Trap&Trap





(つまんない…)
真剣な眼差しで本を読んでいる、新一の横顔は好きだ。
聡明さを窺わせる、すっと通った鼻筋も、寝癖みたいにちょこんと飛び出た後ろ髪も。…とはいえ、何時間も見ていると、さすがにため息の一つも出てしまう。
新刊の発売日が今日だと知っていたら、わざわざ来たりしなかったのに。
(どうしようかな…)
…どうもこうも、絶対に自分のことなど眼中に入っていない。名前を呼んでも、目の前で手を振っても、肩をつついてみても、反応は返ってこない。
(よし、こうなったら)
「新一くーん…?」
最後の確認のために、もう一度声をかけてみる。
反応、なし。
予想通りの結果だったが、は落胆することなく笑みを浮かべた。すすす、と後ろに回ると、そっと新一の耳元まで口を持っていく。
「わっ!!!」
そして、あらん限りの声量で思いっきり叫んだ。

反応なし。

(うわぁマジですか…)
飛び上がることを期待していたわけではないが、全くの無反応というのにもある意味驚いた。さすがに、ここまでやってだめならばもう他に打つ手は無いだろう。
まだ小説は、あと半分ほどページが残っている。それを読みきる頃にもう一度来てみよう、と思い、は鞄を手に立ち上がった。そのまま、玄関を開けて、外に出て門扉を閉める。
「推理オタクー」
ぼそり、と捨て台詞を残してから、は夕闇の商店街へと出向いていった。





「うーん、さすがにこれくらい時間がたてば大丈夫、かな…?」
ぶらぶらと、片手に持った買い物袋を揺らす。中に入っているのは、レモンパイだ。ケーキ屋の前を通った時、焼き立ての香ばしい香りに勝てなかったのである。
「新一が好きだといっていたよーな、そうでもないよーな」
まぁ正直、新一が好きだろうと好きじゃなかろうとどうでも良かった。自分が食べたいから買ったのである。…あんなことがあったあとで、恋人の好きなものを買っていってあげるほど度量の広い人間ではない。
「えーと…」
ポケットから携帯を取り出し、時刻を見る。6:32、と表示されていた。…もう寄らずに帰宅しようかと思いつつ、レモンパイはあたたかいまま頂きたい。無視されても黙ってお茶入れちゃえばいっかー…などと考えているうちに、再び工藤邸まで戻っていた。
(ちゃんと応対してくれたら、一切れくらいわけてあげてもいいか)
そんなことを考えつつ、門扉を開ける。…が、そこで異変に気が付いた。
「え…部屋の電気、点いてない…?」
この調子では、暗くなっても電気もつけずに本を読んでしまうのではないか。
そう案じて、自分が出てくる前に電気をつけてきたはずなのに。
「し…しん、いち…?」
おそるおそる、玄関の扉を開ける。キィ、と軋む音が、何だかいつもより鮮明に聞こえた。…ような気がするのは、気のせいだと思いたい。
…入ったはいいが、やはり中は真っ暗である。すぐ側にあるはずの階段すら見えない。そちらへ伝い歩きをしようとしたところで、の足がぴたりと止まった。

トン、トン、トン…

「!」
人が降りてくるような、なにかが跳ねているような。そんな音が、階段の方から降りてきた。無論、姿かたちを見ることは出来ない。
「新一?新一だよね…?」
反応は、ない。
真っ暗で、変な音がして、おまけに呼びかけに答えてくれる存在もいない。は、本気で怯えていた。
(…帰ろう!)
新一の身の安全、など考えている余裕はない。きっと無事だ。自分が無事じゃなかったら、新一だって悲しむに違いない。
そんな自分万歳な理屈をひねくりあげ、玄関へと身を翻そうとしたときだった。…肩に、誰かの手が触れたのだ。
「っ…」
小さな悲鳴が、こぼれそうになった瞬間。

