私だけの、王子様。





プルルルルルルル…

「待って!待ってーっ、乗りますっ!」

プシューッ、…ガタンッ

…必死の叫びも虚しく、がホームに降りたときには電車の後ろ姿が見えるだけだった。無論、ホームには人っ子一人いない。
「…うわーちゃん大ピンチ…」
時刻表を見て、嫌な汗が流れる。…次の電車が来るのは、二十分後。
、初デートにて遅刻が決定した瞬間だった。





(…遅い)
ちらりと柱時計に目をやり、新一は足を組み直した。『トロピカルマリンランド入り口脇のベンチに十時』…そろそろ十時半になろうかという時間だ。駅に電話して聞いてみても、大幅な遅延を起こしている電車はないという。携帯に連絡をとりたいところだが、あいにくは今、携帯を持っていない。
…前日、「便器に落として壊れちゃった」と自宅の電話から連絡が入ったのである。
(…あいつらしいっちゃあいつらしいけど)
苦笑しながら、再び柱時計を見やる。…だが、こんなときには、携帯を持っていないことを恨めしく思わずにはいられない。
(まさか、何か事件に巻き込まれたんじゃ…)
新一が本気で心配し始めた頃、唐突に背中にタックルを食らった。
「うぉわぁぁぁぁっ!?」
「ごめんっ、お待たせ!」
まだバクバクと音をたてたままの心臓を抑えながら、ゆっくりとタックルをしてきた相手を見下ろす。…そこには、息を切らせ、真っ赤になっているがいた。まだそんな季節ではないのに、汗を流しながら。
「ごめっ…怒って、」
「ねーよ。」
そう言ってとりあえず安心させてから、ぽんぽん、と肩を叩いて、の息が落ち着くのを待ってやる。待っている間に買っていた烏龍茶を手渡すと、は一気に飲み干した。
「…っは!はーっ、はーっ…ごめんっ新一!!支度するのに手間取っちゃって、それで乗り遅れちゃってっ…」
「ん?あ、ああ…」
…普段、制服姿しか見ていないせいもあるだろうが、の私服が妙に映えて見えた。ネックレスや指輪など、細かいところにまで気を配っているのがよくわかる。
(…これを、さ。オレのために、)
これだけのことを、自分のために。
鏡の前で四苦八苦しながら精一杯お洒落をしてくれたのだと思うと、自然と顔がほころんだ。緩む口元を覆って、軽く目をそらした。
どうしようもなく、嬉しい。
怒ったりするわけがない、こんなに会えるのなら、今では待ち時間すら楽しかったと思えるほどだ。
こっそり深呼吸をしてから、笑顔で言う。
「気にすんなよ。いいから行こうぜ!」
「…うんっ!」
ありったけの勇気をふりしぼりつつもさりげなさを装って、新一はの手を握った。





「え、烏龍茶も紅茶も緑茶も全部!?」
「そう。元々はカメリア・シネンシスっていう、同じ葉から摘まれているんだ」
「へー!」
ひとしきり乗り物に乗り、一息つこうとベンチに座ったところで、新一がそう言った。の手には、ランド内で買った紅茶のペットボトルが握られている。
「違うのは製造過程だけなんだ。摘んだ葉にすぐに熱を加えると、酸化酵素の働きが止まって緑茶になる。授業でやったばかりだから、酵素が熱に弱いのは知ってるだろ?」
「うん。タンパク質の複合体だから、だよね。タンパク質も熱に弱い」
「その通り。あとは、摘んだ葉を酸化酵素によって十分に発酵させてから加熱させると、紅茶になるんだ」
ここで新一は、コホンと咳払いして言った。
「ではくん、烏龍茶はどうなるかな?」
「えー!?…そうだなあ、じゃあ…その中間?」
おそるおそる、といった感じで聞いたに、新一はニッと笑って答えた。
「大正解!」
「え、本当?やったー!」
思わず椅子から立ち上がって喜んだに、新一は言葉を続けた。
「正解したくんには、特賞があります」
「え、」
なに?と聞こうとした次の瞬間には、の手にあった紅茶は新一の元へ渡っていた。
「残りの紅茶を、オレが飲める権利」
「あ―――――っ!」
半分近く残っていた紅茶は、あっと言う間に空になった。
「よっ、と」
続けて、その空きペットボトルを蹴ってゴミ箱にシュートする。乾いた音が響き、成功を知らせた。10mはあっただろう距離からのゴールに、特賞でもなんでもない、と憤然としていたも思わず歓声を上げた。
「すごい、すごいよ新一!」
照れくさそうに、満更でもなさそうに頬をかきながら、新一がパンフレットを広げる。
「っし、次行くぞ!」
「次はね、海底五万マイルがいい!」
((今のって間接キス、だよなー…))
お互いにそんなことを思いつつも、気恥ずかしさが先立って、結局何も言わないままに新一とは駆け出した。





