大学四年生の春。
就職を決めた友人もいれば、大学五年生が決まった友人もいる。
(…私は)
私は、何になればいいのだろう。





  ってもいいんだ






(…どうしようかな、これ)
もらったばかりの成績通知。可もなく不可もなく、至って平凡な成績だ。
何かに突出した才能でもあれば、今こんなに悩む必要もなかったのに。
いや、そもそも大学に来る必要すらなかったかもしれない。
(…やべ、泣きそう)
何もない四年だったとは思いたくない。
けれど、じゃあ何を手に入れたのかと言われると答えられない。
(…得たもの、とは違うけど)
出会えて良かった、と。そう思う人は、いる。
最後に会いに行こうか、どうしようか。
悩みながらずるずると構内を出て、桜の木の下にあるベンチに腰掛けた。
桜は五分咲き、といったところだろうか。…ここからは、あの人の研究室がよく見える。


さん」
「!」
ぼーっとしていたところへ不意に声をかけられ、飛び上がりそうになった。
先客がいたことに気がつかなかったのだ。
「驚かせたかな?すまなかったね」
「あ…いえ、そういうわけじゃないです、全然」

自然と頬が緩んだ。まさか、こんなところで会えるとは思いもしなかった。
(工藤、優作先生…)
私が、「出会えて良かった」と思えた人。ここからよく見える研究室にいる、人。
「…あの、工藤先生は、こんなところで何を?」
採点を終え、することもないはずなのに。
大学では、クラス担任などないのだから、用事がなければ来なくても良いはずなのに。
「…いえ、なんと言いますか。一応、君たちの学年はもうじき卒業するわけですから…」
見送ろうかなと、そう思って。
そう言って、なんだか照れくさそうに開いていた本を閉じた。
…あなたの、そういうところが好きなんです、先生。
「…食物文化論の先生なんて、最後の授業のとき、これでやっと終わりだなんて清々したように言ってましたよ」
「はは、そうか」
そう言った先生を責めるでもなく、そう言わせた生徒を責めるでもない。
そういった心遣いを、本当にさり気なく、あっさりとこなしてしまう人だ。

「…ところで、さん」
「はい?」
桜を見ていた視線を戻し、優作のほうへ振り向く。
…そうして目が合った瞬間、何故だろう。
心の中の奥深くまで、すべてを見透かされた気がした。
やわらかく微笑んでいる、その瞳に。

「…何か、お話があるのではないですか」
「………。」

やっぱり、そうだ。
この先生に、隠し事はできない。
「…先生は、最後まで私の愚痴を聞いてくれるんですか?今までだって、山のように聞いてもらったのに」
優作の古代史の授業でわからなかったところ、興味を持ったところ。
最初はそういったものの質問に行っていたのに、いつからか何か話したいときやつらいことがあったときなど、
気がつくと優作の研究室のドアをノックしていた。
…今だって、心の中では、会いに行きたくて仕方なかったのだ。
「愚痴だなんて思っていませんよ。さんと話している時間は、楽しいですから」

…ほら、また。
そうやって、簡単に私を喜ばせてしまうんだから。そんなことを言われたら、話したくなってしまうでしょう?
「…私、やりたいことを見つけようと思って…大学に、来ました。そんな考えが甘かったのかもしれないんですけど…」
言葉を切って、優作のほうを見やる。穏やかな瞳と目が合って、なんだか無性にほっとした。
「…続けてください」
「はい。そうやって四年間来たけど…終わってみれば、結局見つけられてなくて。私、なんだか自分が情けなくて…」
見つけられなかった。
そうだろうか?見つけようとしなかったのではないのか?
そんなことはない、私は私なりにこの四年間を充実させようと頑張ってきた。
それなのに、周りのみんなは進路が決まっているのに、どうして私だけ決まっていないの?どうして…!
「…ぐるぐる考えてる内に、どんどん自分が嫌な奴になっていくみたいで…」
そんな自分が嫌いになる。

「…皆、不安や苦しみ等、根っこには暗い自分を持っているものです」
ぽつりと話された言葉に、伏せていた顔を上げてそちらを見やる。
「…どうしてそう言えるんですか?私には、私にはそうは思えないです」
なんて嫌な自分。来るもの全てをはねつけてしまうような。
…そう言いながら、心の中では工藤先生に嫌われることを心配しているのだ。
そんな不安まで、全てわかっているように、優作はやんわりと微笑っての視線を上へ誘った。
「桜…?」
「見事なものでしょう。もう少ししたら満開ですね」
再びが視線を優作へ戻すと、優作はの頭をそっと撫でて言った。

「…どんなに綺麗な花や見事な樹でも、根っこは土の中ですよ。」
「………!」
「ね?」
くしゃ、と一撫でしてから、の頭から手を離す。
それが引き金になったように、の目から一筋、涙が伝った。
どうして、どうしてこの人は。
欲しかった言葉を、求めていた言葉を、簡単にくれてしまうのだろう。
どうしてこんなにも簡単に、私の心をあたためてしまうのだろう。
そっとを抱き寄せて、とんとんと、あやすように背中を軽く叩く。
「迷ってもいいんだ。時間をかけて、そうして向く方向を決めなさい。日がすぐに見つからずとも、翌日になればまた昇りますよ。」
「…、はぃ……」
あなたがくれた言葉の一つ一つが、私の中に染み込んでゆく。…指針が、動きを見せる。

「…ごめんなさい、先生。スーツ、汚しちゃった」
「気にしなくていいですよ。それより、君の彼に誤解されないか心配だな」
「あはは、いませんよ。それより奥さんに怒られませんか?」
「はは、ご心配ありがとう。可愛い生徒のものだといったら、拗ねてしまうかな」
…太陽。私の中で、あなたはずっと光り続けていた。
そうして私の、指針になる人。
まだはっきりした形はなくても、確かに道があることを教えてくれた、あたたかな光。
「…先生」
「うん?」
「私、古代史について、もっと勉強してみようと思います」


迷ってもいいんだ
いくら広大な迷路でも、入ったからには出口があるはずだから。