普段、上げたりしない髪を何とか纏め上げて。 この日のために買った、和紙で作られた団扇を持って。 もう一度、帯をしっかり確認して。 鏡の前で、最終確認を済ませたら。 「いってきます!」 …今日は、夏祭りの日。 「かーいとー!」 「おせーぞ、!」 カラコロと、履きなれない下駄で必死に走る。まさか自転車をこぐわけにもいかず、駅までの道のりは予想外に遠かった。 「…っは、ごめん!慣れてないから足痛いし、大またで歩けないし。こんなに時間かかると思ってなくて」 ようやく改札前までたどりつく。遠くから見た時も思ったが、近くで見るとより一層… 「…快斗、浴衣、似合ってるよ」 男の人の浴衣って、なんでこんなに色っぽいんだろう。素直にそう思って言ったのだが、商店街のロゴが入った団扇でぱたぱたとを扇いでいた快斗が、「なっ」と絶句した。 「バッ…バーロー、それはこっちのセリフだっつーの!」 「へ?」 ぺしん、と団扇で顔をはたかれ、快斗の表情が見えなくなる。 「馬子にも衣装ってやつか?いいんじゃねーの、ソレ」 「! あ…ありがとうっ!」 素直じゃない、快斗の愛情表現。馬子だってなんだっていい、要は「似合ってる」と言ってくれたのだから。 「っと、もうこんな時間か!早く行かねーと」 「うん!」 改札をくぐりぬけ、ホームに滑り込んできた電車に飛び乗る。 …周りも浴衣の人だらけだ。早くも漂う祭りの雰囲気に、は胸を躍らせた。 「広島風お好み焼きが3軒も…!」 「おい、ジャンケンに買ったからチョコバナナ2本くれるってよ!」 「快斗快斗っ、ヨーヨーすくいがある!」 「あ、こっちの焼きそば屋のほうが50円安い」 「このあんず飴でかいっ!」 「あ、エアガンがある。このくじ引きやりてぇ」 「快斗ー、射的がある!」 …会場に着くや否や、快斗とは出店を飛び回った。どこの広島風お好み焼きが一番美味しそうなのか、くじ引きの景品は何処がいいのか。一通り見て回った後、もう一度戻って選び抜かれた出店で取引を行うのだ。 「おっちゃん、カキ氷のシロップ少ないんだけどー」 「これ以上のサービスはできねぇなぁ」 快斗がぶぅぶぅ文句をいっているのを、がひょいと後ろから覗き見る。 「おっちゃん、私にもカキ氷ひとつ!ブルーハワイね。シロップはたっぷりでー」 「へいらっしゃい!お譲ちゃんは可愛いからオマケな」 「ひっでーっ!!」 嬉々としてカキ氷を作り始めた店主に、快斗が不満の声を上げる。その快斗を押さえ込んで、がにっこり笑いながら言った。 「おっちゃーん、一応コレ連れなの。海のように広い度量で、ここはひとつオマケしてくれない?」 「コレ、っておい…」 「しょーがねぇなぁ。今回だけだぞ、ほれ」 快斗の手にあったレモンのカキ氷を取り上げ、再び満遍なくシロップをかけてやる。するとたちまち、快斗の顔が笑みでいっぱいになった。 「サンキューっ!」 「お嬢ちゃんの頼みとあっちゃあ、断れねぇよ」 「ありがとー!!」 快斗とはご機嫌でその場を後にし、花火会場である河原へと向かった。 「おい、あっかんべーってしてみろ」 「べー?」 素直に従ったを見て、快斗が吹き出す。 「あっはっは!真っ青だ!妖怪ブルーハワイ!」 「なっ…」 言って逃げる快斗を追おうとして、慣れない下駄で転びそうになる。 「ぅわっ」 「…っと!大丈夫か?」 快斗がの手をとり、なんとか転倒を免れる。気付けば、周りは人で溢れかえっていた。 「うん…けど、いつの間にか凄い人だね…」 この付近では一番のお祭りだ。