叶わない相手です。
願い事、流れ星に祈っても。
今、自分が願っていることは、とてもじゃないけど叶いません。
叶わないからこそ、心惹かれてしまう。

けれど、決して彼の幸せを壊したいわけじゃないから だから想うだけ。






  丈夫






カタ、と小さな物音がする。
その音を立てた原因は、目に飛び込んできた彼。
普段、その気配すら消してしまうことのある彼が物音を立てるのは珍しかった。
だから、気づいてしまう。
(また、この人は・・・。)
レポート用紙の上で進めていたペンを置いて、空になったマグカップを手に立ち上がる。

「・・・また怪我してる。」
「おや、か?」
「他に誰もいないじゃない。」
「まあそうなんだが、うちの息子かと思ってね。」
「息子さん?」
「ああ。ほら、君は見たことあるだろう。」


この写真の中にいるんだよ、と優しい笑みを浮かべる。
その笑顔は、誰に向けるものよりも柔らかくて幸せそうだ。
それが見られる場所にいる自分が少し 嬉しい。

彼に向かって真っ直ぐに伸びた手は、傷口を探す。
それほど深くないと判断できる怪我に安堵する。
真っ赤に染まった着衣を目にするのは、とても、とても嫌なことに珍しいことではなかったら。
消毒液、と近くのボードの上にある箱に向かおうと足を踏み出した時に盗一がふいに手を掴んでくる。

、手が荒れてるね。」
「ちょっ、行き成り手を掴まないで下さいよ。盗一さん。」
「ああ、これは失礼。」

女性の手は柔らかくていいですね、と彼は笑う。
曲がりにも、気になる男性から「手が荒れてますね」なんて言われたくない。
言われて気落ちするのは、やはりショックを受けたからなんだろうなと思う。
決して綺麗な手とはいえないけれど、彼に会うときくらいはハンドクリームをつけるべきだったかなと後悔する。
クスリと彼は微笑んで、君は分かりやすい、と手のひらを握り締めて呟く。
耳に馴染んだその声とその言葉は、心地よいリズムで夢の世界の扉をノックする。
「ワン・ツー・・・スリー・・。」
と彼が最後の言葉を発した時、コロンと手のひらに可愛らしい模様が描かれた缶が転がる。


「これ・・。」
「君にお土産だよ。」

世界中を飛び回るマジシャン。
裏の顔は、真っ白い怪盗。

「いつもありがとう。店頭でみかけて真っ先にが浮かんだよ。」
「え?じゃあ、これって。」
「今言ったはずだよ、お土産だって?」

嬉しい 嬉しい。
何よりも、真っ先に自分が彼の中に浮かんだ事が嬉しかった。
いつもありがとう、感謝してるよ、と言われる言葉は100万回のありがとうよりも嬉しい。
たった1回だけでも、沢山のありがとうよりも自分の中では最上級。


「怪我、手当しないと。」
「今回は掠めただけだから平気だよ?」
「ダメです。そんなこといって盗一さんは絶対ほったらかしにしてしまうんですから。」
「・・・は厳しいな。ウチの奥さんより。」

チクリと刺さる小さな刺は、すぐに取れる。
時々、ストップをかけるかのように彼は家族の話を口にする。
溢れて止まないこの想いにそっと蓋をするように、それは時に残酷な現実を引き戻す鐘の音。
そっと傷口に消毒をして浅いとはいうけれど、化膿止めも合わせて塗っておく。

「早く治さないと、快斗君と一緒に遊べませんよ?」
「ははは、確かに。うちの息子はわんぱくで叶わないからな。」
「うん、そんな感じします。」

弾けんばかりの笑顔を浮かべる彼の息子は、優しい瞳が父親にそっくりだと思う。
今度会わせましょう、という盗一の言葉に頷いて救急箱の蓋をそっと閉じる。


「絶対ですよ、盗一さん。」
「約束します、さん。」


2人だけの秘密ができた。
これだけで十分 願いは聞き届けてもらえた気がする。
だから 大丈夫。
ありがとう、今まで見てきたたくさんの数え切れないほどの流れ星。
溢れて止まないこの想いは、見えない蓋でそっと隠す術を覚えた時から消えることはないと分かっていたから。
大丈夫 だいじょうぶ。



まだ、怪盗に名前の無かった頃のお話。
彼の息子が活躍するのは、まだもう少し先。