きっと、世界中の全てを集めても、このすきまは埋まらない。
す
きまを埋める
「……。」
感じたのは、違和感。
何が違うのかと聞かれると、はっきりとはわからない。
それは、例えば机が数ミリ動いているとか、その程度の違いしかないのだと思う。
…それでも、何かが、違っていて。
コツン。
「……なーんだ。」
自分の頭に押し当てられたものを察し、はふぅと息をついた。…なんのことはない。
「帰ってたのね。」
「誰の許しがあって入ってるんだ?」
家主が帰ってきていた。…ただ、それだけだ。
「なんのための合鍵?入る度に拳銃突きつけられてたんじゃ、命がいくつあっても足りないわ」
言うが早いか、くるりと体を反転させて銃口を下げる。
…汗が一筋、背中を伝った。
この拳銃に、絶対に撃たれない自信など持ち合わせてはいない。
「…ちっ」
が下げた拳銃をそのまま懐にしまうと、家主――― ジン
は、そのままソファにどさりと腰を下ろした。
もうもうと舞うホコリなど、気にならないらしい。
「いつ、帰ってきたの?」
一昨日来たときには、今日感じた違和感はなかった。だとしたら、昨日か今日か。
「…それを、お前に話す必要があるのか?」
予想された答えに、は笑みを浮かべて答えた。
「ないわ。ただ、私がジンのことを知りたいだけ。」
「…余計な詮索は無用だと、言わなかったか?」
……正直、怖い。
言葉の一つ一つが、鋭利な刃となってかすめていく。それらがいつ、自分の心臓を貫くかわからない。
そんな恐怖を、目の前の男は持っている。
「無用じゃないわ。ジンのことを知りたい、って言ってるんだから、教えてくれてもいいじゃない」
そう言って、ソファに腰掛ける。…ジンの、真横に。
「よっぽど死にたいらしいな」
「短気ね」
ぎろり、と。
睨む瞳は、絶対零度。
(…あぁ、本当に。)
怖いひと。
それなのに、不思議ね。どうしてこんなに愉しいのかしら?
「…昨日だ。昨日の夕方」
ぼそりと言って、懐を探る。タバコを出したタイミングを逃さず、はライターで火を点けた。
(…そう、)
最終的に、自分の問いに答えてくれる。この、氷よりも冷たく、悪魔よりも残酷なこの男が、自分の意のままに。
…それが愉しくて、自ら進んで命懸けのゲームを仕掛けてしまうのだ。
「…このライター、西洋の珍しいものなの」
「……。」
だから何だ、と無言で返すジンに、はにっと口角をつり上げて笑った。
「高いわよ。家が一軒買えるくらい」
陶器でできたそれは、さながら宮殿のような豪奢さだった。
緻密な彫刻は間違いなく手彫りで、見る人が見れば私財を投げ売ってでも欲しがるに違いない。
「…でも、私には無用だわ」
だから、いらない。
ぱっ、と手を離れたそれは、ほんの数瞬の時を経て床へと辿り着く。…己の破滅と共に。
ガシャンッ!
「あーあ、これで家が一軒パァね。やっぱり、勿体無かったかしら?」
くつくつと笑いながら言ったを一瞥すると、ジンは一際大きな欠片を拾い上げた。
「…何?欲しかったの?」
意外ね。そんなことを言ったの目の前で、ジンはその欠片を利き腕にもちかえ、力いっぱい叩きつけた。
ガジャンッ!!
「…………っ!!」
飛んだ破片の一部が、頬を薙いでゆく。
「…ヤるときは徹底的にやれ。テメェは生温いんだよ」
そう言い捨て、ジンはゆっくりとの頬に手を伸ばすと、の頬を流れる血を親指で拭い取って舐めた。
「わかったか?」
「……ええ、そう、ね。」
傷は浅いが、あまり切れ味のよいもので切られたわけではない。痕が残るかもしれない傷だ。
(光栄ね。)
ジンが残してくれたものだと思えば、その傷痕すら愛おしい。
「ライターなんざ、火が点けば何でもいいんだよ。いらねぇもんは最初から持つんじゃねぇ」
「教訓ね、ありがとう。」
それがあなたのモットーだとしたら、ねぇ、自惚れてもいいかしら?
私は、あなたにとっていらないものではないと。
「ねぇ、ジン……」
「明日も別のヤマが入ってる。テメェはさっさと帰れ」
そう言い捨てると、ジンはシャワー室へ続く扉に手をかけた。
「………わかったわ。」
ここでこの言葉に逆らうことは、自分の死期を早めること。
大人しく従い、は外に続く扉へ手をかけた。
「……」
「え?」
不意に呼ばれ、慌てて振り返る。
ダンッ!!!
「…か、はっ!」
…油断、していた。開けるはずの扉に体を叩きつけられ、呼吸ができなくなる。息が、つまる。
「余計なこと考えてんじゃねぇぞ。テメェは俺にとって何者でもない。覚えておけ」
「……百も、承知、よっ……」
嘘だった。
ジンの言葉に自分を過大評価していた。彼にとっての特別になれるかもしれない、と。
いつもジンの家にいるときには常に神経を張り巡らせているのに、迂闊に振り向いてしまったのがいい証拠だ。
ジンは、それを見抜いたのだ。
(…そうね、わかっていたはずよ。)
表情が見えるほど、手が届くほどの距離にいようとも、自分との間には、深い深い底の見えない亀裂があるということを。
そのすきまを埋めることなど、叶わないのだと。
言葉 財力 権力 知力
この世の全てを集めても、何をもってしても。
きっと、このすきまは埋まらない。