風邪引きさんの憂鬱。





「…色々あったからかなぁ…?」
『38.5度』と示された電子体温計を放り出し、は頭から毛布をかぶった。
、薬飲んだの?」
「飲んだ」
母親の声に、毛布の下から答える。「そう、ならいいけど」と言って気配が去ったのを確認してから、そっと枕の下に手を忍ばせる。
「……嫌い。」
ぽつりと呟いて取り出した錠剤を再び隠すと、その上にどさりと頭を乗せた。
「ダルい…頭、痛い…寝よ…」
ゆっくりと瞼を閉じ、毛布を掛け直す。…やがて程なく、の呼吸は規則正しいものへと変わっていった。







「え?休みなのか?」
無造作に鞄を机の上に置くと、快斗はきょとんとして青子に聞き返した。
「うん。なんか熱があるから休みだって。昨日もちょっと様子おかしかったもんねー」
(昨日、は…)
様子が変だったといえばそうだが、それは単なる照れ隠しだと思っていた。夜、ちょっとだけ会話をした時も、特に体調が悪そうにも見えなかったが…
(…まぁ、あんなことがあったあとだしな。緊張の糸が切れて、一気に疲れが出ちまったのかもしれねーし…)
やっぱオレのせいだよな、帰りに見舞いに行くか…などと考えている最中に、はたと気付く。
「…て、まだHR前なのになんで知ってんだ?」
「メール」
あっさりそう言って、青子は携帯を取り出した。
「そうそう、快斗に伝言だよ」
「……へ?」
慌てて自分の携帯を確認するも、新着メールはない。青子の言葉に、携帯をしまう手を止める。
「『快斗に絶対見舞いに来るな!って伝えといてくれる?』だって。オッケー?」
「な…」
なんだ、その理不尽な伝言は。
「…どーしてだよ?」
「んー…青子なんとなくわかるけどなぁ、ちゃんの気持ち。快斗はまだまだ、女心が分かってないんだから」
「はぁ?」
だが、それを問いただそうとしたところでちょうどHRが始まってしまった。仕方なく会話を切り上げ、自席に着く。
(女心…ねぇ…)
さっぱりわからないが、とりあえず…
「…オレが行かなきゃいいんだよな?」
言って、にやりと口元をつり上げた。







!」
「……んー…?」
ぺちぺち、と頬を叩かれ、ゆっくりと目を開く。ベッド脇に立っていた母親が、「お友達がお見舞いに来てくれたわよ」と言って、ドアを開けようとした。
「ちょ、待っ!だ、誰…?」
快斗には来ないように伝えてくれ、と青子にメールはしたが、なにしろ快斗だ。あっさり無視される可能性だってある。
「青子ちゃんよ」
(よかった…)
ほっと一息つき、ひらひらと手を振って「いいよ」と合図する。
「お茶とか、出さなくていいからね」
「はいはい」
かちゃり、とドアが開き、母親と入れ替わりに青子がひょっこり顔を出した。
「やっほー!ちゃん、大丈夫?」
「あはは…まぁ、なんとかね」
へらっ、と笑って壁際へと身を寄せる。ベッドサイドにスペースを作り、そこをぽふぽふと叩いた。
「ここ、座って」
「ありがとー」
そこへ座ると、青子が鞄の中からいろいろプリントを出してきた。
「これ、音楽会のお知らせね。あと、英語で出された課題。数学の小テストの答案はまだ返ってこなかったよ」
「そっか…」
永遠に返ってこなくてもいいんだけどね…などと考えながら、プリントを受け取る。
「他には特に何もなかった?」
「うん。あ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいい?」
「ん?なに?」
軽く身を乗り出して聞く青子に、なんだろうと首を傾げる。
「…なんで快斗は来ちゃいけないの?」
「………へ?」
「だから、なんで快斗は…」
再び同じ問いを口にする青子に、ああ、と納得して声を上げた。
「ごめんごめん、青子ならわかるかと思って、説明すっ飛ばしちゃった。だって…」
「…だって?」
寝ぐせのついたままの髪をなでつけ、苦笑しながら言う。
「…恥ずかしいじゃない?」
「へ?」
予想していなかった答えに、しばし固まる。恥ずかしい…?
「…なんで?」
「なんで、って…」
なんでわからないかなぁ、と不思議そうな顔をするが、そのまま続ける。
「風邪引いてるときって、なんかよれよれでしょ?髪もこんなだし、パジャマだし…寝すぎて瞼も腫れちゃってるし。こんな姿、見られたくないじゃない?」
「でも…」
私なら、いいの?と、再び問いを口にしようとしたところで、が言葉を続けた。
「やっぱり…好きな人には、ね。」
好きな、人には。
「え………」
……なにかがぷつん、と。音を立てて、切れた。

がばっ!!

