軋む
ソファーに背をあずけて
「渉!起きてよ渉ってば!」
…今日は本当に久しぶりの休みだったから、が朝からうちへやってくることになっていた。
高木もそれは楽しみにしていた。何しろ、最後にと会ったのは一カ月も前なのだ。
…だが、まさか朝の六時に来るとは思っていなかった。
「…起きて、ってば!」
「寒い!!」
ばさぁっと布団を取り上げられ、高木は悲鳴を上げた。いくらなんでも酷だ。
「、もう少し寝かせてくれよ!俺は昨日も帰りが遅くて……」
「とにかく起きてってば!」
これ以上抵抗しても、自分に勝ち目のないことは明白だ。
仕方なくに促されるまま起き上がると、高木はその辺に放り出したままだったジャンパーを着込んだ。
そうしての後ろから身を乗り出し、窓の外を覗きこむ。
「……う、わ」
…そして、しばし言葉を失って立ち尽くした。
「ね、すごいでしょう?」
そう言って嬉しそうに言ったが吐く息は、真っ白で。
「すごい…こんなに降ったの、見るの初めてだ」
…そう。そこは、一面銀世界だった。
ギシッ、
…高木の家にあるソファーは、中古で安く買ったもので、座るたびに軋む。
それをは、「なんだか重いって言われているみたいでやだなあ」と笑っていた。
そのソファーに腰掛け、二人でホットココアを飲むこの時間が。
…どうしようもなく幸せで、好きだった。
「なんか楽しいことでもあったの?」
そんな高木を見て、が不思議そうに声をかける。
「ん?いや、別に。…それにしても、驚いたな」
そうして体を反転し、窓の外を見やる。
いつの間に作ったのか、窓際には小さな雪だるまが置いてあった。
時刻は、9時を少し回ったところ。
すっかり日の昇った中での雪は、キラキラとしていてより一層の美しさを放っていた。
結局あの後は高木に根負けし、8時まで寝直しての今の時間である。
「うん。こんなに降ること、滅多にないもんね…」
そうしても、窓の外を見やる。
「この分だと、電車、止まってるかもな」
そう呟いた高木に、が不満そうに言った。
「夢がないなぁ。雪合戦したり、雪だるま作ったりしようよ」
「そこまで若くないよ」
苦笑して返す。それでもは不満そうで、その不満を飲み込むようにココアを流し込んでいた。
(…考え、ないのかな)
電車が止まっているということは、自分が帰れないかもしれないということを。
高木がそんな考えを持っていることも、それを嬉しいと思っていることも。
それら全ては、の考えは及ばないことらしかった。
今の彼女の頭の中は、どうすれば自分をこの雪の中へ連れ出せるかでいっぱいだ。
(仕方ないなあ…)
寒いのも、雪に触れるのも、得意ではないのだけれど。
「…。外、行ってみようか?」
そう問いかければ、現金なもので、はぱっと笑顔になって言った。
「ほんと!?やった!」
ギシッ、
…飛び上がったの衝撃で、ソファーが軋む。
今ばかりはそれに文句を言うこともなく、はコートを手にして今にも飛び出さんばかりだ。
「そんなに慌てなくてもいいだろ」
ギ、シ。
(…、あれ?)
