呪わしいのはこの自分。天の邪鬼なんてかわいいもんじゃないこと、私が一番わかってる。 「大嫌い!!」 …知っているのに。 その言葉が、どれだけヒトを傷つけるのか。 「…好きなんだ。のことが」 快斗が照れくさそうな顔でそう言ってくれたとき、泣きたくなるほど嬉しかった。だって、私も快斗のことが大好きだったから。 あのときの衝動は、今でもはっきりと思い出すことができる。 素直じゃない私の言葉を、いつも笑って聞き流してくれて。最近は、少しずつ素直になれてきたような、そんな気さえしていた。 …花は、咲くまでに多大な時間を要する。季節を選んで芽を出して、受粉して、つぼみを育てて。 それなのに、ああ。散るのは、なんと早いのだろう。 きっかけは、ほんの些細なことだった。思い出すことすらできない…思い出したくないのかも、しれないが。 「…、今のは言い過ぎた。ごめんな」 散りゆく花を引き留めようと、かけてくれた言葉。本当は、私から謝らなきゃいけなかったのに、快斗は、私が言いやすいようにしてくれたのだ。 「……っ、あ、」 あのね、私もね。 「……、」 ごめん、って言おうとしてたの。 出ない出ない出ない、言葉が出ない。一言でいい、三文字でいい。ただ「ごめん」と。 お願い、今だけは。今だけは素直に動いて、私の口! 「…快斗、なんか。」 襲ってくる感情は、深く暗い絶望。わかっている、自分がこれからどんな仕打ちをするのか。 待ってくれている優しい彼に、何を言うのか。 「…快斗なんか、大嫌い!!」 それっきり、顔を見ることもできず。は、逃げるようにして表へ飛び出した。 「……傘、」 そんなもの、持ってくる余裕がなかったことくらいわかっていた。梅雨のこの時期、雨が降っているのを失念して飛び出した自分が悪いのである。 「………う、」 (泣くな…!) 悪いのは自分だ。あんな言葉を浴びせられて、傷ついたのは誰だ。快斗のほうが、よっぽど…! ぽろぽろとこぼれる涙を拭うこともせず、はただ歩き続けた。今日は雨で、運動部は皆体育館で練習している。裏庭まで行けば、誰かに見つかる心配はない。 しと、しと、しと。 梅雨特有の、しっとりとした雨。気温が高ければ肌触りが気持ち悪いですむが、今日のように低い気温の中では着実に体温を奪っていく。 衣替えをしたばかりの薄い生地は、あっという間に濡れきってしまった。 (どこかで雨宿りしたいけど…) 中へ戻るには、先ほど飛び出した昇降口へ戻らなければならない。快斗と鉢合わせるのだけは避けたかった。…ゆっくりと歩き続け、ようやく裏庭へたどり着く。 「! わっ…」 …そこは、アジサイの楽園だった。校舎の壁に沿って、ひっそりと、だが優美に咲いているアジサイの花たち。校舎裏など普段は来ないため、気付くこともなかったのだ。アジサイの街道、とも呼べるようなそこをしばし歩き回ってから、既に濡れきった体で屋根を求めるのは諦め、アジサイの合間にそっとかがみこんだ。 「…なんだかな。」 壁に背を預け、頭上を見上げる。見上げた視線の先では、アジサイの隙間から暗い雨空が見えるだけだった。相変わらず降り注ぐ雨に顔がさらされ、頬をゆっくりと雫が伝っていく。…そこに涙が混じっているかどうかは、自分でも定かではなかった。 膝の間に顔を埋め、葉に雨粒が落ちる音に耳を傾ける。 しと しと しと。 今はただ、何も考えたくなかった。考えることが出来なかった。 しと しと しと。 素直になれない自分、思っていることをいえない自分。 …大好きな、快斗。 やわらかい笑顔や、かけてくれた言葉の数々を思い出しているうちに、はふいに気付いた。…先ほどから、雨粒の音が聞こえない。 ゆるゆると、見上げた先に見えたのは、アジサイの花と、葉っぱと、 「…見つけた。」 暗い雨空ではなく、思い描いていたあの笑顔。 「……か、」 快斗。 今度は、喉がかすれて声が出ない。せっかく、せっかく名前を呼べると思ったのに。 口をぱくぱくさせているの横に、快斗は「よっこいしよ」と声を上げながら座り込んだ。傘をアジサイの輪の外に置いてきてしまったので、快斗の体もじわじわと濡れ始めている。それを気遣ったが、声をかけようとしたときだった。 「…なぁ、アジサイの色がなんで違うか、知ってるか?」 唐突な快斗の台詞に、は一瞬面食らったが、すぐに黙って首を振った。それを見て、快斗がにっと笑って言葉を続けた。 「花言葉は『移り気』。その花言葉の通りに、ピンクや紫や青など、場所や株ごとに変わるんだ」 そう言ってから、横にあったアジサイの花をそっと掴み、に見える位置まで持ってくる。 「…この、花びらみたいなのあるだろ?」 「うん」 「けどな、これ花びらじゃないんだ。ガクなんだよ」 「え…」 驚いて目を丸くしているを見てから、快斗は掴んでいた手を離して花を元の位置へ戻した。 