「うぉわっ!ちょ、青子!?なに、どしたの!?」
突然抱きつかれ、わたわたと慌てた声を出すの耳元で、聞き慣れた声が聞こえた。
「…。」
「っ!?」
反射的に突き放そうとするが、強く抱きすくめられている上、熱のせいで力が入らない。
「…あのさ……ほんと、心臓に悪いから…」
逃れることは諦め、やれやれと息をつく。…快斗の性格を理解していながら、この可能性を考えていなかった自分が間抜けだった。
「気にしないから、さ…そーいうの、オレは全然気にしないから。だから、来るななんて言うなよ…」
「快斗……」
顔は見えないが(見えたとしても青子だと思うけど)、切実な響きを持って聞こえたそれに、瞬間胸が熱くなる。
(…けどっ!)
「とりゃっ」
「おわっ!?」
緩んだ隙を逃さず、べりっと快斗を引き離す。…が、予想に反して、その顔は快斗だった。制服も学ランに戻っている。
(はやっ…)
…口に出すと調子に乗るから、絶対言わないが。
「…あのさ、快斗ずるいよ?青子になりすまして私の本音聞き出すなんてさ…」
ぶつぶつとこぼすに、快斗が「ごめんな」と小さく呟いた。
「そんなつもりなかった…てか、なんでオレがだめなのか、知りたくてな。正面から行ったら入れてくれないだろうし…こんなに、」
言って、こつん、と額と額をぶつける。
「…こんなに、心配してるのに…」
「…っ、ごめん……」
まさか、そんな風に心配してもらえるなんて…思っていなかったんだもの。
「…まだ、熱いな」
「へ?」
改めて手を額にあて、快斗がそう言ってちらりと周囲を見回す。
「オメー、薬は?」
「……の、飲んだよ?」
言って、目線を逸らす。…はっきり言って、怪しいことこの上ない。
「……ふーん?」
さりげなく、そっとの背後へ手を伸ばし…さっと枕を奪った。
「あっ!」
「…ったく、小学生かよ」
ぱらぱらとこぼれ落ちてきた錠剤に、快斗はやれやれと息をついた。…これでは、治るものも治らない。
「あの…ごめんなさい、でも大丈夫だから…」
しどろもどろにそう言うの頭に、快斗はぽんと手を置いて言った。
「…やっぱ、無理させすぎちまったかな」
「え…?」
「気ぃ張ってたんだろ?ごめんな…オレのせいで…」
…普通なら巻き込まれることのない、非日常な出来事。それは、思った以上にに負担をかけてしまったのだろう。
「そんなことない!大丈夫だってば!快斗は悪くないよ!」
「…じゃあ、さっさと治してオレの罪悪感をぬぐい去ってくれ」
言って、錠剤をぽんと投げる。
「う…」
快斗がそんな風に自分を責めていたなんて、考えてもいなかった。だったら尚更早く治して、そんな罪悪感はぬぐってやりたい。快斗のせいだなんて、欠片も思っていないのに。…だが、嫌いなものは嫌いなのである。
「…ごめんなさい…それだけはだめなの。でもほんと、大丈夫…」
「“ごめんなさい”と“大丈夫”、禁止な?」
ふいに指で口元を押さえられ、快斗がそう言ってにっと笑った。
「な…」
「そんなに嫌ならオレが飲ませてやるよ」
ベッド脇の机の上からコップを手に取り、散らばったままだった薬を拾い上げ、水と一緒に口に含んで顔を近づける。
「か、快斗!いいから!ほんとだいじょ…じゃなくて、あの、ちょ、ん…」
じたばたと抵抗するの腕を片手で器用に押さえつけると、顔を背けないようにしっかり顎を固定し、そのまま唇を合わせる。薄く開かれた口から水と薬を流し込み、やがてそれが完全に飲みこまれるのを確認してからやっと唇を開放した。
「…っ、はっ…はぁ…ちょっ、快斗…何すんの!?」
いくら怒りを込めて抗議したところで、潤んだ瞳と火照った頬のせいでなんの効果もなく。それを見て、快斗は楽しそうに笑った。
「罪悪感をぬぐってくれんだろ?さっさと治してもらわないとな」
「…さっきのは演技?」
うらめしそうに見やれば、ふいに真面目な顔をした快斗にとくんと心臓が跳ね上がった。
「…いや、オメーを危険な目に遭わせて悪かったと思ってるのも、悔しいと思ってるのも本当だ。もう、あんな思いは絶対にさせねーから…」
言って、頬にちゅっと軽くキスをする。
「…オメーも、オレのそばを離れるなよ?」
にっと笑って言う。…いつものあどけない、いたずら小僧のような笑顔で。
「………ん。」
もいつの間にか、快斗と同じように笑みを浮かべていた。
(…私も、もっと強くなろう)
守られるだけじゃなくて、きちんと対等な立場でいたい。私だって、快斗のことを守りたい。
「とりあえず、早く治せよ?」
言って、ゆっくりと髪を梳く。その心地よさに軽く目を閉じながら、がおもしろそうに言った。
「…ま、これで風邪は快斗のほうにいっちゃったわけだし。ご愁傷様、お大事にー」
「…じゃー返してやるよ」
「なっ」
目を閉じていたことを、後悔する間もなく。…再び二人の唇は重ねられていた。







「せんせー、黒羽くんとさんがいません」
「ああ、風邪でお休みよ」
(…バ快斗め、行くなって言ったのになぁ)
空いた二つの座席を見つめながら、青子はやれやれとため息をついた。…ノート見せてやらないからね、などとぼやきながら。




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2004.11.20