「……っぶなー!!」
吹っ飛ばされた車の隙を縫って止まり、は冷や汗をぬぐった。
あと一歩抜けるのが遅ければ、巻き込まれて潰されているところだ。
がドアを開けて車から降りると、すでにそこでは赤井がライフルを構えているところだった。
「遅かったな」
振り向くことすらせず発された言葉に、はうんざりしたように返す。
「これでも速度ならあなたのマスタングには負けないはずなんだけど。今度運転技術を教えてちょうだい?」
「ああ…だが、日本では無理だな」
「それじゃ、しばらくはお預けね」
今後も活動拠点はしばらく日本の予定だ。
雑談をしながらもしっかりと赤井の車を覗き込み、カーナビを確認する。
(…成程、そういうこと)
「公安の彼は気付いていないってわけね?」
それには答えず、赤井は呼吸を整えて照準を合わせる。
…そろそろ、戻ってくる頃合いなのだろうか。
「こっちへ。歩けるわね?…そう。中に入って」
先ほどクラッシュした車から降りてきた一般人たちを、自分の車に避難させる。
それをちらりと横目に見た赤井が、ぼそりと呟く。
「……そこはスピンの領域に入るから、もう少し俺の傍に寄せておけ」
「了解」
時間に余裕はない。
運転席に飛び乗ると、ギアを入れ即座に赤井のマスタングに横づけする。
「動かないでね。ここにいれば安全だから」
そう声をかけてから車を降りると、道路の遙か先から猛烈なスピードで突っ込んでくる乗用車が見えた。…逆走だ。間違いない。
(……さて、どうするつもり?)
一瞬、赤井がはっとしたような動きを見せる。…何か、相手に動きがあったのだろうか。
声をかけて集中を乱すようなことはしない。…再度赤井が呼吸を整えた次の瞬間には、向かってくる乗用車のタイヤがパンクしたのが見えた。
「うっわ」
赤井の車のすぐ横を、制御を失った乗用車が横滑りしてスピンしていくのが見える。…次の瞬間には、先ほどクラッシュした乗用車に突っ込んでいき、落下、爆発炎上…ととんでもない事態になっているのをなんだか信じられないものを見ているような気持ちで見送ってしまった。
下からの熱風に思わず一度目をつぶってから、海上を見下ろす。
こうなってしまっては、さすがの赤井にも狙撃は不可能だ。
声をかけようとしたところで、安室が戻ってきたのが見えは車体に身を隠した。
「…赤井、貴様っ…!」
短い沈黙の後、ぎり、と歯ぎしりするような声が聞こえ、そのあとすぐに車体を急発進させる音が響いた。彼としても、この場に長居するのは得策ではないのだろう。
「秀一、」
声をかけた時には既に、赤井はスマホを耳にあてていた。を見ると、小さく頷いてみせる。
「取り逃がしました。後始末を頼みます。…それから、一般人も収容します。ええ、そちらはが対応します」
長居が無用なのはこちらも同じだ。
赤井の視線に応えるように愛車に飛び乗ると、は素早く車を発進させた。
……どうやら、今回の件も厄介なことになりそうだ。
小さく嘆息し、はハンドルを握りなおした。





………すぐに解決するかと思っていた事件は、思いの外長引いた。
ターゲットが行方不明になり、その後発見に至った…までは良かったが、どうやら記憶喪失になっているらしい。
肝心要のノックリストは所在不明。
次々と暗殺される各国のスパイたち。
どこまで漏れているかわからないノックリストのことを考えると、背筋が冷たくなる。
おまけに今回の件は、ジン―――組織の中核を担う、彼も動いているらしい。
ここは日本、日本警察との兼ね合いもあるし、公安の彼も赤井とはただならぬ関係にあることはよく知っている。
(…頭がパンクしそう)
…ここから先のことを考えると、自分の脳みそと技術で処理しきれるか不安なところではあるが、やるしかない。
一度深く息を吸ってから、ゆっくりと吐く。

