「さて、着いたわけだけど」
東都水族館駐車場、木の陰になっている端でぐっ、とサイドブレーキを引くとは言葉を続けた。
「どっちを着たい?」
「……お前は時々、そういうことをするな」
うんざりとした表情で言う赤井に、はニコニコとして言った。
「1着ずつしか用意できなかったんだもの。一応、聞いておかなきゃと思って」
が掲げているのは、観覧車内部に潜入するための変装用の服だった。1つは作業着だが、もう1つは添乗員らが身に着けている水兵を模したような服だ。冗談でもそれを着ている自分のイメージなどできない。
「まあ、こっち着てる秀一を写メりたいところではあるんだけど」
眉をひそめた赤井に、は「最後まで聞いてよ」と続ける。
「その顔でこれ着てうろうろしてたら、逆に不審だから。秀一はこっちね」
私だってアラサーでこんなの着たくないわよ、と内心ぼやくが仕方ない。適材適所、赤井に比べればまだ自分はマシだろう。
「…ホォー。これを、お前が着るのか?」
先ほどまでの不機嫌オーラはどこへやら、急に興味深げに服を見てくる赤井にが「だから何?」と不審そうに返す。
「いや…短いな、と」
「秀一って時々そういうこと言うよね!!!!」
バッ、と取り上げると「男は外!」と赤井を蹴りだして着替えを始める。言われる前から気にしてはいたことだが、口にされるとより一層パンツの短さが目に痛い。
(機動性が上がったって思っておこう。仕方ない)
赤井自身は上に作業員用のジャンパーを羽織っただけの簡易的なものだ。しかしそれだけで、隠しようがないライフルも作業服を着て横から下げれば急に工具に見えてくるから服の与えるイメージというものは大きい。
「…行くわよ」
「……あぁ」
「見ないで」
赤井の視線を感じ、明後日のほうを見ながら言う。続いた「悪くはない」という感想は、彼なりの賛辞と受け取っておこう。





(お、来た)
観覧車付近で子供の相手をしていたは、風見をはじめとする公安数名が通過していくのに気付き立ち上がった。キュラソーも一緒だ。このまま観覧車に向かうと見て間違いないだろう。
「じゃあね、ばいばい」
「うん、ばいばいおねーちゃん!」
子供に別れを告げると、モニュメントの陰に入りスマホを手にする。
「秀一?公安がそろそろ観覧車に到着する」
先に観覧車内部に潜入している赤井に小さく囁くと、短く「了解」と返される。
いずれ警視庁のメンツも、残りの公安も、そしてコナンも。観覧車に集合することになるだろう。
「…行きますか」
そう呟き、夜空を見上げる。…この秩序は、おそらくまもなく破られるのだ。
気合を入れるように息を吐くと、は観覧車へと向かって駆け出した。





「お客様、後ろ失礼いたしますね」
観覧車を待つ列がやたら混み合っていると思ったら、どうやら公安が片側を貸し切りにしたことにより生まれた混雑らしい。一般人を巻き込まないようにする配慮は立派だが、これでは自分が思うように身動きがとれない。
(まあ秀一はもう内部に入り込んでるしー…って、)
遠目にだが、はっきりと見える。の目に飛び込んできたのは、作業服を着た若い男性だった。周囲を窺うように見まわしてから、作業員用の扉をくぐって消えていく。
「あ、っちゃー…」
思わず心の声が出てしまう。混乱した客に聞きとがめられることはなかったが、その場で思わず頭を抱えて蹲りたくなってしまった。
(安室くんが無事なのを確認できたのは、良かったけど…)
因縁浅からぬ関係であるあのふたりは、決して顔を合わせてはいけないのだけれど。ましてや今この状況で、だ。
(厄介なことにならなきゃいいけど…無理だろうなー…)
彼は一度、赤井を本気で組織に引き渡そうとしたことがある。その時のことを思い出すと今でも背筋が冷たくなるが、それだけあのふたりの間に流れている因縁は、深い。
気をもんでいても仕方ない。なんとか客のいないレーンを抜けると、はそのまま安室と同じ作業員用の扉をくぐりぬけた。安室が入ってから、いくらかの時間が経過してしまっている。…内部に入った時点では、赤井も安室も、影も見えずどこにいるのかはわからない。
今現在赤井の置かれている状況がわからない以上、スマホに電話をかけるのも憚られた。
その時だ。
どんっ…!!
自分よりはるか上で聞こえた鈍い音に、は頭上を見上げた。
(…これは……)
やってる、な。
安室とのどんぱちで赤井がどうこうなるとは思っていないが、時間がない。公安とキュラソーはすでにゴンドラに乗っているのだ。いつ組織が仕掛けてきてもおかしくない状況だ。
「もー、今やることじゃないでしょうに…!」
愚痴りながらも、上に向かって駆けだす。すると、遠くから聞き覚えのある声が叫んでいるのが聞こえた。
「お願いだ!手を貸して!―――…!」
(…?聞こえない…)
コナンが叫んでいることはわかるが、断続的な観覧車の内蔵音が煩く、途切れ途切れにしか聞き取ることができない。どうしたものかと思案していると、さらに遠くから微かに「FBIとすぐに行く!」と声が届いた。間違いない、安室のものだ。
(詳細はわからないけど…)
どうやら3人が共闘態勢に入ったとみて、間違いないだろう。
「まったく…小学生が奮闘してるっていうのに、大人二人で足を引っ張らないでよね」
ここは大丈夫だ。あの3人に任せよう。
適材適所、自分にはほかにやるべきことがある。
観覧車内部を脱出すると、はぐるりと周囲を見まわした。明らかに公安の人数は増えているが、観覧車から降りてきてからのための準備だろう。だが、おそらくそれでは間に合わない。……間もなく、これからこの付近は混乱の坩堝となる。
(先に着替えておこう)
この姿でスマホを片手にうろうろしていては、不審がられてしまう。潜入捜査を終えたのだから、もうこの姿でいる必要もない。手近な木陰で素早く着替えをすませると、は再度観覧車方面を見上げた。
(……秀一)
ぐ、とスマホを握りしめる。
何事も起きませんように、というのが無理な願いなのはもうわかっている。
……だから、せめて、これだけは祈らせてほしい。

「無事に、戻ってきて」

小さく呟き、息を吐く。一度目を閉じ、ゆっくりと開けた目に―――もう、不安の色は残っていない。
さて、と周りを見回した途端にスマホが鳴る。
慌てて着信画面を見ると、発信相手は赤井だった。
「秀一!?一体どうし……」
『どうも様子がおかしい。危険だ。他のFBIのメンバーにも、』
そこから先は、バババババという大きな羽音にかき消されて聞こえなくなってしまった。…………羽音?
なぜ、と思った次の瞬間、園内の電気が一斉に消えた。



…やつらが、仕掛けてきたのだ。





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