例えば喧嘩の理由が、自分のつまらない嫉妬心からで、それがたった三文字の言葉だったとしても。 それは些細な、本当に些細な出来事だった。 「白馬くん、今なにしてるんだろうねぇ」 青子が、ふいに“あいつ”の話題を持ち出してきたのだ。 「白馬くん…かぁ…きっとロンドンでばりばり探偵やってるよ」 ここまでは、なんてことなかったのだ。ただ、少しむっとしただけで。 「そうだよねぇ、何度もキッドを捕まえられそうだったし」 青子が言ったから、許せる。 「それにさ」 …だが、どうしても。 「白馬くんほんとにかっこいいじゃん、女の子にも優しいし。王子様って感じがして、ロンドンとかすごい似合うと思わない?」 ガタンッ。 「…快斗?」 突然立ち上がった快斗に、が不思議そうな視線を向ける。だが、それを見つめ返すことはできなかった。 「…五限サボる」 「えっ、ちょっ快斗!?」 “王子様みたい” …情けないかな、それだけは。どうしても、許せなかったのだ。 そう、例えば喧嘩の理由が、自分のつまらない嫉妬心からで、それがたった三文字の言葉だったとしても。…この天の邪鬼な心は、決して自ら謝ろうとはしてくれない。 (オレ…カッコ悪ぃなぁ…) 何も考えずに歩いていると、自然と足が屋上に向かってしまう。始業のチャイムを聞きながら、重たい屋上の扉を開けた。…心がどんなに雨模様でも、空は目が痛くなるほどの青空だった。 適当にあたりをつけ、入り口からは死角になる位置に陣取ってごろりと横になった。 (…前は、こんなことなかったのに) ただ一緒にいるだけで幸せで、それだけで満たされていたのに。…それだけでは足りなくて、なんだかどんどん自分が貪欲になっているみたいで。 (こんなんじゃ…だってその内) 嫌になって、離れて、…その後は? 「くぉら快斗ーっ!!」 「!?」 ばぁんっ! 重いはずの扉が、すさまじい勢いで開く。開けた扉が勢い余って壁にぶつかった音が聞こえたから、相当だ。 「…どっかにいるんでしょ?別に探さないし、姿見せなくてもいいから聞くだけ聞いて」 こそこそと身を隠そうとした快斗の行動を見透かしたかのような台詞に、ピタリと動きを止める。…言うまでもなく、声の持ち主はだ。 「…私、何か気に入らないことした?それならそう言ってよ。勝手に怒られても、私どうしたらいいかわかんないでしょ!」 (違っ…!) 違う。そうじゃない。悪いのは自分であって、が何か悪いわけではないのに。 (……っ!) 今飛び出して、誤解を解くことができたら。なんで動かないんだよ、オレの足! …ばたん。 扉が閉まる音がして、快斗は肩を落とした。…きっとも、どこかで期待していたに違いないのに。自分が、現れるのを。 (……情けねーぞ、オレ。) 膝を抱えてしゃがみこむ。…それでも空は、青かった。 陽が沈み、空が紺碧に染まりゆく時間。星が瞬き、鳥は既に羽を休めて夢の中だ。だが、それを見守るはずの月は出ていなかった。 (…新月かなぁ) 窓の外を見ながら、はなんとなくそんなことを思って首を振った。…自分が夜空を見上げるようになった理由を、思い出したからだ。 開けていた窓を閉め、部屋の中央へと向き直った時だった。 「…こんばんは、お嬢さん。」 「!」 いつの間に。 今まさに考えていた、“夜空を見上げる理由”。その理由そのもの、白装束の彼が目の前にいて、は息をのんだ。 「…何の、用?」 昼間の快斗は、確かに怒っていた。自分が屋上へと行ったときも、姿を見せてくれなかったではないか。 …それが、どうして今、穏やかな笑みをたたえてここにいるというのだ。 「…昼間は申し訳ありませんでした」 「え……?」 す、との手を取ると、キッド…快斗は、拍子抜けするほどあっさりと謝罪の言葉を口にした。 「自分だけが、あなたの王子で在りたいと。…おこがましい考えを抱きました。結果的にあなたを傷つけ、不安にし、悲しませてしまったこと…本当に、すみませんでした」 そう言うと、の手をそっと下ろしてシルクハットを脱ぎ、深々と一礼した。 「…最初から、そう言ってくれれば良かったのに」 ため息をついてが言うと、優雅な仕草でシルクハットをかぶりなおしたキッドがコホンと空咳をして言った。 「…自分を飾り立てることで、かえって本音を話しやすくなるということもありまして」 そしてイタズラっぽくウィンクなんぞをしてみせる。 「…呆れた」 自分では素直になれないから、キッドに託したと。…全く、快斗らしいというかなんというかだが、とにかく原因はわかったのだから、もうにとってはどうでもよかった。 「…お嬢さんにひとつ、豆知識を」 「なに?」 きょとんとしてが聞くと、キッドはベランダに出て柵にもたれながら言った。 「“マジック”とは、ギリシャ語で“マゴス”と言うんです。そしてギリシャ語で、マゴスとは…」 とっ、と柵の上に立ったキッドに、が慌てて駆け寄った。 「…マゴスって、なに?」 そう問いながらマントを掴もうとした手をやんわりと押さえ、キッドはにっと笑って答えた。 「…魔法使い。マジックは、魔法から派生したものなんだ」 「魔ほ…」 の口にそっと指先をあてがうと、にししと笑って続ける。 「王子になんてなれなくてもいい。…オレは、だけの魔法使いになる」 ばっ。 言うだけ言うと、快斗はそのままバック転のように身をひねって夜空へと飛び出していった。 「なっ………!」 反論、する間もなく。 「……ばかいと。」 最後には“素”になっていたキッドに、ほんの少し悪態をついてからは部屋に入って窓を閉めた。 「おはよ、快斗!」 「おぅ」 げた箱で会った快斗に、は自然に声をかけることができた。快斗の返事もいつも通り。…もう、大丈夫だ。 「あれ?メール…」 「随分朝早い内からメール来んだなぁ」 心の隅に住む、独占欲という名の悪魔。今は真っ白な衣装で包み込んだ“黒”を、蓋をして押さえ込んでおけるのはいつまでだろう? 一体誰だろうとの横を通り過ぎざまにチラリと目を走らせた。 「………!?」 そこに、表示されていたのは。 「かっ…快斗!!見てこれメールっ!」 に突きつけられなくても、充分見えている。そして、理解…は、できて、いるか? 「……おぅ。」 『帰国することになったよ』 黒を隠しつつ白を纏う魔法使いと、穢れのない白を纏う王子様。…では、物語の、主人公は? 『From... 白馬探』 ---------------------------------------------------------------- BACK |