――――よし。

病院の駐車場からRX-7が出てくるのを確認すると、はギアを入れて静かに尾行を開始した。





「〜〜〜〜しんっじらんない!!!何してくれてんの!?」
「お喋りする余裕はないだろう。運転を代わられたくなければ少しでも早く走れ」
………あの後。
倉庫内にとらわれていたバーボンとキール――公安とCIAの諜報員―――を救出するために赤井は、かなり危険な手段をとった。
照明を撃ち落としてふたりを助けたところまでは良かったが、そのあとドアを蹴り開け、ウォッカまで飛び出してきたのだ。
マスタングは割れているため、回していたの車で赤井を拾い上げ、今に至る……のだが、赤井は悪びれる様子もない。
ライフルを片手に足を組み、注意深く窓の外を見つめつつもどこかリラックスしているのがわかる。
「…大丈夫なの?」
「そうだな。…おそらく、あのボウヤがうまいことやってくれただろう」
言うが早いか、赤井のスマホに連絡が入る。「了解しました」と一言告げると、赤井は終話ボタンを押した。
「コナンくん?」
「ああ」
ジョディが「クールキッド」と称する、小学生探偵のことだ。
自分も何度か話をしたことがあるが、只者ではないのはわかる……が、何者なのかはわからない。
赤井が彼と懇意にしていることも、どうやら自分が知らない何かを知っていることも察してはいたが、踏み込まなかった。
そこは彼の領域だ。自分が踏み込むところではない。
「……そろそろ大丈夫だろう。、少し休むか?」
バックミラーを確認していた赤井が、ようやく視線をへと向ける。
つまり、本当に安心してもいいところまできたらしい。
「…ありがとう。少し、休ませてもらえると嬉しい」
車をゆっくりと路肩へよせると、ほう、と息をついてハンドルへ身をもたせかけた。
…自分が思っていたより、緊張していたようだ。
赤井は黙って車を降りると、すぐに缶を片手に戻ってきた。自販機がそばにあったらしい。
「飲め」
「………ぶらっくこーひー」
「好きだろう」
「秀一がね」
疲れてるところにブラックコーヒー。女子は甘いものが原動力なんだけど、なんてぶつぶつ言いながら、それでも買ってきてくれたのだからと「ありがとう」と受け取ると、赤井が小さく笑った。
「律儀だな」
「そりゃどーも…」
くぴ、と一口飲む。…苦い。飲めなくはないが、普段から好んで飲みもしない。
まあ気分転換にはいいか、とそのまま飲もうとすると、横から伸びてきた手に缶をさらわれた。
「ちょ、」
「苦いんだろう。無理をするな」
買ってきたのはそっちでしょーが、と文句の一つも言ってやろうと口を開くが、言葉を続けることはできなかった。
伸びてきた腕がの首の後ろに回され、そのまま引き寄せられる。
何かを考える間もなく、開いたままの口を赤井の口が塞ぐ。……予備呼吸なしの深い口づけは、容易にの息を上がらせた。
「………っは、い、いきなり、なに…」
「…したかったからしただけだ」
「はぁ」
キスは甘いから口直しとか言い出したらどうしよう、時々急にポエマーになるしありうる…なんて身構えていたのに、拍子抜けした。
…休憩になったかどうかはさておき、元気は出た。我ながら単純である。
「…さて、と!東都水族館だっけ。行くわよ!」
「ああ」
…横で赤井が笑っている気配を感じるが、そちらは見ないでおく。


……耳まで赤くなっているを見て、赤井は笑みを浮かべた。
好きでもないブラックコーヒー。
つい癖で買ってしまったが、はいつもミルク、時には砂糖を入れて飲んでいることは知っている。
それでも律儀にお礼を言って、頑張って飲もうとする。
そんなが愛しくて、可愛かった。

だから、キスをした。したくなったから、しただけだ。

赤井がそうして端折った途中経過など、は知る由もなく。
ひたすらに、東都水族館へと車を飛ばしていった。





----------------------------------------------------------------
BACK