「あと乗ってないのは…」
「これだけ、だな」
新一が指した先には、暗闇の中で光り輝く巨大な円卓があった。馬車や馬に、よく分からないキャラクターもいる。
「メリーゴーランド、か…」
(なぜこんなことに…!)
最後は観覧車に乗るのが王道なのに、よりによってメリーゴーランドとは。
道なりに進んだせいで、昼過ぎには観覧車に乗ってしまっていたのだ。そこだけ避けて進むのも妙だし、世のカップルはどうやって王道に持ち込むのだろうか。
「…にしても、空いてるね」
「ん?ああ、そうだな」
の声で、妙な方向へ飛躍していた意識を呼び戻す。
もともと今日は平日で、試験休みを利用して来たのだ。さらにここは奥まったところにあり、閉園間近の今はほとんど人がいない状態だった。
「まぁいいじゃねーか、並ぶ手間が省けて。おっちゃん、2人ね」
「あいよ」
「ほら、
「あ、うん」
新一に促され、入場券を見せて中に入る。驚いたことに、客は自分たちだけだった。
「ふふ、貸し切りだ」
「じゃーオレはあの一番でかい馬に…」
「あ、ずるい!それは私が…」

ガタンッ。

「きゃっ!?」
いきなり回り始めた円卓に、がバランスを崩した。馬に乗りかけていた新一が、慌てて飛び降りてを支える。
「大丈夫か?」
「うん、平気平気!…っしゃあ!」
「げっ」
支えた新一の腕をバネにし、見事なバランス感覚で、は隙をついて新一の乗ろうとしていた馬に飛び乗った。
「しゃーねーな…じゃあオレは…」
の少し先にある、一回り小さな馬にまたがる。それを待っていたかのように、回転速度が、緩やかながら加速した。
「新一ー!」
後ろから呼びかけられ、振り返る。笑顔で手を振られ、へらっと笑って返した。
―――ってダメだろオレ!何やってんだ…!」
反射的に手を振り掛け、頭を抱える。これでは、ただ遊びに来ただけだ。このまま終わらせるわけにはいかない…!
「あ、また見えなくなっちゃった…」
緩やかなカーブを描く円卓は、何度となく前にいる新一の姿を隠す。馬の頭に両腕を乗せ、その上にあごを置いては独りごちた。
「まーったくー…この馬は遅いよね、いつまでたっても新一に追いつかないんだから…」
「…メリーゴーランドの馬が動くわけねーだろ」
「!?」
突然耳元で聞こえた声に、は飛び上がりそうになった。慌てて振り返ると、先ほどまで前方の馬に乗っていたはずの新一が自分の後ろに乗っていた。…見えなくなった隙に、移動したらしい。
「なっ、なっ!?」
いくら一番大きな馬とはいえ、所詮一人乗り用のものだ。すぐそばに見える新一の顔に神経が集中してしまい、は言葉が出ずに口をパクパクさせた。
「バカみてーじゃねーか、一緒に来てるのにバラバラの馬に乗って」
「きゃっ…」
ゆっくりと、後ろからを抱き締める。ただでさえゼロに近かった距離が、完全になくなってしまった。
「し、し、新一…?」
「いいから、大人しくしとけよ。…落ちたくねーだろ?」
明らかにテンポの早い新一の鼓動が、聞こえる。
…ドキドキしているのは、私だけじゃないんだ。そう考えると、なんだか妙に安心して、嬉しくなってしまった。
「…うん。ふふ…新一、白馬の王子様みたい」
が、くすぐったそうに笑いながら言う。
「バーロ、オレは王子なんかじゃねーよ。探偵だ」
後ろが見えなくても、照れていることくらい声でわかる。そっと寄りかかりながら、小さく呟いた。
「…知ってるよ、名探偵さん。」
でも、今日は。
今この瞬間だけは、私だけの王子様でいてね…。
、今度は本物な」
「え?」
なんのことかわからず、が振り向くと、その瞬間、唇にやわらかい感触が走った。
「………え、」
目の前で真っ赤になっている新一を見て、きっと自分はもっと赤くなってるんだろうな…などとどうでもいいことを考えてから、ようやく何が起こったのかが脳の中枢まで伝達された。
“今度は本物”
昼間、ペットボトルを奪われたときの記憶が蘇る。
「……新一、大好きっ!!」
がばっと抱きついたに、新一は思いっきりバランスを崩した。
「うわっ、ちょ、あぶねぇ!落ちる!!」
「えっ…」
世界が、逆さに映る。
「「うわあぁぁぁぁぁあぁ!?」」





「…あと何周、回したもんかな」
再び2人を乗せて回りだしたメリーゴーランドと時計と見比べつつ、入場所の係員が苦笑しながら呟いた。



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翡翠蓮華さん、リクエストありがとうございました! (from 休止企画)
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