「色素は、細胞の中の液胞…このへんは最近生物でやったからわかるだろ?そう、液胞に溶けてんだけど、土壌や株ごとどころか、一つ一つの細胞ごとに色が違うんだよ。アジサイの色のもとになっているのは、アントシアニンという色素なんだ。アントシアニン、って知ってるか?」 知らない、という意思表示を示すため、または黙って首を振った。ちょいちょい、と快斗が手招きをし、がそちらへ顔を近づけた瞬間。 ぽんっ! 「!」 唐突な白煙とともに、目の前に木の枝のようなものが差し出された。その先についているのは、見慣れない紫色の小さな実。それを手にしてから、はまじまじと見つめた。どこかで見たことがるような… 「あ、これ、ブルーベリーの実?」 ジャムのパッケージで見たことがある。本物は見たことがないが、確信に近いものがあった。 「大正解!」 言って、快斗がぽぽぽぽぽんっと花吹雪を散らした。それが妙に嬉しくて、自然笑みになってしまう。 「…アントシアニンは、ブルーベリーにも含まれるポリフェノールの一種なんだ」 そんなを、快斗は優しい笑顔で見つめながら話を続けた。 「そして、赤から紫、青など多彩な色になる。…アントシアニンにアルミニウムが結合すると、青色になるんだ。アルミニウムは土壌に比較的多く含まれるんだけど、中性やアルカリ性では水に溶けないんだよ。だから、酸性の場合のみ植物に吸収されるんだ」 「あ、じゃあもしかして!」 授業中のように、ぱっ、と手を上げたに、快斗も「はい、ではくん」とかしこまった声で言う。 「酸性の土壌で育てないと、アジサイは青くならない?」 「うむ。大正解だ」 言って、ウィンクする。それにつられて、もぱっと笑顔になった。 「さらに補足。アントシアニンとアルミニウムの結合を安定させたり、色を強調する「助色素」や、細胞内の水素イオン濃度…pHのことな。それも花の色に大きく影響するらしいぜ。でもまぁ、こういった微妙なバランスで色は決まってくるけど、咲いている間に色が移ろう理由や仕組みは解明されてないんだよ」 話し終わった快斗が、言って軽く腕を上げる。その先には、いつの間にか傘が握られていた。 「帰ろうぜ、」 すっと立ち上がり、快斗が手を差し伸べる。さりげなく出たあたたかな言葉と、伸ばされた手。とっさに頷きかけ、は伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。 「…?」 だめ、だめだ。このまま快斗に甘えちゃダメだ。…また、傷付けてしまう。 (でも、) 最後に一言、謝りたい。 「…快斗、あの、ね」 すい、と立ち上がり、は小さく呟いた。今なら言えるはず。ささくれだった私の心を、快斗が癒してくれたから。 「ごめんなさい」 本当は嫌いなんかじゃない。大好きだけど、だからこそ。…あなたのことを、これ以上傷付けたくないから。さよなら、しよう。 「…あと、もう、これ、で、」 「バァーロォー。」 快斗の声とともに、ぼふ、っと頭の上に傘が降ってくる。視界が遮られたことにが戸惑っていると、その上にさらに快斗の体重がかかってきた。 「うわっ」 「…オメーは、優しすぎんだよ。」 傘一枚をへだてた向こうから聞こえる、快斗の声。違う。私は優しくなんかない。素直な言葉が出ない、ただの天邪鬼… 「…傷ついた目を、してただろ?」 「え、」 「オメー、ほんっとに素直じゃないけど。…けど、優しいじゃねーか。今だって、どうせオレを傷付けたくないからとかそんな理由だろ。さっきだって、自分で言った後、まるで言われたのが自分みたいな目ぇしてた。それに…」 ふっ、と重みがなくなり、目の前に快斗の顔が現れた。ぽん、と頭の上に手を置かれ、優しく囁かれる。 「素直じゃないってことは、裏を返せば言っていることと逆が本音ってことだろ。…いいよ。オレは、そんなが好きだ」 にっ、と笑顔で言った快斗の顔が、じわじわと歪んでいく。歪んでいるのは快斗ではなく、自分の視界なのだということに気付くのに時間がかかった。 冷え切った体を強く強く抱きしめられ、心もあたたかくなっていく。…今なら、言えるかもしれない。自分の気持ちを、そのままの想いを。 「…いい、の?」 「うん。」 「好きでいて、いいの?」 「うん。」 大好き、大好きだよ快斗。ずっとずっと、一緒にいてほしい。 「…あのね、快斗」 「うん。」 「だ、い…好き、だよ。」 …アジサイには悪ぃけど。 「移り気」とは、オレらは無縁みてーだぜ。 ---------------------------------------------------------------- 綾さん、リクエストありがとうございました! (from 休止企画) BACK |