っ!!!」

唐突に叫ばれた名前に、緊張の糸がぶつんと切れた。
「〜〜〜〜〜〜っ!!!」
絶叫しかけて、声が出ないことに気付く。先ほど肩を叩いた人物に、口をふさがれているのだと気付いた。
「むっ、うっ、むぅぅっ!!」
恐怖を声に出して逃がすことが出来ず、はぽろぽろと涙をこぼした。流れた涙がふさいでいる手を伝い、相手もが泣いていると気付いたらしい。
「ちょっ、おいっ、泣くなって!!」
「かっ…神様仏様閻魔様っ…!ごめんなさいごめんなさい私は悪くないけどごめんなさい…!!」
くずれおちて妙なことを口走り始めたに、その相手──無論、新一だ───がぷっと吹きだした。
「…閻魔様に祈っても駄目じゃないか?」
「は……」
ぱちん、と軽い音がした後、廊下や部屋の明かりが点いていく。逆光の中、自分を見下ろしている人物を認めて、は唖然とした。
「し…新一っ…」
「悪かったよ、こんなに驚くとは思わなかった。耳元で叫ばれたらたまらねーから口ふさいでたんだけど、余計ビビらせちまったみてーだな」
よっ、と言いながらの手を引き、立ち上がらせる。階段の下には、ゴムボール。…これを階段の上に向けて蹴って、だんだん階段から落ちてくるようにしたのだろう。
「ひどい!!なんでこんなことしたの!?すごい怖かったんだから!新一のことだって…心配したのに!」
(してないけど)
逃げようとしていたとは、言えない。
「オメー、逃げようとしてただろ」
「え゜」
半眼で言われたセリフに、とっさに言葉が詰まる。やっぱりな、と続いたセリフに、はあははと乾いた笑いを返した。
「新一なら大丈夫だと思ってー。…てそんなことよりもっ、なんでこんな手の込んだことしたの!?怖かったのは本当なんだからね!!」
両手を腰に当てて言ったのセリフにも、新一は全く動じなかった。床に置きっぱなしになっていた買い物袋を、ひょいとつかみ上げて言う。
「オメーにやられたから、仕返し」
「え…?き、気付いてたの…?」
耳元で絶叫しても、反応しなかったのに。
「本当はめちゃめちゃビビってたんだぜ?でも、表に出すと悔しいからな」
袋の中身をのぞきこんで、ぱぁっと笑顔になる。…やっぱり、好きだったらしい。
「オメーが手を振ってたのも、名前呼んでたのも、全部わかってたよ。集中して周りが見えないわけじゃない、反応を返してないだけだ」
「…十分失礼だと思うんだけどね」
新一の手からレモンパイを奪い返し、溜め息をつきながら言う。そこではた、と思い当たって、は疑問を口にした。
「私が帰ってくるって保障は無かったでしょ?よくこんな準備して待ってたね」
帰ってこなければ、電気を消したりなんだりといった準備も、全て無駄になってしまう。よくそんな賭けに出たもんだと思って言うと、新一が再びレモンパイを奪ってからなんでもないように言った。
「あの時間に出て行けば、商店街を一周して戻ってくるのは大体6:30頃だ。角のケーキ屋は、毎週水曜の6:30にレモンパイが焼きあがる。オメーがその誘惑に勝てるとは思えない。そこで買うが、家に帰るまでには冷めちまう。…だから、ここに寄っていこうと考えるはずだ。違うか?」
「………探偵なんて、嫌い」
精一杯の憎まれ口を叩いたに、新一が笑いながら返す。
「そんなこと言ってると、このレモンパイやんねーぞ?」
「! それ、私が買ってきたの!何言ってんの!?こっちこそあげないからね!」
慌てて後を追い、新一の手から奪い返そうとする。
「残念、届かねーな」
「んのっ…!!」


…明かりのついた工藤邸からは、やがて紅茶の良い香りが漂ってきた。 



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扇子さん、リクエストありがとうございました! (from 休止企画)
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