そうして、高木も立ち上がる。
自分が立った時と、が立った時。
ソファーの軋み音が微妙に違うことに気が付いたのは、このときが初めてだった。
「油断大敵!!」
「ぶっ」
玄関を出るなり雪玉を顔面に受け、高木はのけぞった。
「…っ、!いきなり何を…」
「仁義なき雪合戦!あはは、その身に受けよ消える魔球ー!」
不意打ちでなければ、早々食らいはしない。
巧みに避ける高木に、が業を煮やしたように言った。
「ちょっと、避けたら当たらないでしょ!」
「…無茶苦茶だな」
そう苦笑しながら、自分も雪玉を作る。
「それっ」
「きゃあっ!」
ぼすっ。
のそれより球速も大きさもあるそれは、見事にクリーンヒットした。
「〜〜っ、仕方ないから、今回はこのへんでやめにしといてあげるわ」
雪を払いながら言うに、高木が吹き出す。
「はいそこっ、笑わない!」
「ははっ、悪かったよ。もう満足したかい?」
そう聞いた高木に、ふるふると首を振って否定の意を表す。
「もうひとつだけ。ちょっとそこで待ってて!」
「そこで…って…」
言うなりは、すたこらとどこかへ立ち去ってしまった。
(…あ)
そのの行方を追おうとして、空から何か降ってきたことに気付く。
…雪、だ。
(今の時間から降ってきて…これ以上積もると、本当に帰れなくなるかもしれないぞ)
決して交通の便が良いとは言えない自分の家から駅までは、歩いて30分近くかかる。
今日のような天候では、もっとかかるのは明白だ。
…自分は勿論、だって明日は仕事がある。今日中に帰りたいだろう。
(あー…大人になれ大人に。)
帰したくない、なんて。
大好きなおもちゃを手放したがらない子供と、同じだ。
「…!雪が降ってきたよ、このままじゃ……」
「準備オッケー!!」
ひょい、と塀の陰から顔を覗かせ、がにっと笑って言った。
「…準備?」
「これ!やってみたかったんだよねー」
塀の向こうを覗き込み、高木は絶句した。…そうして、恐る恐るに聞く。
「…ここに、倒れろ、とか言うんじゃ…」
「そうそう!こんなに積もること滅多にないし、せっかくだから!…ね?」
「うー…」
そう、道路に書かれていたのは、巨大な傘だった。
…無論、ただの傘ではなく、よく壁に落書きされているような相合傘だ。
「すぐ感化されるんだからな…あれだろ?何かのCM」
「なんだ、渉も知ってるじゃん。だったら早く!」
「え、ちょ…」
腕を引かれ、止める間もなく。
ドサッ。
…気付いた時には、雪の上に倒れこんでいた。
「わ……」
視界が、空から降ってくる雪のみに覆われる。
だが、そうしていたのは本当に一瞬だった。
「さ…」
「さっ…」
「「寒いっ!!」」
そうして同時に飛び起きると、顔も見合わせて笑った。
「渉!これ、予想外に寒い!なんかすぐ雪染み込んで来るんだもん」
「あはは、実際にやってみるとこんなもんてことだよ」
よっ、と声を掛けて立ち上がると、に手を貸して立ちあがるのを手伝う。
「ん、ありがと。…でも、人型は残ったね」
地面を見て、がおかしそうに言う。
確かにそこには、大きな相合傘と人型が残った。誰かが見たら、何をしたか一発でモロバレだ。
「…なんか、ここで事件があったみたいだな」
ぼそりと呟いた高木の顔に、は隠し持っていた雪玉を押しつけた。
「うわっ!」
「職業病ー。」
「…やったな!!」
「きゃー!」
すぐにその場で追いかけっこが始まり、相合傘と人型は跡形もなくなくなってしまった。
…他の誰にも、知られない内に。
「うー、霜焼けたかも」
「まさか、手袋してなかったとは思わなかったよ」
石油ストーブに手をかざし、が鼻をすすりながら言う。
それを苦笑しながら見つつ、高木はカップにお湯を注いだ。
「はい」
「ありがとー」
それを受け取り、がお決まりの定位置へと向かう。
高木も自分のカップを持って向かい、二人が同時に腰を下ろした。
ギ、ッシ
(…あ)
先ほどのどれとも違う、軋み音。
二人で座らない限り、きっとこの音はしないのだろうと思うと、そんな些細なことも妙に嬉しかった。
「うー…相変わらず失礼なソファーだなぁ」
恨めしそうに言うをなだめつつ、そのままゆっくりとソファーに背をあずける。
「…ねぇ、」
「うん?」
高木の肩にそっと寄りかかりながら、が返す。
雪遊びで疲れたのか、その声は既にまどろみ気味で、夢と現を彷徨っているようだ。
「今夜も、泊まっていきなよ」
そんなに返事を期待せず、ぽつりと呟いてみる。
…大人になろうと、努力はしたけれど。
雪遊びのせいで、心まで子供に戻ってしまったみたいだ。
(…なんて)
そんなものは言い訳に過ぎない。
ただ単純に、もっと一緒にいたいと。そう思ってしまうのは、自分だけだろうか。
ギシッ、
そんなことを考えていると、ソファーの軋み音が高木の耳に届いた。
(あれ?この音は…)
が、一人で動いた時の。
…そうして、頬に感じたのは、やわらな感触。
「…いい、よ?」
悪戯っぽそうな響きを持った声で、そんな風に囁かれたら。
ギ、シ。
「わっ!」
…抱き締めたく、なってしまうじゃないか。