多くの人が集まるのは当然といえるだろう。 (…このままだと、快斗とはぐれちゃうかも) きゅ、と快斗の浴衣の袖を掴む。それを見て、快斗が不思議そうな声を上げた。 「…?」 「あ、いや、はぐれちゃうそうだなーと思って!掴まってていい?」 小首をかしげて言ったに、快斗が大きく首を振る。 「だぁーめ。」 「えぇー!だってはぐれちゃうかも、」 抗議をしようとしたの前に、快斗が右手を差し出す。 「ん。」 「…うん!」 そっと左手を重ねれば、ぎゅっと強く握り返される。カランコロンと、2人分の下駄の音が重なって聞こえるのが心地良い。 (月が…綺麗だなぁ) 偶然にも、今夜は満月。大きく丸い月が空に輝いていて、は何とはなしに不安になった。今日は予告状は出していないし、快斗はココにいるのに。…月の光に誘われて、どこかへ行ってしまいそうで。 「あ、」 月の反対側を見ていた快斗が、声を上げたのと同時だった。 どーん!! 「わっ…」 声につられて、も空を見上げる。一気に昼間になったみたいに、夜空が煌々と照らされた。花火の打ち上げが、始まったのだ。 「!ここ、ここ座れる」 ぐいっと手を引かれて、その場に座り込む。木々の間からちょうど花火が見える、最高のポジションだった。 ヒュルルルルル…… ドーンッ!! 「…きれい、だなあ」 「きれい、だねぇ…」 そうとしか言いようがない、夜空に咲く大輪の花。歓声を上げながら、空を見上げる人々。どこかから漂ってくる、香ばしいソースの香り。 「なんか、いいなぁ」 「ん?」 全てを包み込む祭りの空気が、全身に感じられて本当に楽しい。相変わらず上がり続ける花火を背に、快斗がこちらを向いて微笑んだ。 「私、お祭り好き」 「うん」 オレも、好き。 そう続けた快斗の肩に、そっと頭を預ける。 「快斗と来られて、本当に良かった」 「オレも、と来たかったんだ」 視界の隅に映るのは、大きな大きな丸い月。花火と対称的な位置にある、月。 「ねぇ快斗」 「うん」 ヒュルルルルル…… ドーンッ!! 次の花火の準備段階に入っているのだろう。大きな花火が散った後、僅かな時間だろうが、静寂が訪れた。 「月、きれいだよ」 「うん」 静かに返された肯定の言葉に、無性に不安がこみ上げる。ぎゅ、と快斗の裾を強く掴み、もう一度繰り返す。 「…月が、きれいだね」 「そうだな」 次の瞬間、ふいに視界が暗くなった。隅に映っていた月も、消えて。 「快斗…?」 あたたかなそれが、快斗の手だとわかって、は疑問符を浮かべた。覆われた視界は、まだ戻らない。 「…今夜は休業。」 そっとの耳元で囁き、言うが早いか、ぱっ、と手を離す。 「わっ……」 ヒュルルルルル…… ドーンッ!! 視界いっぱいに映る、大きな大きな真夏の夜の花。 突然現れたそれに、視界の隅の月は完全に遮断されてしまっていた。 「……うん!」 快斗の腕に自分の腕を絡ませ、今度はぽすっと音を立てて頭を預けた。 「ありがとう、快斗!」 「バーロー、オレが」 ヒュルルルルル…… ドーンッ!! 「え?今、何て言ったの?」 花火で消された言葉に、が聞きなおす。 「なんでもねーよ!何度も言えるかバーロー!」 「ちょっ、余計気になるでしょーっ!」 “オレが、この日をどれだけ楽しみにしてたと思ってんだ?” …夏祭りの夜は、まだまだ終わらない。 ---------------------------------------------------------------- BACK |