結局顔を上げることができなかった。
「お花をね、摘みに行ってたのよ。朝の内に摘んでしまわないといけないものもあるから。…でも、もう黙って行ったりしないわ」
そう言って、ソフィーはぎゅっとハウルのことを抱きしめた。
「…私は、いなくなったりしないから。だからハウル、怖がらないで」
「…っ!」
読まれて、いた。
ソフィーの肩に顔を埋めたまま、ハウルは小さく呟いた。
「ソフィー」
「うん」
「…ソフィー」
「うん、なあに」
「ソフィー」
何度も何度も、確かめるように。ひたすらに、愛しいひとの名を呼び続ける。
「ハウル」
「…ソフィー、大好きだよ。」
何度言っても言い足りない。言わずにはいられない、溢れてはこぼれゆくこの僕の気持ちを。
「うん」
「ソフィー、大好きだ」
「ハウル」
「…好きだよ、ソフィー」
「私はここにいるわ」
「…ソフィー。」
「大好きよ。ハウル、大好き」
「ソフィー………」
名を呼ぶだけでいい。呼んでくれるだけでいい。それだけで、ああ、乱れていたリズムが、正しいテンポを刻みだすのだ。
「……ソフィー。」


君が居ることで、僕は心の均衡を保っていられる




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