「こんばんは、キザな怪盗さん?」
「………おやおや。これはまた、珍しいお客さんですね。」
動きやすさ重視のパンツとシャツ、そして目をくらますための黒で統一されたカラー。元より漆黒の髪は闇に溶け、にこりと笑った口元はまるでチェシャ猫だ。
(…何者だ、こいつ……)
月を背負って、顔は見えない。…だが放つオーラは、彼女が只者ではないことを教えてくれていた。
「お名前を窺っても?」
あくまで、口調は崩さずに。内面の動揺は、悟られないように。
「あら」
クス、と。囁くような笑い声に、快斗は察した。…自分のポーカーフェイスが、彼女には通じていないことに。
「お好きなように。あなただって、自分で怪盗キッドと名乗りだしたわけじゃあないでしょう?」
また近いうちに、お会いしましょう。
そう言うと、まるで猫のようにしなやかな動きであっという間に姿を消した。…もはや、気配のかけらも残ってはいない。
(……っふー…)
すとんと腰を下ろし、額の汗を拭う。…久々に、緊張した。
「あいつも怪盗…なのか?」
まるで猫のようにしなやかで身軽。…そして闇においてもなお漆黒の、あの髪が忘れられない。
「黒猫」
そう。それはまるで…闇を駆ける黒猫のようだった。





 黒   猫







「よっし、今日も楽勝ー!」
…あの晩から、数週間が過ぎた。
さすがに少し警戒し、あれから一週間ほど動向を探ってみたのだが…黒猫の素性は愚か、一切の情報は手に入らなかった。自分のように派手に動き回っているわけではないようだ。とはいえ、情報がないからといっていつまでも警戒して動かないわけにもいかない。相変わらず能のない警備を簡単にすり抜け、屋上からハンググライダーで飛び立とうと柵に足をかける。
「キッド」
…その声は、唐突に背後から聞こえた。
確かに今まで、気配はなかったはずなのに。
「こんばんは、キッド。また会えて嬉しいわ」
「……黒猫」
ぽつり、と。
自分でつけた名が、無意識に口をついて出る。
「黒猫?…それが、あなたがつけてくれた名前?」
この前と全く違わぬ出で立ちで、黒猫がその名を呟いた。
「素敵」
ニコリと笑うと、「ありがとう」などと暢気に言ってくる。
「お前、何者だ?」
ポーカーフェイスは通じない。何より、彼女にポーカーフェイスを使う意味はない。足を柵から下ろし、真正面から見据える。
「あら、噂で聞いていた紳士的な怪盗さんはどこへ行ってしまったのかしら」
「はぐらかすなよ」
目的が見えない。
一体黒猫は、なんのために自分の前に姿を現すのだろう。
「…そうね。悪かったわ」
恐らく快斗が、紳士的な態度で自分を隠すのと同じように。
黒猫も、その笑みで自分を隠していたのだ。
表情を消した黒猫の放つ気配は、自分と全く同質のものだった。
「私もあなたと同類…と言えばわかるかしら?」
「怪盗、ってことか?」
「それもそうなんだけど」
一呼吸置いて、意を決したように言う。
「パンドラの石」
「!」
…それ、は。
「あなたには…こう言うだけで十分じゃないかしら」
「オメー…まさか、」
あの組織の。
「勘違いしないで」
快斗の語気の荒さに気付いたのだろう。黒猫が、快斗を遮って続ける。
「あなたと同類、そう言ったわ」
「……潰したい、っていうのか?」
疑わしげに言った快斗に、黒猫は真正面から快斗の瞳を見据えて言った。
「そうよ」
(こいつ……)
黒猫の瞳は、危険なほど強い意志を持っている。…嘘では、ない。
「あなたじゃない」
「……え?」
唐突な台詞にも、だが、何より、初めてと言っても過言ではない…黒猫の感情が、はっきりとその声音に現れていることに驚く。
「私が、パンドラの石を砕く。…私のこの手で、必ず砕いてみせる。」
「…へえ。」
成程、事情ありなのはお互い様というところか。
「今まで姿を潜めていたのは何故だ?」
「あなたみたいに派手に動いていなかっただけよ」
「成程?」
こっそり盗み出し、調べ、目的でなければまた戻す。確かに賢いやり方だ。
「黒猫、オメーとはまたすぐにでも会うだろーな」
「…ええ、そうね。」
つまりこれは、宣戦布告。
双方、目的はたった一つ。そしてそれを、譲る意思はないということ。
「最も…あなたとは、また違う形で会うことになるかもしれないけどね」
「え?」
意味深な言葉に快斗が呆けた声を上げると、またにこりと笑みを貼り付け、「じゃあね」と言うなり姿を消してしまった。
「……どういうことだ?」
ようやく聞こえてきた大量の足音に、屋上を蹴って空に舞いながら考える。
(…ま、考えてもしゃーねーか。)
同じものを狙う同士、…願っていようといまいと、必ずまた出会うのだから。





「初めまして、今日からこの学校でお世話になるです。よろしくお願いします」
翌日。
唐突にやってきた転校生に、快斗がガタンと立ち上がる。
「ああああああああああああっ!!?」
「うるさいバ快斗!!」
青子の繰り出したモップを片手でいなし、快斗が呆然としてその少女を見つめる。
服装こそ江古田の制服だが、忘れることなど出来ない漆黒の髪と、その笑みは。
「…よろしくね?」
(マジかよ………!!)
笑顔で言われ、快斗は引きつった笑いを浮かべた。

……元より、決して穏やかとは言えなかった日常が、より一層騒がしいものになるのは間違いない。



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