負けてなるものか、と歯を食いしばって、涙なんか見せるものか、と強く唇を噛んで、握り締めた拳は、小さく震えていて。

私、何やってんだろう。





(あ゛ー………)
食堂の片隅で、は深く深く息を吐いた。溢れかけた涙は、冷たい水で喉の奥に流し込んで。
昼休みの、ざわざわとした食堂。そこは人に溢れていて、それでいて、どうしようもなく孤独だ。誰も自分を気に留めない。それが、こんなにも心が休まるだなんて。
(…楽じゃ、なかったなぁ)
社会人。
……覚えなきゃならないことは山積みだし、毎日毎日呆れるほど怒られるし、どう考えても理不尽なことでなじられたりもする。とにかく信用されていないし、出来たところはスルーされて、出来ないところばかりつつかれて。
寝れば悪夢、起きていればあれもこれもやらなきゃと追い立てられ、もはや生きることそのものがプレッシャーだ。
「…………ん、」
そろそろ戻らなきゃ、とトレイを手にしようとして、傍らの携帯が光っていることに気が付いた。
…そういえば、昼休みになってからまだ一度も携帯を開いてなかったな。
どうせメルマガだろうなぁ、なんて思いながら開いて、は固まった。

『From:白馬探』

「………探っ…!?」
思わず口に出してその名を呟き、はっと周りを見回す。…誰にも、注目されてはいない。
(ちょっとでも目立つようなことは避けたいし、)
長居は避けよう、とは足早に食堂を後にした。早く戻っても仕事を上乗せされるだけなので、屋外のベンチに移動し、腰掛けて再び携帯を開く。


From:白馬探
Sub:(無題)
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新しい環境には慣れたかい?
僕は相変わらずだよ。ロンドンは、今日も生憎の天気だ。
最近、なかなか連絡がないから少し気になってね。便りがないのは……
ならいいんだけど、は、ひとりで抱えて頑張るところがあるから。
無理してないかい?
第三者だからこそ、聞ける話もあるんじゃないかな。
来週、一旦日本へ帰ることになったんだ。
久しぶりに、食事でもどうかな?時間は、に合わせるから。


(……敵わない、なぁ)
しっかりきっちり、こっちがもう駄目だ、って時を狙って連絡してくる。心配をかけまい、甘えるまいと連絡を断っていた自分が馬鹿みたいだ。
(嬉しいけど…)
やっぱり今は、甘えちゃいけないと思うから。


To:白馬探
Sub:ありがとう
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探、メールありがとう。
でも今月は、仕事のあとに研修が入ってるから
ちょっと無理かな;
私なら大丈夫だから!
また今度、よろしくね。


(これで良し…っと。)
研修なんて入っていないが、嘘も方便だ。…探に会うのは、もっと胸を張っていられる自分になってから。
一度目を瞑って、ゆっくりと息を吐いて。
「………っし!」
ぱん、と両頬を叩いて気合いを入れると、は携帯をしまって立ち上がった。





「………っはぁあああ…終わった……」
既にとっぷりと日は暮れ、空には星が瞬いている。勤務が終わって、駄目なところを指摘されて、また直して。そんなことをしていると、あっという間に定時+3時間、だ。
帰るの面倒くさいなぁ、寮の子に泊めてもらおうかな…なんて思いながら、門をくぐった時だった。

「…随分と過酷な研修みたいだね?」

唐突に聞こえた、声。
…聞き間違えようもないのだけれど、それでも信じられなくて。
恐る恐る声のした方を見やれば、正門に背を預けたまま腕組みをし、難しそうな顔をした白馬と目が合った。
「さぐ、」
「………。君の嘘は、僕には通用しない。学生の頃から、繰り返しそう言っているはずだけど」
何も言えずにいるの前へつかつかとやってくると、その手をぐっと握って歩き出した。
「あの、探…」
「今日は僕と夕飯だって、約束しただろう」
「でも……」
しどろもどろと続けようとするを一睨みし、白馬は言葉を続けることを許さなかった。
(探………)
ぐいぐいと、手を引かれるがままに、歩いて。
…ただ、無性に嬉しかった。





「…そんなことだろうと思ったよ」
「そっ…!」
話しやすいように、と入った大衆向けのレストラン。一通りの話を聞いて、白馬はそう言った。
「そんなことって、こっちは真剣に…!」
「馬鹿にしてるわけじゃない。…が、気を張りすぎたって言いたいんだ」
食後のコーヒーをゆっくりと飲みながら、ゆっくりと話し始める。
「…ある程度の待遇は、我慢しなきゃならない。それは、新人だからね。でも…そうだな。なんと言ったらいいかな…」
カップを置いて、白馬はしばらく考え込んだ。…はただ、それを待っている。
「……今、がやっていることに無駄はひとつもないんだ。確実に、前に進んでる。…ただ、『成長した』って実感できるのには、時間がかかってしまうものだから。三ヶ月後、半年後のは、きっと今よりいい表情をしているよ」
だから、できない自分を責めるのはやめてごらん、なんて。
優しく言うものだから、……涙が、零れてしまった。
「…ううう〜〜〜〜〜!」
「ははっ、男らしい泣き方だな」
「男ぢゃない…うっううっ…!」
唸るように泣くに、苦笑のような、微笑のような、柔らかい笑みを浮かべて。
ゆっくり立ち上がると、白馬はの向かい側から隣の席へと移動した。
そして、そっと頬に手を添える。

「…知ってるよ」

君が、誰よりも可愛い女の子だってこと。
まぶたに落とされたキスと、囁かれた言葉。
恥ずかしい、という思考にすら辿り着けず、はしばしポカンと呆気にとられ……ぼん、と時間差で真っ赤になった。
「さささささささ探っ……!?」
「うん、何?」
「何、って…!」
にっこり笑って言われたら、これ以上言えることなんて何もない。
「……………心配、してくれて…あり、がと」
やっとの思いで、それだけ小さく呟いて。
ふにゃ、と、情けないけれど、それでも精一杯な笑みを浮かべた。
「私、頑張れるよ」
「…うん。それでこそ、だよ」
優しい手のひら。
ゆっくりと撫でてくれるそれが、とても心地好くて。
……私は、この手が、声がある限り、頑張れるのだ。





    きっと、明日には、笑顔で。



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