人魚姫は泡になった。
偽りじゃない愛情を貰っても、結局は泡になってしまった。
泡にならずに済む方法があったのに、王子様を傷つける選択肢もあったのに彼女は泡になった。
泡になりたくはない けれど 泡になって消えてしまえば きっと 楽なんだろう。
や
さしいふりでもいい
「お疲れ様。」
「あれー?さん、どうしたんですか?」
「おー、高木君!がんばっとるかね?」
「・・・さん、目暮警部の真似なんかしないでいいですよ。」
「あはは、ごめんごめん。」
この彼をからかうのは割と日課。
ここに足を運んで姿を見れば、任三郎がくるまで話をする。
恋愛相談の話が一番楽しくて、聞き出したいことでもあるなんてことは目の前の彼には言えない。
微妙な三角関係から何かが変わったと気がついた。
バタン、とドアが開いて任三郎がの姿を確認すると小走りで近づいてくる。
来た来た、と彼の姿を見て心が軽くなる。
どうしてここに?と彼は驚いたような表情を浮かべていた。
してやったりとコッソリ笑むことを今日は許して欲しい。
「ちょっと、。」
開口一番がそれかい、と突っ込みたくなる自分の性格を今は少し呪う。
そんな葛藤を知ってか知らずか、彼は腕を引いてその場から立ち去ろうとする。
「うぉ・・任三郎くーん、腕痛いです。」
「いいから。」
ばいばーい、と渉に手を振って県庁の前の道路を歩く。引きずられているという方が正確かもしれない。
まったく、君は何をしているんだ、と小言を言う彼の後姿を見る。
背広っていうのは、どこかくたびれたような印象をもつけれど、スーツと認識すればそれはまた印象が変わる。
「にんにん、今日は非番?」
「にっ・・・。、何度も言ってるけど。」
「あー、はいはい。白鳥さん。白鳥君。」
まったく、と彼はぱっと手を離す、握られていた部分が風に当たってひんやりとする。
それが少し寂しいな、なんて思ったりしてしまう。
「一体、何の用が?」
「別に。通りかかって高木君が見えたからきっと白鳥君も来るだろうと思って。」
「・・・来なかったら?」
「来ると思ってたんだから、そんなこと考えてないよ。」
全く、と彼は呆れたような声を出して、紅茶でいいですねと自販機に向かう。
(全くはこっちのセリフだよ。馬鹿。)
渉と美和子の関係が何となく、何となく前に進んだのには気がついていたから、だから・・・足がここに向かった。
あんな風に装っている彼でも、多かれ、少なかれそれなりに傷ついているはずで
それを見せまいとしているのか、あえて見せているのか分からない素振りの彼を放っておきたくなかったから。
「あ、ねぇ、紅茶はミルクが。」
「知ってますよ。」
彼はガコンッと勢い欲落ちた缶を手にとってどうぞ、と渡してくれる。
何故だろう、そんな優しい彼は初めてでふいに泣きたくなる。
変わりでもいい、と言ったら彼はどんな顔をするだろうか、軽蔑する?それとも・・・。
(美和子さんの変わりになってあげる・・なんて、おこがましいかな・・。)
「ねー、歩きながらでもいいんだけど。」
「はいはい。今度は一体何です?」
「あのさぁ、泣けばいいんじゃないかと提案してみたいと思いますが。」
「・・・それは、僕が?」
「うん。」
冗談じゃない、と彼は言う。
その口調はどこか怒っているようで、悲しんでいるようにも感じる。
「そんなこと言う暇があったら、もバイトじゃなくて正社員として働くところを探したらどうです?」
「うっわー、嫌味だな。」
「そう聞こえたならそう受け取ってもらって構いませんけど。」
「つんつんしちゃって、嫌な感じ。」
「、君は喧嘩売ってる?」
「買ってくれるわけ?」
「・・馬鹿らしい。」
ほら、そうやって逃げてると言うと彼は立ち止まった。
人の往来が激しいこの街中では2人の会話なんて耳を済まして、注意深く聞いていなければ分からない。
だからこそ、こんな会話ができるんだろうけれど、彼は聞く耳を持とうとしない。
「何が言いたいんです?」
「・・・何も。ただ・・・。」
彼の腕を引いて思い切り顔を近づけて、瞳を閉じる時間さえあたえずに唇を奪う。
偽りでもいいから、こうしている間だけ彼女を重ねてくれて構わないから。
深い口付けに応じるように彼が背中に腕を回した。
「・・っ・・・。」
何度か重ねるその行為に、道行く人が時折足を止める、けれどそれを気にする余裕すらない。
肩で息をする自分が多少情けないとは思うけれど、真っ直ぐに捕らえた彼の瞳を見る。
「一つ言っておくけど。」
「・・・何、です?」
「白鳥君と会える仕事は今のままじゃないと無理、だから。」
「・・・だから、正社員にはならない?」
「そうよ。覚悟しといてね。」
宣戦布告。
さあ、始まりの鐘は鳴らされた、静かな深い口付けと共に。
偽りの真実の海にダイブするのもいいんじゃない?その偽りが真実に替わる日が来るならば。
やさしいふりでもいいよ。
消えてしまうことよりも、彼に触れられない事が何より辛いから
泡になる前に、必死にもがいてみよう。