差し出されたその手には、一片の打算もなく





いつもソフィーとマルクルに任せっぱなしだったから、たまには自分でも花を摘もうと、…そう思ったところまでは、よかった。
「…迂闊だった。」
小さい頃に何度も来ていたから、この辺の地形は完璧に把握していたつもりだったのに。自然とは、刻一刻と変化していくものなのだ。
要は、沼地に足を取られて湖の浅瀬にダイブしたのである。
ちゃぷ……
右手を上げると、きらきらとした光の粒がこぼれ落ちた。
(綺麗だな…)
ぼんやりそんなことを思い、空を見上げる。薄い雲と厚い雲が折り重なった空の隙間から、光が細い筋となって射していた。
(天使の梯子…)
確か、前に見たとき、ソフィーがそう呼んでいた。既に濡れきっているが、この陽射しで風邪もあるまい。そう思うと、ハウルはその場にごろりと横になった。
『ねえハウル、知ってる?虹のふもとには、宝物が眠ってるんだって』
ふと、ソフィーのそんな言葉を思い出す。
(…じゃあ、あの光の下には?)
何が、眠っているのだろう。
きっと、かつての自分ならそんなこと、気にしなかっただろう。けれど今は、そこに何があるのか、気になって仕方がない。それを見つけることができたらソフィーに教えてあげたいと、そうも思う。
「いってみようかな」
ハウルが身を起こすと、水が滴ってキラキラと輝きながら水面へと落下していった。
遠い旅になるかと思ったが、光の筋は意外に近いようだった。そちらへ向かおうと足を踏み出した途端、大きな声で呼び止められた。
「ハウル!!」
「うわっ」
ふいの呼び声に、今まさに足を上げた瞬間だったハウルは、再びバランスを崩して水の中へと戻ってしまった。さらに不幸なことに、ここは少々水深が深く、もはや濡れていないところがないほどの有様である。
「…さすがに冷たい……」
ぼそりと呟き、水の中に浸かったまま、愛しい人の声が聞こえた方へと体ごと振り向く。…そして、そのまま固まった。
「あ……」
「ごめんなさいハウル!そんなに驚くとは思わなかったの。ただ、水の中に居るのが見えたから、風邪でも引いたら大変だと、そう思って…」
「いや…もともと濡れていたし、そんなに変わりはないから…」
そう答えつつも、ハウルは自分のことなどどうでもよかった。
天使がいた。
光の射すところ、その真下に居たのは、星の光の髪をもつ、天使だった。
(…そりゃ、そうか)
天使の梯子だ。その下に居るのが天使なのは、当然のことだといえるのかもしれない。
「ほら、ハウル!いつまでもそんなとこにいないで。早くあがらないと、本当に風邪を引いちゃう」
そう言うと、ソフィーがハウルのほうへぐっと手を差し出した。
「え?」
「だから、捕まって。ほら」
アピールするかのようにその手を一旦握り、再び開く。
「…ありがとう、ソフィー」
ああ、こんな風に、当たり前のように手を差し出してくれることが、こんなに幸せだなんて。
「ソフィー、僕、さっき天使を見たんだ」
「ええっ、本当!?私も見たいわ」
「うーん、ソフィーが見るのは、ちょっと難しいかなあ」
「ええっ、どうして?」
「だってね……」
握ったままの手は離さずに、そのまま歩けることの幸せ。
君が差し出してくれた手は、冷え切った僕の体を、心を、すべてをあたためてくれた。


差し出されたその手には、一片の打算もなく



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