綺麗で、幸せそうで、これ以上ないってくらいに笑顔が輝いていて。言うべきことはただ一つ、それくらいわかっている。 …それなのに、どうしても言えなかった。 「おめでとう」の一言が。 「やぁ少年。失恋かな?」 横手から唐突に掛けられた声に、弾かれたように振り返る。先ほどまでは誰もいなかった横のスペースが、今は埋まっていた。…制服を着ているということは、従業員なのだろう。 「…少年、て年じゃないですよ」 「私より年下のコはみんな少年。まぁ君とはそんなに年離れてなさそうだけど」 「はぁ…」 それきり話すこともなく。最後列に座っていた二人は、しばし黙ったままで式の成り行きを見つめた。 『それでは、只今より――…』 (あー…) …やっぱり、駄目だ。 「すいません、オレちょっと先に出るんで…」 言って、横にいた女性の前を通ろうと頭を下げる。 「ん?あ、そう」 そう言うと、その女性もまた一緒に立ち上がった。 「え?」 「いいから」 こっそり席を立ち、きしまないよう扉を開け、表へ出る。…やわらかな日差しが芝生を照らしていた。 「あの、なんであなたまで…」 「さっきのコ。好きなんでしょ?」 「なっ」 横手にあったベンチに腰掛け、出し抜けにそう言う。…呆気にとられながらも、同じく横へ腰を下ろした。…さばさばとした言い方からは嫌味などが感じられず、不快感もない。 「こんな商売してるとね、結構君みたいな人見かけるんだなー。来なきゃいいのに、それもできないんだよね。奪っちゃえば?“卒業”みたいに。カッコいいよー?」 「…彼女を、不幸にはしたくないですから」 苦笑しながら言う。膝の上で手を組み、そのままゆっくりと続けた。 「幼い、恋だったんです。…半端に長かったもんだから、ふんぎりつかなくて」 「…ごめん、話の腰折るんだけど、君、もしかして工藤新一くん?」 「はっ?」 先の読めない会話展開に加え、突然名前を呼ばれ、新一は飛び上がった。 「お、当ったりー」 「…なんで、それを…」 紙上から姿を消して、既にかなりの月日がたっている。初対面の相手にいきなり名前を呼ばれたのは、本当に久しぶりのことだ。 「…てことは、そっか、あのドレスの彼女は毛利蘭さん…かな」 「…何者ですか?」 さすがに不審そうな目を向けると、彼女はあははと開けっぴろげに笑って答えた。 「怪しいもんじゃないよ。…ほら、蘭ちゃん、だっけ?一度だけ紙面を賑わせたことがあるでしょう。あの、雪山の事件で」 「ええ、でも…」 十年近く前の話になる。それに、あの事件には工藤新一の名前は出ていなかったはずだ。 「これだけじゃ説明にならないよね。うーん…まぁあれだ、有名税みたいなもんだと思うけど、結構君の周りの人もネタにされてたのよ。“工藤新一の側にいつもいる女の子”ってことで、割合有名だったしね」 「…全く知りませんでした」 「うん、そうだろうね。表に出る情報じゃなかったし…。まぁそんなこともあって、実はあの事件に工藤新一が絡んでたんじゃないか?って噂もあったのよ。それでよく覚えてたの」 君のファンだったんだよ、とは言わずにおいた。今の彼に言うべきことではない。 「そう…なんですか…。」 全てにケリを付けた今となっては、大して気にすることでもない。…だが。 (…結構、危ない橋渡ってたんだな。オレ) まさか、あの頃を懐かしいと思う日が来るなんて。まさか、あの頃は良かったなんて思う日が来るなんて。 「…今でも、好き?」 ふいの問いに、驚いて一瞬目を丸くする。 当然だ、だから今つらいのだ。だが、今日までオレは何もしなかったではないか…? …改めてそう聞かれると、よくわからない。わからないが。 「好きでいる資格はない、と…思います。彼女がまだこっちを見てくれていたとき、オレは想いを伝えられなかった」 …そう、仮にコナンにならなかったとしても。幼なじみという関係に甘え、一歩を踏み出せなかっただろう。 「…資格だとか、そんな小難しいことは考えなくていいんじゃないかな。…人が人を好きになる、そこに理屈や理論は存在しないでしょう?」 そう言って、軽くウィンクされる。新一は苦笑しながら返した。 「蘭には、もう相手がいるんですよ。それでも好きでいたら、バカみたいじゃないですか、オレ」 「…一緒になることだけが」 「え?」 瞬間、寂しげな表情が彼女を支配する。先ほどとは、明らかに異質の―― 「…恋愛の最終形態じゃ、ないよ?」 くるりと振り向いて言った彼女は、既に明るさを取り戻していた。…きっと、彼女にも色々あったのだ。 「そう…ですか?オレには正直、まだよくわかりません」 ちらりとネームプレートに目を走らせながら、ぽつりと呟くように返す。 (…、さんか) それを受け、が言葉を続ける。 「本当に、心の底から好きだったら、どんなにつらくても相手の幸せを祈ってしまうもんなの。…そう、自分の手に届かないところへ行ってしまっても、」 サァァァァアッ。 ひとしきり強い風が吹き抜け、梢が音をたてて揺れた。 「…行って、しまっても?」 どこか落ち着いた心持ちで、静かに先を促す。…なんだろう、自分はこの先の言葉を知っている気がする。 「笑っていたらいいな、って。」 そう言い切り、が照れくさそうに笑う。 (…ああ、そうだ。) 昔から、オレはあいつに泣いてほしくなくて、笑っていてほしくて、ずっとそう思っていて。 「笑って…いたら、いいと、」 それを、一番近くで見ることができなくても。 「は…は、ははっ」 そんなこと、とっくの昔に分かっていたはずなのに。 ようやくたどり着いた真実に、笑みがこぼれる。くしゃりと髪をかきあげると、指の隙間からと目が合った。 「…今すぐは無理でもね。いずれ、そう思えるようになるよ…君なら。」 「はい。…ありがとうございました、さん」 「やだなぁ、でいいよ」 笑って、ぱたぱたと手を振りながら言う。…この笑顔に、何人が救われたのだろう。彼女とて、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったはずだ。 「じゃあ、さん。…オレ、大切なことを見失うところでした。本当に…」 「もういいよ。それより、態度で示してもらおうかな」 「え?」 随分長いこと、話し込んでしまったらしい。の視線の先では、教会の扉がゆっくりと開いていくところだった。…無論、そこから姿を現すのは。 (ああ…) 今なら、言える。 小さなブーケを手に出てきた蘭に向かって、力の限り…心の底から、叫んだ。 「蘭!おめでとう!!」 周りの人間が一斉に振り返り、蘭もはっとしたようにこちらを見た。…式場の中に新一がいないことくらい、気付いていたはずだ。 「新一…」 ぽつりと呟かれたのは、…聞き慣れた、自分の名前。今ならそれを、動揺せずに聞くことができる。 「…ありがとう!ありがとうっ!」 うっすらと涙をたたえ、今までで一番華やかな笑顔を見せる。 (…そうだよな。ごめんな) 蘭も待っていたはずだ、自分の口から祝ってもらうのを。 …最後の自惚れを、許してもらえるだろうか。こう思ってもいいだろうか。 「きっと、誰よりも、新一くんに祝って欲しかったんじゃないかな」 「!」 心の中の呟きを読み取られたかのようなセリフに、弾かれたように振り返る。小さくVサインをしていると目があって、なんだか泣きたいような笑いたいような、なんとも言えない感覚に囚われた。 「…そうだといいなと、思っていたんです」 素直にそう言って、ゆっくりと階段を下りてくる蘭を見守る。 「相手の方のお名前は?」 「…日本太郎、だったかな」 その新一の返事に、は吹きだした。ぽんぽん、と背中を叩き、笑いながら言ってやる。 「ねぇ…名前くらい、覚えてあげなよ?」 「そうですね…。次に会うときまでには、覚えておきます」 同じく笑いながら返す。不思議なもので、既に心の中は、この青空と同じように晴れ渡っていた。 「お、花嫁さんがブーケ投げるよ!」 メインイベントとも言えるだろう。両手で持って、蘭が高々と持っていたブーケを空高く投げた。 ザァァァァアアッ。 「ぅわっ…」 「きゃっ」 突如吹いた突風に、小さな悲鳴が漏れる。風に乗って飛ばされたブーケは、とんでもなく遠くまで流されてしまった。…そう、 「え……やばい、キャッチしちゃった…」 のもとまで。 「きゃー!」 「いいぞー!頑張れー!」 従業員である自分がキャッチしてしまったことで、引きつった笑いを浮かべていたの元に多くの声が届く。困ったように新一を見ると、優しく笑って返される。 「…いいじゃないですか、幸せのおすそ分け。せっかくなんですから、もらっといてください」 「あ…あはは、あとで上司に怒られるなあ…」 そのブーケを見ながら、苦笑して呟く。やおらそこから一本抜き取ると、無言で新一の胸ポケットにそっと差した。 「はい、おすそ分け。…勤めていていうのもなんだけど、私こういうのよくわかんないんだよね。別にわけてもいいんでしょ?幸せのおすそ分けの、おすそ分け。…なんてね?」 言ってウィンクする。新一は一瞬、呆気に取られたように胸ポケットを見ていたが、やがて小さく咳払いをしてぼそりと返した。 「…本当に知らないんですか?厄介な方ですね、さんは」 「へ?」 芝生の上では、お茶会の用意が進められている。蘭と彼は、その近くで友人達と談笑していた。 (ブーケの伝説…諸説あるけど、プロポーズの花束を受け取った女性が、嬉しくて嬉しくて、すぐにでも「YES」と答えたいのに胸がいっぱいで何も言葉にならなかった…だから黙って、その花束の中から一輪の花を抜き、男性の胸のポケットに差した。それが、ブーケになり、男性が胸に同じ花を差すブートニアになったという…) 胸ポケットの花を取り出し、そんなことを思い出す。そんな新一の心情は露知らず、はブーケを手にしたまま早速上司に怒られていた。 (まあ…いいか。とりあえず、名前聞いてやるか。あいつの) そう思い立って、再び花を胸ポケットに差し、蘭たちがいるほうへと向かおうと足を踏み出す。ふいに思い立って、ぺこぺこ謝っているの元へ耳を寄せて囁いた。 「…また、あとで。」 「へ」 「こら!!聞いてるのか!?」 「うぁはいっ!すみませんすみません!!」 そんなを見てで吹き出してから、新一は横を走りぬけた。芝生を踏む足が、軽い。 「おーい!」 「あ、新一!」 「よー工藤、来たか!」 「ちょっと聞いてよ!このこったらね…」 「なんだなんだ、どうした?」 遠くから聞こえてくる、結婚行進曲の旋律。恋人から夫婦へとなった二人を祝福する、甘く優しいメロディー。そちらへ一瞬顔を向けてから、最後の加速をかけて走った。 …いつか聞こえる、愛の歌。 ---------------------------------------------------------------- 2005.5.16 BACK |